PSYCHO-PASS

□エゴイズム
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「全部他人本位だわ」



うーん、と背伸びをしながら名無しさんが退屈そうに呟いた。

鈴を転がしたような声音に大人びた口調。
眠そうな目を細めながら唇を尖らせる。



「思考も行動も全部」



膝の上に置いた端末を隣に放り投げる。
音もなくソファに横たわったそれには、血塗れの遺体が映し出されていた。
遺体、というには原型を留めていないが、はみ出した眼球や切れ切れになった髪がはっきりと見て取れる。

彼女はもうそれを見ない。



「自らの意思に基づいて行動する人間なんて本当にいる?」



名無しさんは疲れたように横たわった。
隣に座る彼の膝に頭を乗せる。

頭上には本の背表紙。
顔の隠れた槙島を見上げ、つまらなそうにタイトルの印刷された厚紙をノックした。



「世間普通の人たちはむずかしい問題の解決にあたって、熱意と性急のあまり権威ある言葉を引用したがる」



名無しさんは唄うようにそう言って、足をぱたぱたと動かす。
愛撫を要求する猫のようにじぃっと彼を見つめた。



「ショーペンハウエルかい」



うん、と名無しさんは頷いた。
染めたことのない黒い髪が流れる。

冷たい空気の流れる部屋で、吐息の音すらはっきり感じられるような静寂を吸い込んだ。



「本を読んで吸収したことなんて、自分の意思じゃないんじゃないかって思うの」
「ほとんどまる一日を多読に費やす勤勉な人間は、しだいに自分でものを考える力を失って行く。か」
「それ」



槙島が本を閉じた。
見下ろした先に彼女の顔が見える。

手を伸ばして、名無しさんが本を奪い取った。
分厚いそれを胸に抱え込むと、手持ち無沙汰の彼女はぱたぱたと表紙を捲り、弄くる。



「作者はこの言葉を引用しろなんて言わないだろう」
「……たとえどれだけ引用したって、それはここを引用するっていう自らの意思に基づくものだと?」



首を傾げた。



「それなら、模倣犯も同じじゃない?誰々のようにになりたいっていう意思な訳でしょう?」



名無しさんは足元の端末を鬱陶しそうに蹴り飛ばす。
軽い電子板はカーペットに柔い音を立てて落ちた。

それを一瞥し、槙島は笑う。



「水掛け論かなぁ」



鶏卵論争だわ、と飽きたように吐き捨てた。

アンバーの照明に光る名無しさんの眼球が、くるりと彼を見据える。



「聖護、貴方は何のために生きてるの?」



本を胸に置いて、手を伸ばした。
槙島の透き通った髪に触れ、指に巻きつける。

彼は揺れない目で名無しさんを見て、ふと口角を上げた。



「君の為かな」
「気持ちの悪い冗談言わないで」



伸ばしていた手で頬を軽く叩く。
名無しさんは逃げるように身体を起こして、ソファの背凭れに身体を預けてそっぽを向いた。
それを槙島は対して気にも留めず、愛猫に引っ掛かれたような顔で笑う。



「みんな誰かに基づいてるくせに、生きることだけは自分の為なのよね」
「そうかな。生存意欲は他者に関する理由に基づくと思う」
「ふぅん?」
「生に対して自分本位になるのは痛みや死後の世界への恐怖からだ。1人で漠然と生きている人間には生きる理由がない」
「……みんな、死なないために生きてるの」



ふぅ、と息をついた。

踵でソファを蹴る。



「それって、とっても、退屈」



暫く遠くを見つめていた名無しさんが、いきなり顔を輝かせた。
妙なことを思いついた時の表情。



「人間が飼いたーい。私も何か観察して分析して見届けてみたい」



ペットを強請る幼子のように甘えた声を槙島へ投げる。
彼へ向き直ると、投げ出していた脚を持ち上げてソファへ乗り上げてしまう。
不気味なほど整った顔をずいと近づけた。
彼の腕を絡め取ると、抱え込んで肩口に頬を押し付ける。


欲しいものを頼むとき名無しさんは決まってこう擦り寄ってくる。
映画も本も電子機器も、食べたいものも、全部。
それを槙島が断らないことを知っていた。



「どんな人間がいい?」
「えっとね……なんにも知らなくて意思がなくて、真っ白で、誰よりも幼い子。そんな子に何か与えて……あれ、」



言いながら、スイッチの切れたアンドロイドのように固まってしまう。



「……そっか」



ぽつりと呟いた。
次いで、笑い出す。

そんな彼女の考えを理解した槙島が、反対側の腕で名無しさんの頬に触れた。
するすると滑る肌を撫でる。



「きっと読書好きの子が生まれるわね」
「本人の意思に任せるよ」



くすくすと笑いながら名無しさんは槙島の肩を押した。
膝に乗せていた本が落ちる。

自分に覆い被さってきた彼女の顎を持ち上げると、擽ったそうに目を細め、それから閉じた。













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