PSYCHO-PASS

□恋人って何だろうね
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「唐之杜さん、これ」



ドアが開くのと同時に名無しさんがビニール袋を片手に歩いてきた。

ぱっと笑顔を浮かべて振り返る唐之杜。



「名無しさんちゃん」
「お疲れさまです」
「ありがと。多分……んー、夜には戻せるわ」
「伝えておきます」



早口にそう会話して、そこで初めて隣の紫煙を目に止めた。



「……」



固まる名無しさん。

瞬きひとつ、ぷいと顔を逸らして踵を返した。



自動ドアの音。



残された2人。

唐之杜がくるりと身体ごと振り返って、隣を見上げる。



「何かあった?」
「いや?」



薄ら笑いながら煙草を口に咥える。

一向に目が合わない。

彼の目は閉じたドアに向けられたままだ。



「……ははぁん、そう。へぇ」



楽しそうにそう言って、椅子を回す。

受け取ったビニール袋すら愛おしそうに指先で弄んだ。

くっくっと喉奥を鳴らしながら笑う。



「何だ。おい」



眉間に皺を寄せた狡噛の言葉には答えなかった。














「……あー」



気怠げに名無しさんがそう発した。

溜息に声が混じるほど、憂鬱だ。
心底そう思う。


ぐっと手の中の重い塊を握り込む。

ドミネーターは変わらない。
自分や周りが変わっても。



「名無しさん!」
「あ、」



思い切り腕を引かれ、目の前を鋭い風が切った。



「どこで買ったんだか……」



力強い腕に後ろから抱き込まれ、壁に隠れる。


拳銃だ。
すっかり頭から消えていたが、今回の相手は本物の拳銃を持っているらしい。


あのまま脳味噌が弾ければよかったのに……。



「おい。ぼーっとするな。死にたいなら助けなくてよかったか」



分厚い胸を後頭部に、軽口を耳元で受ける。
掠れたような低い声は、流石にヒヤッとしたなと笑いながら言った。



『おい、さっきの銃声は』



不機嫌なあの声に、びくりと肩がはねる。

自分を抱く腕に、余計に力が込められた。


どっどっと心臓の音が聞こえる。



「空振りだ。西へ向かってる」
『待機しろ。こっちで詰める』
「了解」



通信が切れた。

待機と言われ、すっと肩が脱力した。

が、離してくれない背後の男はそのまま話し出す。



「何か言われたか?」
「……話してないから、知らない」
「は」
「……1ヶ月くらい仕事以外で会ってない」
「同情するな、そりゃ」
「そろそろ離して……っ」



振り返って見上げる。

思っていたより近い顔に息が詰まった。



狡噛の服に染み付いた煙草の匂いが鼻について、



「……!」



鳥肌と吐き気と血が一気に顔まで上がってくる。

曖昧なくせに厭な部分だけ鮮明な記憶が目の裏側にまでぐるりと回って、
心臓が縮こまった。


あの日と同じ体温と匂いと声と腕と、

アルコールと、

……泣いた記憶と、

シャツのボタンを飛ばしたような気もする。

ソファー。

ぐるぐるぐるぐる。



「……、……!」
「何思い出してんだ」



鼻で笑う彼の腕が腹部からするすると下りて、ジャンパーの裾辺りに触れる。

瞬間、腰に静電気のような痺れを覚え、
身を捩って飛び退いた。


膝が笑って蹌踉めく。



『クリア』
『よし。戻ってこい』



六合塚、宜野座の冷静な声。

責められているような気がして、目の前がふわふわと点滅した。



「了解」



狡噛の目は名無しさんを見たまま、余裕の表情で軽く顎を上げる。

ポケットから取り出した煙草に火をつけるライターの軽い音。



「……最低だ」
「お互いな」



叫びたかった。















「宜野座さん」
「ん?」
「……今日、」



そこまで言って、机に目を落とす。


キーボードを叩く指の音。

複数開かれたタブが映るモニター。

紙の資料すら数センチ積み上がっていた。


……どう見たって、忙しい。


溜息を飲み込み、深呼吸のように吐きながら続ける。



「……なんでもない。それ、私やるよ?」
「いい。明日頼む」
「そう。……」



黙る名無しさんに、宜野座は指を止めた。

一瞬目を泳がせて彼女を見る。



「悪い。これが片付いたらな」



背筋にそわそわと冷気が上がってくる。

また吐きたくなる息を吸うと、名無しさんは口角を上げた。



「ううん、大丈夫。……おやすみ」



目を合わせられなかった。

伏せた睫毛が震える。


そのまま宜野座に背を向け、鞄を掴んでオフィスを後にした。



かつかつと靴を鳴らしながらエレベーターに乗り込む。

掴んだ鞄に手を突っ込みながら、上へのボタンを押した。
















ふつふつと込み上げる不平不満罵詈雑言。

あーあーみんなも自分も死ねばいい、なんて思った日には自傷行為に限る。
肺を痛めつけて緩やかに自殺を試みるのだ。




くそまずい濁った煙を口腔に入れ、それから大きく空気を吸い込む。



「……うー」



吐き出した白い息に顔を埋めるように俯いた。



「珍しいな」



名無しさんは顔を上げない。

手すりに乗せた両手首には力がなく、煙草を挟んだ指も垂れ下がっていた。



「ギノ待ちか?」



プルタブの小気味いい音が汚い空気に溶ける。



「……今日も無理だって、言われた」



やっと顔を上げた名無しさんは目を伏せたまま紫煙を吸い込んだ。



「お前、」
「わかってるよ。……わかってるって」



被せた言葉を反復する。


何がわかっているのだろう。

なんにもわかってないくせに。



「やってらんないや」



肺にも入れない煙をそのまま零しながら、笑った。

















「あれ、名無しさんちゃん帰っちゃった?」
「帰した」
「で、自分は残業?ほーんと甘やかすんだから」



否定はしなかった。

ただの無視かもしれない。



「ちゃんと会ってる?」
「……時間ができたらな」
「時間は作るもんよー?そう言ってる男は大抵作らないんだけどね」
「何の用だ」



キーボードを叩く手は止めず、眉間を寄せながら冷たく言う。



「ああ、いやこれ渡すの遅くなっちゃったから一言ね。ま明日でいいわ」



ひらひらとビニール袋を見せる。

そのまま宜野座の机に置いた。



「そんなんじゃ他の男に寝取られるわよ。もう遅いかもね。うっふふふ」
「……何を知ってる」
「んーん何にも。女のカン」



吐息まじりに宜野座を見下ろして言う。


紙の音。



「……」



唐之杜を隠すように資料に目を通す男に唇をひくつかせ、突然それを奪い取った。

なっ、と詰まる男の机にびしゃりと叩きつける。



「ほらもーこんなの明日に回して電話しなさい電話」
「黙れ」
「あー怖。じゃあね」



これ以上は怒鳴られると察した分析官は手を振り踵を返した。


自動ドアの音。



「……」



は、と短く息を吐き、眉間の皺を深くした。


腕の端末を見る。
















すやすやと素直に眠る顔を眺めていた。

大きく煙を吐き出し、手前の灰皿に煙草を置く。


乱雑に落ちた服をどっちがどっちのだと投げながら仕分けていると、

電子音が響いた。



「……」



テーブルに置いた監視官用端末が鳴っている。

表示写真は見知った顔だ。


灰皿に置いた煙草を咥え直して腰を上げる。


向かいのソファーの上で毛布にくるまった人型が動いた。

もぞもぞと反射的に腕を伸ばすが、肩まで肌が出た辺りで引っ込んだ。



「……さむい」



寒かったらしい。

気の抜けた仕草に思わず笑う。



「んん……電話」
「俺のだ。寝てろ」
「……ん」



寝返りを打つと、また小さい寝息を立て始める。


狡噛は鳴り続けるそれに手を伸ばし、拒否の表示を押した。



「悪いな」






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