黒子のバスケ

□空白
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 試合の前日。
 眠れなくて、外に出た。



「……、ッ」



 着込んだはずなのに冬の空気は寒くて、ぶるりと肩の辺りが震える。
 吐き出した息は白い。

 でもうちの高校よりはまだ暖かい方、かな。

 
 歩いているうちに公園に着いていた。小さい遊具と砂場があるだけの小さな公園。

 何となく横にあったベンチに腰掛ける。
 ひやりとして、でも別に不快じゃなかった。


 ――でも、後ろの道路から聞こえてきた声には眉を寄せてしまった。



「ね、頼むよもう一回だけ」
「しつこいです。最初に言ったでしょ」
「んなこと言わずにさぁ。……あ、じゃあ酒でいいから一件付き合ってよ」
「触らないでください、もう」
「つれねーなーミキちゃんは。金やるって言ってんだろ?」
「大声出しますよ」



 援助交際、か。

 男は声からして中年、女の声は若くて高い。
 内容から察するに、終わったにも関わらず男が言い寄っている状況だ。

 
 どうでもいい。さっさと通り過ぎればいい。
 が、そう思った直後、俺は俯いていた顔を上げた。
 
 あの声。
 ……もしかして。



「名無しさん……?」



 立ち上がって振り返る。
 まず男と目が合って、逸らすと女がこっちを見た。

  

「――辰也?」



 OMG。
 なんてことだ。

 こんなところで、最悪の状況で再会するなんて。



「やっぱり名無しさんじゃないか!」
「名無しさん?何言ってんだお前。この子はミキちゃんってーの」
「ああ、嘘みたいだ。また会えるなんて!」



 名無しさんに絡み付いていた男が酔った顔を顰めた。
 
 そんな奴はどうでもよくて、急いで名無しさんを男から引き剥がした。

 彼女のものじゃない匂いはしたけど、間違えたりなんかしない。
 メイクは濃くしてるけどこの顔、声、身体。それに服の趣味だって変わってないんだから。
 


「信じられないよ。本当に久しぶりだね、名無しさん」
「辰也こそ。どうしてこんなとこに?」



 腰を抱き寄せる。ちっとも変わらない柔らかい感触。

 メイクを崩してしまいそうだったから、手を取ってその甲にキスした。
 くすぐったがる仕草も昔と同じだ。

 名無しさんは俺の髪を撫でると、そのまま頬に手を添えて笑う。

 

「……んだよクソガキが」



 ぶつぶつ言いながら男は去っていく。
 それでいい。それ以上居られたら手が出そうだった。

 









 名無しさんは俺や大我と同じように、小さい頃日本に住んではいなかった。

 バスケこそしていなかったけどいつもコートの周辺にいて、応援したり観戦して遊んでいたのを覚えてる。
 大我の次に仲が良かったといってもいいくらい長い時間を彼女と過ごした。
 

 そして。
 俺たちは、名無しさんのことが好きだった。
 好きで好きで仕方なく、愛していた。

 俺は今でもずっと、彼女のことが忘れられなかった。
 再会できたのはなんて幸運なんだろう。



「……大我の家に?」
「そうだよ。毎日帰ってる訳じゃないけど」



 聞く所、彼女は今大我の家に居候しているらしい。
 そしてさっきの行為は大我に迷惑をかけまいとするためのお金稼ぎで、高校には通っていないそうだ。

 更に名無しさんの家族はまだアメリカに住んでいるというのだから驚いた。
 彼女が日本に来たのは勝手な我が儘だそうで、行きの飛行機代ですら自分で出した、なんて言う。

 
 
「じゃあ俺、仕事の邪魔した?」
「そんなことないよ。もう終わってたから」
「……ホントにしたの?あんな奴と」
「あ、違うの。えっとね」 



 話す名無しさんには特に焦った様子もなくて、嘘じゃないことが分かった。

 

「一件お酒に付き合って、それから行ったんだけど。あの人が一人でする所見てただけなの」
「え?」
「本番は無し、ってやつかな。でも意外とそれでいいからっておじさん多いんだよ」



 いっぱい貰えるし、と彼女は笑う。

 詰まる所名無しさんは一切手を触れていないらしい。
 だからこそあんな風に終わってからも絡んでくる輩が多いということだ。


 ……大我はこのことを知らないのか。
 俺よりも早く名無しさんと出逢って、それでも何も連絡も無しに。
 自分だけ彼女の傍にいたのか。



「辰也?」
「――あ、あぁ、何でもないよ」



 真っ黒な名無しさんの目が俺を見る。

 傾げた首やぶらぶらと揺らす足の白さがやけに眩しい。
 夜なのにはっきり目に映る。

 
 ……最後に彼女としたのはいつだったか。
 

 アメリカは割とそういった性行為に及ぶ年齢は低くて、俺や大我もそれに倣った。
 相手は何度か別人になったときもあったけど、ほとんどは名無しさんだ。
 3人、でしたことは流石になかった。
 でも昨日は大我としたとか俺とするとかいったことは別に隠してなかったのを覚えてる。


 後ろめたさがなかった訳じゃない。 
 だって、少なからず俺たち3人はそれを楽しんでいたのだから。 



「辰也、したい時の顔してる」
「あ、ばれた?」
「全然変わってないね。……いいよ、行く?」



 ……明日の試合と名無しさんを天秤にかける訳じゃないけど、今日は無理だ。
 かといって明日の夜ならいいってことでもない。
 誠凛との試合に負ける気はないし、その先だってそう。
 
 ああ、本当に最悪の状況だ。
 今日でさえなかったら、今すぐにでも行って朝まで離さないのに。
 
 

「ごめん。明日試合なんだ」
「そうなの?じゃあ仕方ないか」



 ほら、こんなに淡泊だ。

 名無しさんは未練も情も殆ど抱かない。
 付き合ってる訳じゃないんだから、当たり前といえば当たり前かもしれないんだけど。

 

「連絡取りたいな。教えてくれる?」
「んー、携帯電話持ってないんだ。大我の家に掛けてくれたら取れるかもしれないけど」
「……そういうとこも変わってないね」



 理由は簡単。
 お金がないから、だ。
 昔と同じ。

 大我の家に掛けたって、毎日帰ってる訳じゃないならかなり確立は低いだろう。
 それに何より家主にばれる。 

 ……仕方ない。



「名無しさん、ごめん」
「え?」



 ベンチに座ったままもう一度謝って、彼女の肩を引き寄せた。
 瞬間、忘れかけてた感覚が頭を満たす。

 グロスで光る唇にちゅうっと吸い付いて、自分でも性急だと思いつつ舌を割り入れた。
 なんだか甘い味がするから、あの男の酒に付き合って自分も何か飲んだんだろう。



「んっ、……ふ、」
「は、名無しさん……!」



 可愛い。

 何度目かすらわからないキスなのに、反応はいつだって初めてみたいだ。
 きゅっと目を閉じて、俺の服を掴んで、苦しそうに身を退こうとする。
 それを追うように押し付けて引き寄せれば、一層舌が触れ合ってぐちゅりと音を立てた。

 引っ込めようとする名無しさんの舌を根元から絡め取って擦り付ける。
 じわりと甘い痺れが背中を走って、ぞくぞくする。
 


「……ぷぁ、っ」
「名無しさん、好きだよ」



 唇を離してすぐ、抱き締めながら言う。
 
 軽く上がった息のまま名無しさんが頷いて、笑いながら俺の背に腕をまわした。









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