槙島さんと映画鑑賞
□終身刑
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映画「ショーシャンクの空に」のネタバレがあります。ご注意を。
「聖護、カラスが死んでるわ」
「……本当だ。可哀想に」
こんこん、と窓を叩いて外を指さしながら言った名無しさんはすぐ飽きたように目を逸らした。カラスの死体など、割とどうでもいいらしい。
しかしすぐに考え込むように眉を寄せて顎に手を添えた。
「……ブルックスのカラスも死んだのかしら」
「ん?」
「いたじゃない。おじいさんが服の中で飼ってた」
名無しさんはもう一度窓の外に目をやると、遠くに転がった黒い塊を見つめる。
その羽は広がり嘴も開き、ぴくりとも動かない。
ひとつ瞬きをして、それから遠くに視線を移した。
「きっとすぐに死んだわね。外を知らないで育って訓練もないままに逃がされたんだもの。ブルックスと同じ」
「考えたことはなかったな。面白いことを言うね」
「何でも自分で決めなきゃいけないのよ。自由って残酷じゃない?」
自由。
長年投獄されていた老人が突然外へ放り出され、住む場所や労働と共に手にしたもの。
‘BROOKS WAS HERE’
彼の最期を思い出して槙島は笑った。無論、それが笑えるものだという訳ではないが。
名無しさんが眉を寄せる。
「何がおかしいの?」
「いや……僕が死んだら君は首を吊るかと思って」
「最低」
「痛っ」
信じられないといった呆れ顔の名無しさんに叩かれた。
槙島はなお笑っていたが、彼女は大きな溜息と共に窓枠にもたれかかる。俯いて、絨毯の敷かれた床を見ながら言った。
「でも、そうね。殺した奴を殺してから死ぬかもしれない」
「へぇ」
名無しさんは槙島を見上げる。その目に冗談の色はない。
そしてごく普通に、心からの言葉を告げた。
「聖護のいない世界なんていらないもの」
「大袈裟だな」
「そうかしら」
そこで名無しさんは彼の手を取り、自身の首にかけた。彼女の白く柔らかい皮膚が掌に吸い付く。
驚いた顔もしない槙島はその手に力を込めることも振り解くこともしなかった。ただ、空いた指で体温の低い首筋をなぞる。肌理の細かい肌はするすると引っかかりもしない。
このまま首を絞めてしまっても、名無しさんはきっと抵抗しないだろう。楽しそうに目を細めて、槙島の頬に手を添えて撫でるくらいしてみせるに決まっている。苦しんだ顔を彼に見せるくらいならと最期は自ら意識を手放すかもしれない。
そんな気がした。
「必死に生きればいい」
「必死に死ぬわ」
そう言って彼女は眉を上げ、同時に槙島の手を払った。ソファに向かい、糸の切れた人形のように腰掛ける。槙島は参ったなとばかりに肩をすくめた。
「ねぇ、アンディの脱獄は見事だったけどちょっとご都合主義よね」
「映画だからね」
「最後の出口が狭くなってたり鉄格子がかかってたりしてたらどうしたのかしら」
「怖いことを考えるな、君は」
名無しさんはぶらぶらと脚を揺らしながら笑う。
映画の感想を述べるとき。褒めるときも貶すときも、いつだって彼女は楽しそうだ。
それは、名無しさんはきちんと、あれこれ言ったところで映画自体が変わるわけでもないし作り手に文句を言える立場でない、ということを知っているからに他ならない。
作り手は別に見ている側が言ったことを反映する義務など持ち合わせていないのだ。それが批判や誹謗中傷の原因になったとしても。あれこれ言うなら自分で作ってみせろとすら思う者もいるだろう。
だから、つまり。押し付けなければ。反映しないことに文句を付けなければ、見る側は何を言ったって構わない。
そう名無しさんは考えていた。
「爽快だけど不愉快」
「現代じゃ不可能だからだね」
「当たり」
「映画と違って、どう希望を持ち続けても逃げられない」
「そう……そう、だった」
名無しさんはそこで笑顔を消した。
逃げられなかった。
規定値を越えた犯罪係数。濁ったサイコパス。
きっとこのまま一生を終えるのだと思っていた。
「聖護が攫ってくれなかったら腐ってたわね、私」
「そうだね。君が執行官になってくれてよかったと思うよ」
「でもお陰で戻れないわ」
「戻る気なんてない癖に」
希望なんて、逃げることなんて、考えたこともなかった。
この社会、システムは。正しいから強いのではない。強いから正しいとされ、正義であると言われているのだ。
誰もが疑問を持ちながら反抗できない。完成されているから。
しかし名無しさんはある日掬い上げられた。
槙島が隣に腰掛けると、名無しさんは彼に頭を預けて笑った。
「次は何を観ようかしら。ねぇ、何かおすすめはない?」
「いいのがある。きっと好きになるよ」
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