黒子のバスケ
□アルバイト
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「い、いらっしゃいませー」
はぁ、とそっと溜息をつく。
どうも苦手だ。慣れない。お金欲しさと社会経験の為と思って始めたバイトがこんなに自分に不向きであるとは思っていなかった。
作り笑いは引き攣るので諦めた。声の小ささは高く通す声を作ることで補った。しかしなんというかこう、居心地も悪ければ疲れもするし、楽しくない。
と。
「ん……あれ?」
レジの前を通り過ぎた若者に首を傾げる。
今時立ち読みだけして帰って行かれるのは最早当たり前だし、店側も諦めている。が、しかし。
この人……さっき漫画持ってなかったっけ?それもがさっと、大人買いレベルで。
という疑問。そっとレジを抜け、漫画コーナーへ足を運ぶ。
ずーっとさーっと見渡して、ある少年漫画スペースに目が留まった。
「……ない」
どくん、と心臓が跳ねる。
これってもしかして、万引き、ってやつ?
早鐘のように鳴り響く心拍音。つられて耳の奥がきーんとしてきた。
ライフカード、ではないが(古い)、名無しさんの中に選択肢が出る。
@見て見ぬ振り。バイトだし向いてないし店が潰れたってどうってことない。
A追い掛ける。あの制服は私と同じ霧崎第一高校のものだし同年代だし……。
B大声を出すもしくは人に頼る。……うーん、これはないな。
よし、A番にしよう。
そう決めて、これまたそっと足を速めた。
☆
花宮の気分は最悪だった。
そもそも何であんなアホみたいな勝負に負けたからといって自分がクソ長い少年漫画をパクって来い(という訳ではないが「全巻持ってきてよキャプテーン」)と言われなければならないのか。確かに乗った自分も悪かったが、何よりそんな雰囲気を作ったあいつが悪い。
と舌打ち混じりにあの風船ガムと前髪に隠れた顔を思い出しながら考える。さっさと店から離れよう、といつもより少し早足になった。続きの巻は隣の書店でやってしまおう。
途端。
「あ、あの」
「はい?」
舌打ちはぐっと堪え、初対面の好青年の仮面を無理矢理顔に貼り付ける。
振り向けば、走ってきたらしい若い女が息を切らしながら、しかしおどおどとしおらしく花宮を見上げていた。身に着けたエプロンのような制服からあの本屋の店員だということが見て取れた。
「すみません、レジ通されてない商品お持ちですよね」
「え?」
「……ええと、万引きっていうのかな、えっと、」
オラァさっさと返せ、ではない。まるで、こうするのがマニュアル通りだから頑張って参照して形作っている、とでもいうような素振り。言葉を選び、いちいち頭の中で選択肢でも作って選んでいるのが見ただけで分かる。
そして、花宮と同い年くらいのその女は言った。
「その、今私に渡すか店長に言われるかどっちがいいですか」
「……」
「あああああのあの別にその私したくてしてる訳じゃなくてその、バイトなんです」
「はあ」
「だからその正義感に燃えてた方がソレっぽいのかなっていうか、あ、何言ってるんだろ私、じゃなくてえっと」
バイトだから。見て見ぬ振りはできないから。社会的に駄目だから。
全て、決して、万引きした犯人への怒りではない。
彼女の目線は落ち着かないまま泳いでいる。大人しそうな、を通り越して大丈夫かこいつ、というレッテルを貼られそうな挙動不審振り。花宮は内心鼻で笑った。
──が、しかし。
ふっ、と眼球が彼を捕らえ、そのまま動かなくなる。
豹変ともいえそうな落ち着きに、ん?と首を傾げそうになったが花宮は堪えた。
「さっきは高校同じだなくらいにしか思わなかったんですけど、今思い出しました。バスケ部のキャプテンさんですよね」
「……」
「ええと、ハナミヤさんでしたっけ、いや名前は心底どうでもいいんですけど」
「……」
「だから、つまり」
「はい」
「漫画、返してください。そっと戻してきますので」
はい握手、なんて台詞のつきそうな間抜けたっぷりに右手が差し出される。
花宮はとうとう、ふはっと乾いた笑いを零してしまった。
「馬鹿じゃねぇのお前。誰が万引きは駄目です返してください、はいそうですかって返すかよ」
「……」
「ウチの高校バイト禁止だろ。俺が学校に言ったっていいんだぜ」
こいつにならバレたって支障ないと判断した。しかしその喧嘩腰がかえって彼女のふにゃふにゃした枝を叩いて撓らせてしまったらしい。
「いいですよ」
「はぁ?」
「私がばれたってどうせ親呼ばれて厳重注意で終わりますよね。でもあなたはきっと警察沙汰ですよ」
何故だかさっきまでのおどおど振りはもう微塵もない。
そうか、選択肢を選んだらもう突っ切るだけなのか。
と花宮は思った。さっきまではきっと必死に行動のマニュアルを作成していたのだろう。
「知らねーの?万引きは現行犯逮捕しかできねーって」
「……監視カメラってご存知です?」
「誰がカメラに映るとこでやんだよバァカ。把握してねーとでも思ってんのか」
「なるほど。バスケもそうやって勝ってらっしゃいますもんね」
「あ?」
バスケ、という単語に眉が寄る。
何でバスケ部主将という情報だけではなく、プレイスタイルまで知っているのか。
「いえ、なんでも……ええと、じゃあどうしましょう」
「知らねーよ帰れよ」
「えっとですね、バイトの分際で店を無断で飛びだしたからには何かしらを得て戻らないと怖いというか」
「クソ真面目だなお前。気持ち悪ィ」
「初めて言われました」
嘘だ。この女は真面目ではない。
全くの逆。不真面目なマニュアルを真面目にこなしているだけの偽物だ。
染めたことのなさそうな黒い髪や化粧っ気のない年相応の肌、じっと花宮を見る大きな目。ちょんと乗った唇に、通った鼻筋。パーツだけ見れば美人たり得るだろうが、全体的に言うなら、そう。
ダサい。まるで宝石になるために削られる前のただの汚い鉱石だ。
本当なら、花宮はここでしつけーよバァカとでも言って去っている筈だった。
しかし、どうしたことか。
「……ハァ。わぁったよ」
「わぁ、ほんとに盗ってたんですね」
「……」
「ってジョジョじゃないですか!私全巻持ってます〜!」
「……」
素直に、ごく自然に。風船ガムの男から拝借したソレ用の手提げからビニールに包まれたままの少年漫画を、女の腕に押し付けていた。
約束は破ったが、まぁいい。あんな口約束はどうとでもなるだろう。
それより今驚いたのは、女がその表紙を見て顔を輝かせたことである。
「あ、すみませんはしゃぎました。ええと、よかったら貸しましょうか?」
「は?」
思わず、素が出た。
「これが読みたかったんですよね?明日学校に持っていきますよ」
「……別に読みたかった訳じゃねーよ」
「え?じゃあどうして?」
「罰ゲーム」
「部活ですか?」
「まぁ」
「部活の方が読みたかったなら一緒ですよね。持っていきますから学年クラスフルネーム教えてください」
「来なくていいっつってんだろ」
「え?じゃあこれどうするつもりですか?罰ゲームならしなきゃ立場上危ないのでは?」
「はぁぁ?」
「キャプテンの支持率が下がると解散しちゃいませんか?」
「衆議院じゃねんだよ馬鹿かテメー……ったく」
「……はい、わかりました。では、また明日〜」
お気を付けてー、と手まで振られて、花宮はどうすればいいのかわからなくなった。
教えた情報を頭の中で回しつつ、ふっと名前を思い出す。
そういえば、いた。
綺麗な顔の癖に地味、その上つまらなそうな表情で居心地悪く教室に座っている生徒。
教室移動の時にちらっと見ただけの筈なのに、脳裏に焼き付いたあの顔だ。
あんな声で、あんな表情で話すのか。
そんな馬鹿みたいな考えを振り払って、あの男への言い訳をどうしようかとぼんやり思った。
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