PSYCHO-PASS

□ノイズカット
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極彩色の照明。床が震えるほどの重低音。
何かが割れる音が隙間に聞こえて、それも直ぐに掻き消された。

一瞬で名無しさんの眉間に皺が寄るが、隣の彼はいつも通りの涼しい顔をしている。

槙島は辺りを見渡すでもなく、真っすぐ奥に進んでいった。
隣で絡み合う男女に触れないように身体を反らしながら、彼女はその背中を追いかける。


旧時代の海外映画の中でしか見たことのない世界。
鳴り響く音楽とアルコールの景色だった。

少しばかり奥まった所にソファーがあって、誘導されるままそこに座る。
気休め程度の仕切りだが、他の誰も入ってこないようだった。

程なくしてスーツの男がテーブルにグラスを置き、直ぐに立ち去った。



「……こんな趣味あったの?」
「別に好んで来てる訳じゃない」



げんなりした表情で名無しさんが訊くと、いつも通りの表情で槙島は答える。



「たまにこういう所に来るとね、人が何を娯楽としているかが見えて面白い」
「そういうのを好んで来てるって言うんじゃないの?」



テーブルの上のグラスを持ち上げて、眺めた。

薄く、よく磨かれたガラスは場内の照明を反射する。
透明な筈の液体は、目まぐるしく色を変えていた。

口をつける気にもならず、そのまま戻す。

レストランのようにナイフとフォークが用意されているあたり、料理も提供されているらしい。



「君も観察するといい」
「じっと見なくたってわかるわよ。普段抑圧されて生きてるんでしょうね」



つまらなそうに名無しさんは言う。

肌蹴たスーツの中年や、小奇麗なドレスに乱れた髪の女性。
目元を覆面で隠している者もいれば、何でもないような顔で話している若者もいた。

ほとんど揃って酒と薬に侵されていることくらい一目でわかる。
その理由だって、容易に想像できた。
ここは多様性が承認ではなく、容認される場であるということ。
どんな職種でも性的指向でも関心を抱かれることはなくて、ただここにある何かに浸ることができるということ。

それを観察することもまたこの目の前の男の娯楽であるということも。



「長居するつもりはないよ。帰るかい?」
「用があるんでしょ。待ってる」



少しばかり頬を膨らませて槙島をじっと見た。
彼は微かに笑って、腰を上げる。

対話か、何かしらの交渉かはわからないが、暫く暇になりそうだ。


周りを見ても何も面白くない。
じっと見る程でもない。
情報量は多そうに見えてひとつふたつ。

手でも洗って来ようと名無しさんも立ち上がった。



「……」



少しだけ考えて、テーブルの上のフォークを手に取る。
食事用ならば、そのへんのごついナイフよりも扱いやすい。

ワンピースのポケットに放り込んだ。



フロアを抜けて、通路に出る。
トイレを表す看板を見上げると、それに向かって歩いた。



「お嬢さん」



ドア付近で屯する数人の男に声をかけられる。

立ち止まる理由はないのでそのまま歩いていると、目の前に回り込まれた。



「そう無視すんなよ。まだ打ってねーみてぇだな」



綺麗とはお世辞にも言えない風貌だった。
煙草と酒、あとよくわからない香水のような人工的な臭い。

構わず横をすり抜けようとすると、二の腕を掴まれて引き寄せられる。



「っ、触らな……!?」



振り解く前に、首の横に何かが刺さる感覚がした。
針の先から何かが染み出て、皮膚の中に広がる。



「誰の紹介だ?こんな可愛い子知らねーぞ」
「そういやさっき中になんか白い──」



それを名無しさんに打ったことで緩んだらしい手を捻って下ろした。
逆方向に曲げたまま思い切り掌で関節を捻じ曲げる。

骨の折れる音と擦れる音を両方聞きながら、ポケットから取り出したフォークを目の前の男の顔に突き込んだ。

顔面で最も柔らかいところ。
固めのゼラチンのような感触。



「ぁが、」



後ろで呆然とする男の脇を後ろ向きにくぐり抜けて背後に回ると彼の後頭部を掴み、目前の男に殴るように押し付けた。

向かい合わせにぶつかった二人は、お互いの目を抉るフォークの先端と柄を感覚的に理解する。



「ぎゃぁあああ!」



一拍遅れて潰れたような悲鳴を上げた。
安易に抜くこともできないらしく、顔を合わせたまま恋人同士のように叫び続けている。

もう一人いたらしいが、いつの間にか消えていた。



「あ、……あ、ぁあ……」



ふと足元を見下ろすと、雨に濡れた野良犬のように震える醜男が目に入った。
何かを否定するように名無しさんを見上げて必死に首を振っている。

視線を外し、洗面所に向かった。



死んでいない。
ので、毒ではない。

倒れもしていない。
ので、アルコールの類でもない?

だったら、さっきのは何だろうか。



熱を持つ首筋を押さえながら、名無しさんはフロアに戻ることにした。




「……名無しさん?」



先程の席に槙島が座っている。
その隣に荒っぽく腰を下ろした。



「何かあったのかい」
「何も」



最初よりも不機嫌そうな名無しさんに、彼が首を傾げる。

彼女を覗き込む。
じっと見つめて、首元の腫れに気づいたように目を合わせた。



「これは?」
「……知らないわ」
「相手は男?女?」
「大丈夫。殺してない」



ふい、と顔を背けた名無しさんの首元に触れる。



「一人にさせたね。すまない」
「ナメないでよ。平気……っ」



微かに赤くなった痕をなぞると、彼女が息を詰まらせて肩を震わせた。

はっとしたように唇を噛み締めて、恨めしそうに槙島を見る。



「……触らないで」



微かに上気した顔をすぐに逸らし、それきり彼を見ない。



「帰ろうか」
「うん、……ぁ」



立ち上がろうとした名無しさんが、彼の腕を掴んでまた座り込んだ。



「……待って、あれ、っ」



脚に力を込めるが、震えて何も動かない。
槙島を掴む手も、ずるずると下がって力なく落ちた。



「さっきの薬だろうね」
「知ってるの……?」
「遅効性のドラッグだ。ここには売人が沢山いる」
「なに、それ」
「強い脱力感と幻覚作用、血行促進による感覚過敏。一時的な色相の好転。依存性もそこそこらしい」



だらだらと並べられる単語の波形が浮かぶ。



「君でもこうなるか」
「……観察しないで?」



吐いた息が熱い。
気づけば頭の中がふわふわと浮き上がり、目の前が回るような感覚でいっぱいになっていた。

耐え切れず、隣の槙島に凭れ掛かる。

名無しさんよりも低い体温が、いつも以上に冷えて感じた。



「うー」



吐き気、……ではないが、胃の中がぐるぐると掻き混ぜられているようだ。
体液の動きすらわかるような感覚。

逆に、大きすぎる音楽は遮断されたように遠くに聞こえる。


槙島が名無しさんの腰に手を回した。



「あ、」



びくん、と震える。

添えられた手が服越しに背中を撫でる。


名無しさんの髪を耳に掛ける指が頬を撫でて、顎を持ち上げた。
抵抗もできず、蕩けて潤んだ目が彼を見る。

槙島の穏やかな吐息の音すら聞こえそうだ。



「っ、ぁう」



とん、とん、と。
彼の指が腰の中心を軽く叩いた。

瞬間、名無しさんのお腹の奥に甘い痺れが駆けて、咄嗟に掌で口を覆った。


力なく後ろの手を振り払うが、逆に強く抱き込まれる。
背筋を駆ける電流のような甘い痺れは、脳髄で弾けた。

ぁ、と短い悲鳴のような声を上げ、目の前のシャツを握りしめて顔を埋める。



「……ッあ、ぁ……っう」



びくびくと肩を震わせ、ぐったり脱力した。
汗が滲み、肌を湿らせる。


屈辱だ。




耳元で聞こえる槙島の喉を鳴らすような笑い声に、名無しさんはぐらぐらと揺れる頭を抱えた。







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