槙島さんと映画鑑賞
□枕
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映画「カッコーの巣の上で」のネタバレがあります。ご注意を。
「何よ、これっ!!」
珍しく名無しさんが声を張り上げたので、槙島は読んでいた『刑務所のリタ・ヘイワース』の文庫本を閉じてそちらへ向かった。
ドアを開ければ、名無しさんがモニターの前でヘッドホンを手に立ち上がっている。画面には、長髪長身の男性らしき人物の背中が映っていた。
「どうかしたのかい」
「あぁ、聖護……貴方が薦めたこの映画!!」
「……カッコーはお気に召さなかった?」
「お気に召すも何も、──ああ、もう……!」
泣き出しそうな表情でヘッドホンを放り投げる。それはベッドに落ちて軽い音を立てた。端子が抜けて音が漏れ出したのとほぼ同時に名無しさんはモニターの電源を落とし、次いで槙島に飛び付いた。
悪夢に飛び起きた子供みたいだと内心笑いながら、彼はその背中をぽんぽんと叩く。
「これも自由と希望に満ちた映画だろう」
「……」
名無しさんはそれに不満そうな呻きを漏らし、肩口から顔を上げて目を合わせた。
眉を寄せ、唇を尖らせて溜息をつく。幼さの残る顔立ちながらも表情や言動一つ一つは嫌に大人びていた。
「本当、貴方って皮肉屋」
「そうかな」
褒めてない、と名無しさんが視線を逸らす。
「救われないわ。マクマーフィーも、ビリーも」
「確かに救いはないね」
「自由になったのはチーフだけじゃない。二人のいなくなった病院だっていつも通り。彼がああして出て行った後もきっと変わらないのよ」
「カッコーの巣だからね。……僕はマクマーフィーも自由になったと思うよ。ビリーだって幸せだったさ」
2つの名前に苦々しい顔をして、槙島から離れた。
ベッドに放り投げたヘッドホンを拾い、くるくるとコードを巻き取る。……何故か名無しさんは無線の機械を嫌い、あまり使おうとしない。音も立てずにモニター脇に置いた。
「二度と観たくない」
「だろうね」
元より同じ映画を2回と観ることはない彼女。
槙島に背を向けたまま名無しさんは呟いた。
「……これが現代の日本ならこうはならなかったのに」
「それは面白い。そもそも話が始まらないな」
「そうね。マクマーフィーは拘束されたまま。精神病だなんて偽れない」
彼らの色相を見れば一目瞭然だ。病院の皆は寧ろ犯罪脳でない分クリアかもしれない。しかしマクマーフィーはそうはいかないだろう。
名無しさんがはっと思いついたように振り返った。
「でもそれなら、チーフが何も変わらない」
「婦長もだ」
「ああ……あの女、嫌いよ。美人で素敵だけど、最低」
眉を寄せてそう吐き捨てる。
名無しさんはどうにかしてかの主人公を救おうとしているようだった。
こうも入り込むのは彼女にしては珍しい、と槙島は笑う。
「彼はあの場所を変えるには必要な要素だった、としか言えないね」
「使い捨てだわ」
俯いて、なお苦しそうな名無しさんの頭に手を乗せた。梳くように何度か撫でると、照れを隠すようなわざとらしい不機嫌顔が槙島を見上げる。
「君は本当にすぐ感情移入するし影響される」
「ええ。ばかだもの、私」
スタンドバイミーに影響されて煙草を吸ってみたり、パーフェクトワールドの真似をしてマスタードサンドを食べたがったり、雨に唄えばのように傘も無しに外出したり、グッドウィルハンティングを見て数学をやりだしたりしたことがある。いずれも咳き込んだり辛さに泣いたり案の定風邪をひいたりすぐに飽きて投げ出したりして終わったが。
ここまで真剣に考えている名無しさんは初めてだ。
それはまるで、……
「マクマーフィーと誰を重ねた?」
「……言わせたいの?」
「ご自由に」
……彼が実在するかのように。彼のような人間がいて、そして映画のような結末を迎えることを恐れているようだ。だからどうすれば回避できるのかと考える。
促すと、諦めたような表情の後に槙島を見据えて言った。
「貴方みたいだって、思った。……突然やってきて好き放題して色々変えていく人。この人なら何とかしてくれるって安心感のある人。知らないところで訳の分からない計画してるところも同じ」
それに対して、彼は何も言わなかった。
「私、聖護があんな風にされるのは絶対嫌よ。……貴方がこっそり何をやってるかなんて知らないし聞かないわ。でも」
何も言わない。
「死なないで、聖護。私の前から消えないで。聖護がいなくなったら私……、デカい気分になんてなれないし、それに、あんな重いもの、っ、持ち上げられる訳ないわ」
ついに名無しさんが一筋涙をこぼした。
それを拭って槙島は笑う。
「可愛いよ、名無しさん」
「……嬉しくない」
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