PSYCHO-PASS

□擬態
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「ねぇねぇ、これ、どう思う?変じゃないかな、えへへ」



嬉しそうに、でも照れ臭そうに何かを差し出してくる友人。

名無しさんはそれを受け取ると、一枚捲った。


どうやら手紙のようだ。



「今時、お手紙?」



呆れたように言うが、しっかりと目を通す。



「うん!ほら、先生ってよく本読んでるでしょ?電子じゃないんだよ!」
「……それはまぁ、知ってるけど」
「だからね、紙の方がいいかなって!で、どう?」



中身は、一言で言えば、ラブレターだった。

が、直接的に恋を伝えるものではなく、何というか遠回しで。
連絡先のアドレスが添えられていて。



「一発目で先生好きです!なんて言っても伝わらないと思うんだよ。自然にお友達からさぁ」
「へぇ、それいいね。まずはプライベートに踏み込むわけだ」
「そう!で、どうどう?」
「いいんじゃないかな。女学生らしさがあって、下心は見えない。察してくれたらいいね」
「下心ってそんなぁ」



相変わらず照れ笑いを繰り返す友人に、それを丁寧に折り直して返した。



「名無しさんさ、呼び出してくれないかな……奢るから……」
「先生を?いいよ。今日?」
「うんと、今日は心の準備をする日」
「なるほどね。明日?」
「うん、……うん!明日」



彼女はちょっと覚悟を決めた顔で頷きながら言った。

場所を聞いて、文言も決める。

普段行けないようなお高めのお店のドリンク一杯で交渉成立だ。



「名無しさんほんとありがとう。よろしくね!」



嬉しそうな友人の顔を見られるのは悪くない。


でも、ちょっとだけつまらなかった。


例えるなら、秘密基地を誰かが勝手に掃除したような。
行きつけのお店がメディアに取り上げられた瞬間に混雑して入れなくなったような。
お気に入りの景色に、高層ビルが建つような。


あーあ。











「……」



うぃーん、ガコッ。
うぃーん、ガコッ。
うぃーん、ガコッ。



「頑張れ頑張れ」



うぃーん、ガコッ。
うぃーーーん、ガコッ。



「だめか」



立ち上がり、スカートの裾をはたく。


それに近寄ると、物体を検知したのかこっちに向き直ってきた。



「……ええと、こうして」



上部に手をかざすと、それは動作を止めた。


旧式の清掃ドローン。
これはどうやら段差に対応していないらしく、水道の下でよくつっかえている。

新型にすればいいという話だが、旧式とはいえ段差以外の性能は劣らないため、
お手洗いの床を掃除する専門で使用されていた。

お手洗いとその前の廊下で分ける。
まぁわかるけどそのこだわりはなんなのだろう。と名無しさんは思う。

除菌性能なんて今更当たり前に完璧だ。
同じドローンで掃除したって持ち越さないって誰もがわかるはずなのだが。

段差が越えられないので、本来備わっているタンクの水換えができない。
そこで日替わり当番さんよろしくね、という話。

長い話になったが。


なんとなくおもしろくない気持ちを昼から引きずっていた名無しさんは、
なんとなくその仕事をゆっくりとこなしていた。


タンクの水を入れ替える。

洗面所で念入りに手を洗って、お手洗いを出た。



「……」



とても遠くで微かに楽器の音がする。

とても遠くで、生徒の笑い声が小さく聞こえる。


足取りがふわふわして、なんとなくぶらぶらと広い校舎を歩いた。



最近、近くで物騒な事件があったらしい。

生徒が少ないのはそのせいだろうか。



教室のドアを開ける。

知らない教室。


足を踏み入れると、なんとなく感触が違っていた。
匂いも。

材質は同じなのに不思議なものだ。


生徒のロッカーを眺めてまわる。

参考書は電子だから、ほとんどなにも入っていないけど。


足を止めた。



「良いものは見つけたかい」



瞬間、不意に後ろからかけられた声に心臓が握り潰された。

……びっくりした。



「……柴田先生。ご機嫌よう」



振り返ると、目が合う。

蜂蜜色の瞳がいつもの様子を変えず名無しさんを見ていた。

振り返った顔を戻す。



「いえ、何も」



かつ、こつ、と、さっきまで気付かなかった筈の足音が鮮明に聞こえる。

次第に近付いて、斜め後ろで止まった。



「学校生活はどう?」



す、と彼が覗き込むように身体を屈めて訊いた。

囁くような声に名無しさんの耳が擽られる。


顔は向けずに目線だけを流し、愛想笑いのように微笑んだ。



「楽しいですよ」
「……。そうか」
「柴田先生、どうしたんですか?」



先程までの軽やかな空っぽの空気が変わったのがわかる。

じっとりと纏わりついて、這い上がってくるような。

空調に問題はない筈なのに、背中の辺りが熱い。……気がした。



「なら、良かった。……何か考えていたかな」



その声がさっきよりもずっと近くて、反射的にそちらを向いた。

目が合う。

色素の薄い目に肌に髪。
なのに、圧倒されるような、押し潰されそうなこの存在感は何なのだろうか。


……。

ぐ、と堪える。



「同じ形で素材で生活をしてる教室なのに、匂いが違うなって考えてました」
「匂い?」
「……ええと、比喩じゃなくて。そこはあんまり言語化できないんですけど」



自然に目を逸らして、そっと離れる。
もう一度教室内を歩くように。
窓際に向かって。

そうすれば、早く帰りなさいと一言を添えて立ち去ってくれると思った。



「同じ環境で同じことを学んで生きているのに、個人は細分化されていずれはシビュラに区別されていくのって面白いですよね……集団が個を作る、なら、どうしてその……ええと」
「面白い。続けて?」
「え、あ、あぅ」



何を言っているのか自分でもよくわからなかった。


こつ、こつ。

かつ、かつ。


……。

名無しさんが歩くと、柴田も歩く。


こつ。

かつ。


近づいてくる。

……追い詰められているのではないか?


無理やり逃走しようかとも考えたが、明日の友人ミッションを考えるとあまり気まずくなりたくなかった。

ごく自然にさらっとこなしてハイ終わり、の予定なのだ。

まさかこんな。



「あの、先生……どうして、近づいてこられるんでしょう……」



気づけば一番奥だった。

しかも角。掃除用のロッカーのあたり。


もう目なんて見られなかった。

名無しさんはひたすら外を見るしかできず、一人で静かに慌てふためくばかり。


そんな彼女に、いつも通り涼しい顔で柴田が近づく。



「わ、わ」



顔を背けたまま、反射的に腕を伸ばす。

とん、と胸の辺りに手がぶつかった。

ただそこにいた人間に触れただけの感触。

押し返されることなんてなかった。


……。

…………。


「……ふ、」


…………。

……。



喉の奥で名無しさんは笑った。



「うふ、っふふ、もう駄目だわ。あははは」



笑いながら彼の首に腕を回して引き寄せると、背後のガラスに凭れ掛かる。



「ここで大声あげたら終わっちゃうわね、ふふふふ」
「どうする?」
「全員殺せばいいでしょ。私が蜥蜴の尻尾になってあげる。あは、面白そう」



くつくつと上品な笑いを噛み殺しながら、瞬きと共に目の前の男を見上げた。



「ここの映像も消さなきゃね。……まぁ、グソンよりは上手くやるわ」



名無しさんは軽く吐息を漏らすと、瞼を吊っていた糸が切れたようにじとりと目の前の男を見つめた。



「女生徒で貴方と恋はできないってはっきりわかった。胡散臭すぎる」
「そうだろうね」



爽やかな笑みを浮かべる槙島。



「接触しないと思ってた」
「違う君と話してみたかった」
「ああそう……」
「ストーリーテラーだな。どこまでが名無しさん、君だった?」
「あら。柴田先生こそ人当たりが良いみたいで」



手触りの良いスーツに指を伸ばして触れながら、
不機嫌を隠すこともなく名無しさんは‘それ’を伝えた。



「……顔わかる?」
「いや……」
「まぁ、行けばあっちから来ると思うけど」
「……行ったほうがいいかい」
「行けば?」
「……」



何故そこまで機嫌が悪くなるのに勧めるのか。
という疑問は置いておく。
どうせ、興味があるとかその辺りの気分なのだろう。


王陵璃華子の件もあり、暫く槙島と口を聞かなかった名無しさんからしたら、このロールプレイングは丁度良い現実逃避だったのかもしれない。


2つに纏めて下げた髪に触れる。

表情ひとつでがらりと印象を変えるその整い切った顔が、一瞬元の女生徒に戻った。


槙島はその伏せた瞼に顔を寄せると、口付ける。

彼の首に回していた腕をするすると下ろして腰を抱き込むと、名無しさんはすっと背伸びした。

彼女の希望通り唇を重ねることにする。

長い睫毛に縁取られた目が、すっと細められた気がした。











「満足かい」
「うん!とーっても楽しかった。……にしても飽きるの早かったわね」



スカーフをするする抜いて、制服のボタンをぶちぶち外す。

裾を掴むと躊躇いなく捲り上げるように脱ぐと、隣の男に投げた。

頭から覆い被さるセーラー服。



「見ないでよ」



ソファーの肩に掛かっていたワンピースをキャミソールの上からすっぽり被ると、
スカートのホックを外して腰を上げる。

脱いだオレンジ色のそれも先程と同様に投げられた。

すっかり視覚を奪われた槙島は諦めたように読みかけていた本を置く。


名無しさんはどことなく機嫌が良いようだった。



「感謝していただきたいですね」
「してるわよ。制服の調達とデータの改竄ありがとう、グソンさま」



もう一人の男の視線はどうでもいいらしく、離れたところに腰掛ける彼には隠しもしない。

が、向き直ってお礼を言った。

我儘の後は素直ですねという嫌味を耳に入れず、
やっと頭から被せられていた制服を取ってソファーに放る槙島のネクタイを掴む。

少しばかり引き寄せて、上から下まで眺めた。



「顔変えた方が良かったんじゃない?」



真っ白な彼はスーツまで白系統で、どうも浮いていたと思う。

が、人の注意力というものは大抵の場合一箇所にしか向けられない。

目立つ何かがいたとしても、それが他と同じような役割で動いていて、
かつ中心に視線誘導されていたとしたら意外と気づかれないものだ。

あの物語の主役は生徒だったのだから。



あ、と思い出したように名無しさんがぴくりと眉を動かして、唇を突き出し尖らせた。

軽く睨む。

掴んだネクタイに力を込め、覗き込むように近付いた。



「出して」
「……ん?」



膝の上の本を開きかけていた彼は、吐息が触れるほど目の前に迫った名無しさんに口角を上げた。
指先で彼女の頬に触れる。

それが余計に癪に障ったのか、幼子に警告するようにゆっくりと発音する。



「もらったやつ出して」
「ああ、これかい」



忘れていたとでも言うようにごく自然に槙島のポケットから引き出されたそれを、
カードのように人差し指と中指で挟んで受け取る。



「……『柴田先生へ』」



表に書いた文字を目を細めて読み上げた。


ころん、と横になり槙島の膝に頭を乗せると、肘掛けに足を投げ出す。

暫く手元で弄んで、それ越しに見える澄ました顔を細めた目で見上げた。


中身は知っているのだから、開ける必要もないだろう。



「ふん」



心底つまらなさそうな顔で、ぽい、と投げた。

小綺麗なピンク色の封筒が斜めに滑り落ちて、床に落ちる。
衝撃などカーペットに吸収され、音もない。

誰も目で追わなかった。



「それは処分でいいですかね」
「どれ?」
「制服ですけど」
「……置いとく」



名無しさんの目が泳いだ。

グソンはちらりと槙島を見るが、気に留めない素振りで本を開いている。



「……飽きたら燃やしてくださいよ」
「わかってるわようるさいな」





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