PSYCHO-PASS2

□突撃
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性描写はありませんが事後っぽいのありますご注意。









 夜。
 一段落して、そろそろ寝ようかと思っていた時だ。



「──ぇ、」



 どんどんどん、と少しばかり乱暴にドアが叩かれて只でさえびくりと縮こまってしまったのに、更にその後聞こえてきた声に雛河は絡繰り人形のごとく目を泳がせて固まった。



「ひーなかーわくーん」



 ぎりぎり、と音でも聞こえそうなほどに恐る恐るそちらを向く。



「ねー、ドアをあけてー」



 間違いない。いつもの聞き慣れたトーンよりは少々高く、何かは知らないが節がついているものの、同僚の名無しさんの声だ。けらけらという笑い声が続けて聞こえた。
 出ないわけにはいかない、と雛河は腰を上げる。

 ロックを解除し、ドアを隙間程度に開けた。
 目だけを覗かせると、やはりそこには名無しさんの姿があって心臓だけがうるさく鳴り始める。



「な、何か用、ぅわっ!?」
「あは、見ぃつけたぁ」
「名無しさんさ、ちょっ……」



 ドア越しに会話しようと思ったのに、隙間へ強引に指をかけられて開けられた。そして、止めようとした腕を掴まれて抱きつかれる。
 妙に熱い身体が纏わりついて、押し付けられている。頭1つ低い名無しさんは彼の胸に収まってしまった。



「……え?」



 雛河の思考は一旦停止し、記憶障害すら引き起こしそうなほど真っ白になる。訳の分からない声が漏れて、指先一つ動かせなかった。

 何でこんなことになっているのか見当がつかない。バグを発見したときのように理由を考える。

 まず原因は、どこがミスして、要素は、過程は。変換、入出力ファイルの参照先、データ定義表示形式拡張子まさか全角スペースいや一旦始めからやり直してまず0クリア違う違う違う違う違う!



「──あっ、おさ、お酒!!飲んだ?」
「んん?何で?」



 舌っ足らずで甘ったるい声色は心底魅力的だと思ったが、今は混乱の方が大きかった。

 何故かプログラムの文字の羅列を思い浮かべて冷静さを取り戻し我に返ってみれば、名無しさんからふわふわと香るアルコールの匂いに気づいた。日本酒、ではない。詳しくはないが洋酒だろうということくらいはわかる。



「匂い、凄いからッんんっ!?」



 いきなり顔を上げた名無しさん。止めもできず、訳も分からないままむにっと唇が重ねられた。


 雛河と彼女は恋仲ではない。歳は名無しさんの方が2、3上だが同期である、ということだけが事実だった。
 彼女は人と関わることの苦手な雛河にも最初からよく話しかけ、話を聞いてくれた。容姿端麗、その上執行官として優秀、しかしそれ故に彼の方からは近寄りがたい存在である。


 正直今の状況は嬉しいが、それどころではない。

 パニックを起こした雛河は名無しさんにされるがまま翻弄された。何もできない。動けないし、それは彼だけのせいでもない。
 ぼさぼさの髪に彼女の指が侵入して、何度か梳かれたかと思うとそのまま頬を固定されてしまう。両手に挟まれた顔は火を噴きそうなほど熱いが、名無しさんだって熱かった。

 手が、指が、唇が、舌が、触れている。

 しっかり閉じていたはずの歯はこじ開けられて、ぬるついた塊が侵入してきた。彼女の舌だと認識するのと同時にアルコールの苦い味が広がる。ちゅぅうっと押し付けながら器用に吸ってくる名無しさんは心底楽しそうだ。



「ん、ぅ、っふぁ」
「ぷは、」



 高鳴る心臓のせいで息苦しい上に口を塞がれては堪ったものではない。自然と鼻にかかった声が聞かせたくない意志と反して漏れ出す。

 ちゅぽん、と名無しさんが名残惜しそうに息を継いだ。
 その一瞬をついて雛河は彼女を押し返して後ずさる。



「名無しさんさっ、何、え、あ、何でっ」



 自分の髪をぐしゃりと掻き乱し、熱くて堪らない顔を隠した。

 信じられない。
 あり得ない。
 というか、何で。


 そんな彼の泳いだ視線や忙しない慌て方を見て、名無しさんはふにゃふにゃ笑う。

 とろんととろけた表情のまま、また雛河の肩に手をかけて引き寄せた。首に腕をまわして間近に迫る。
 熱い吐息が混じり、濡れた唇は触れ合いそうな距離。名無しさんはその睫毛を伏せたまま、ゆっくり瞼を閉じて開いた。



「かぁわいい……ねぇ、もっかい」
「もっ、かっ、んーっ!?」



 匂い立つ色気にぞくりと背筋が震えた。少しばかり掠れた声は心地よく鼓膜をくすぐる。

 立っているのが精一杯なほど脚が震える。
 未だ理解できていないこの状況をどう打開すればいいのかわからないし、そこまで頭が回らない。

 柔らかい舌が擦り合わされて、歯列をなぞられ、甘い痺れが脳を駆け抜けていく。
 きもちいい、とぼんやり考えた、瞬間。



「ぷは、ぁはっ」
「……あ、っう、嘘だっ、何で」
「わしゃわしゃー」
「ぅわっ、や、やめ……!」



 離されて目が合うと雛河の意識は現実へ引き戻された。

 何で、どうして、あり得ない、という疑問ばかりが浮かんで混乱は治まらない。

 髪を掻き乱されてようやく動けるようになり、名無しさんの手首を掴む。未だふらふらしたままだが大人しくなってくれた。



「名無しさんさん、よ、っ酔って、る」
「酔ってないよぉ。宜野座の伸元さんとこでちょちょーっと飲んだだけだもーん」
「それ、酔ってると、思う……」



 けらけら笑う名無しさん。
 宜野座の部屋に行ったのか、という痛みは知らないふりをして、雛河は俯いた。

 このままでは色々と危ない。どうにかして素面に戻ってもらわないと。
 ……それから、自分も落ち着かないと。

 そう、考える。



「待ってて、水、持ってくるから」



 返事は聞かずに、逃げるように踵を返した。










 ざぁぁあ、と流れていく水を眺めながら、自分が落ち着くのを待っていた。
 受けていたコップからはとっくに溢れ出している。冷たいが、今の彼には丁度良かった。

 うなだれて、脱力する。



「はぁ……ひっ!?」



 途端、後ろから抱きつかれた。
 いつの間にか名無しさんがいる。水の音で聞こえなかったのだろうか。

 手から滑り落ちたコップはそのままに、震える手で辛うじて水を止め振り返る。へらへらと笑う彼女と目が合って、落ち着いていた心臓が再度高鳴った。
 可愛い。



「待っててって言った、のに」
「しょーくん」
「翔くん!?っあ、あの、ぅあっ」



 また抱きつかれて動けなくなった。
 当たる柔らかいものの感触を必死に意識から外す。見つめてくる目も合わせないように、逸らす。

 しかしそんな雛河の努力などどこ吹く風、名無しさんはぐいぐい身体を一層密着させてきた。手をとって、胸に押し付ける。弾力と柔らかさが服の上からでも伝わって、これ以上は頭が沸騰しそうだ。

 瞬間ふっと名無しさんが離れ、とられた手を引かれる。



「待って、そ、そっちは」
「ぁは、かぁわいい。おいでっ」
「〜〜〜〜〜!!」



 ひくっ、と雛河の口角が痙攣した。

 抵抗もろくにできないまま、自分のベッドに向かって突き飛ばされる。
 名無しさんが上に乗ってきても、意識はどこか遠くにあった。


 そして。

 …………。
 ……。









 ……。
 …………。


 賢者モード、ではないが。
 自責の念にかられた雛河は一人静かに騒いでいた。



「&#@?☆♪*!※★〜〜〜ッ」



 やってしまったという後悔や本気で抵抗しなかった自分への叱責、ついさっきまでのありありとした記憶が頭をぐるぐると巡り巡って、うわあああと叫びたい衝動を枕に押し付けた。顔を埋めてしまえばほとんど何も聞こえない。
 
 忘れたい。
 戻りたい。

 自分からではないとはいえ、酔った相手に。
 最低だ。
 死にたい。



「はぁ……」



 一頻り心のごちゃごちゃをそうして発散してから、枕から顔を上げて隣で死んだように眠る名無しさんをちらりと見た。

 アルコールのせいか疲れか、終わってすぐ寝てしまった彼女。
 ベッドは一つ。仕方なく雛河はその横にごろんと寝直す。


 可愛い。
 
 落ち着いて間近で見れば、改めてその整いように感服した。
 長い睫毛に柔らかい肌、唇の赤さやその瑞々しさ。白い首にかかる黒い髪。
 雛河からはしなかったが、最中に何度か首に噛みつかれた。痕が残っていないことを祈ることにする。


 恐る恐る、頬にそっと触れた。
 ほとんど吐息のように呟く。



「……名無しさん、さん」



 憧れて、目で追っていた人。遠くにいた人。
 それが今は、こんなに近くにいる。



「んぅ」
「──っ!」



 名無しさんがきゅっと眉を寄せて声を漏らしたので、雛河は勢いよく手を引っ込めた。
 しかし、少しばかり体制を変えたかと思うと再度すぅすぅという寝息が聞こえてきてほっとする。



「……」



 時計を見る。
 明日も第一当直だった筈だ。起きられるだろうか。

 ……ああ、確か名無しさんも同じだ。

 
 これが夢ならいいのに、と雛河はぼんやり考える。

 そう、夢ならきっと、……明日も、いつも通り──……











 次の日。
 やはり夢でなかったことに愕然として、もう隣にいない名無しさんにちくりと心を擽られ、身嗜みを整える余裕もなくいつも以上に慌ただしい朝を迎えた。

 そして。



「おはよう、雛河くん」
「ひッ、!」



 朝、声をかけてきた名無しさんに雛河は首がなくなるくらい肩を上げて驚いた。
 ぎりぎりと顔を彼女へ向けて、見上げる。



「ぁ、おは、お、は、おはよっ、う、」



 いつも以上にどもってしまう。我ながら気持ち悪いと思ったが、名無しさんの反応は普通だった。くすくす笑いながらぽふぽふと優しく頭を叩かれる。


 どうやら、動揺しているのは雛河だけのようだ。名無しさんの酔いはすっかり抜けているらしく、昨日の名残は何一つ見えない。

 昨日の記憶も酔いと共に抜けたのだろうか。

 やはりあれは酔っていたが故の行動で、相手は誰でもよかったのだろうか、と雛河は思った。今日という日を迎えても尚意識しているのは自分の方だけか、と。



「……はぁ」



 名無しさんが自分のデスクに座り雛河から見えなくなると、やっと肩が下りた。
 おまけに、思わず大きな溜息が漏れる。

 期待していなかったわけではない。東金でも六合塚でも宜野座でも唐之杜でもなくわざわざ自分の部屋に来たのだから、理由がないとは考えられない、と少しだけ。
 だからやっぱり、そうでないことを突き付けられるのは辛い、と思った。


 そして、好きだ、と。
 今度ははっきり本物だ。

 やっと自覚した。
 自分は名無しさんのことが好きなのだ。

 もし、もしもう一度だけでも部屋に来てくれたなら。
 きっともう後ずさったりしない。
 きっと次はされるがままなんかじゃなく、……


 ……なんて、いくら思っても無駄、か。
 次なんて無い。
 あの一回ですら奇跡みたいな……そう、夢みたいな、偶然。

 自分も忘れよう。

 
 雛河は空になったマグカップの取っ手に指を引っ掛ける。立ち上がってコーヒーメーカーの方をちらりと見たところで、──向こうの方に座っている名無しさんと目が合った。



「!ぁ、わっ」



 どくん、と心臓がはねる。
 落としそうになったそれを両手で握り締めて、勢いよく目を逸らした。

 偶然だ、偶然だ、違う違う違う、と頭で繰り返しながらスイッチを入れる。どくどくと心臓がうるさく、苦しい。
 コーヒーが溜まるまでの時間は体感にして数十分だった。こんなに長いと感じたことはない。

 ピッと終了の電子音がしたのと同時に引ったくるようにカップを持ち上げた。
 今度は名無しさんと目を合わせないように、と俯いたまま振り返ろうとした瞬間、



「忘れてないよ、翔くん」
「──」
「昨日はごめんね。あの、色々謝りたいというか、……その、話したいの。今日も行っていい?」



 耳元で聞こえた声。
 振り返ると、いつの間にか後ろにいた彼女の、昨日と同じあの目が自分を見ている。

 周りを気にするような、潜めた声。
 心底申し訳なさそうな、困った顔。



「ぅあ、っ……あ!」
 


 雛河は途端に昨夜の光景をありありと思い出して真っ赤になった。そして今度こそ手の中のそれを大きな音とともに落とし、ごめんなさいごめんなさいと連呼しながら慌ただしく破片を片付ける羽目になる。
 二日酔いらしい宜野座が頭を押さえながらそれを見て、首を傾げた。









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