PSYCHO-PASS

□模造
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ふと振り返った時だった。
自分の少し後ろを歩いていた友人のその向こう、はるか遠くの校舎の上で小さな影が揺れた気がして、つい立ち止まった。



「名無しさん?」



あるひとりのクラスメイトは顔を覗き込んでくる。
邪魔な顔の奥に焦点を合わせて、確信した。

真っ直ぐ走り出す。



「どしたのー!」



驚いた顔の友人の脇をすり抜けてから、思い出したように笑顔を浮かべてみた。



「忘れ物しちゃったみたい。今日は先に行ってて?」
「えー?わかった。またね」



軽く手を振りながら、駆け出す。

急げ、急げ。











向こう側から鎖で施錠されていたドアを蹴破った。

広い屋上を見渡して、フェンスの向こうにいた人影に向かう。



「間に合った!」



張り上げた声は、ぜぇぜぇという息切れ混じりの汚いものだった。



「……!」



はは、と軽く笑ってしまう。



「名無しさんさん……!?」



空に向けた身体を少し捻り、目だけで名無しさんを確認したその女生徒は目を見開いた。

コンクリートの縁は15センチほどしかなく、後ろ手でフェンスを掴むことでバランスを保っているようだ。



「と、と、ととと止め止めないでよ、わた、わ私、私っ」



がちがちと震えた歯が音を立てる。

手に、指に、踵に、更に力を込めた。



「あ、あああいつつらが、わる、悪悪いんだから、遺書に書いてやった、いじめてきたやつ全員、あは、はは」
「……?」



荒い息を整えたらしい名無しさんは最後に大きく深呼吸をすると、彼女に近づいた。

しゃがみ込み膝を抱え、頬杖をつく。
微かに唇を吊り上げ、金網越しに彼女を見上げる目に期待の光を灯した。



「止めないよ。ほら、早く」



手のひらを上に向け、道を譲るようにごく自然に促す。



「へ、え?ちが、違う……?」
「上からは見たことがなかったから見てみたくて。来ちゃった」



驚きで目を丸くした彼女自身、誰に止められたって飛ぶつもりだった。
ちょっと捻くれた「別に飛びたきゃ飛べばいい、でもな……」等という、結果的に心打たれて泣き崩れるような説得にも何も感じないと思っていた。
どうあったって飛ぶと決めてここへ来た。

が。
つまり観賞、しに来た……と?

わくわく、という表現がぴったりな笑顔を浮かべた名無しさんは黙って彼女を見つめている。

ああ……。
早く飛べよ、と言われているようだ。

わかっている。
飛ぶために来た。死ぬために来た。

フェンスを乗り越えるまでは順調だったのに。
意気揚々と部屋を片付けて、ルーズリーフに遺書をしたため、屋上への鍵を入手し、邪魔されないように鎖で施錠して。
いざ足をかけて上から見下ろしたら、吸い込まれそうになって手が離せなくなった。
外側の縁に立って後ろ手にフェンスを掴んで下を覗いて暫く、動けていない。

飛べ、飛べ、飛べ。

なのに。
……ああ、できない。
とんでもなく怖い。



「……ふわぁ」



欠伸の声。
退屈そうに目に涙を浮かべた名無しさんが立ち上がった。



「期待したのに無駄な時間だった。さよなら」
「あ、」



踵を返す彼女の顔は、心の底から失望していた。
鋭利な刃物で切り落とされたように一瞬で興味を失ったあの視線。

つい、身体ごと振り返った。



「え?」



後ろを向くために半歩引いて、踏み込めなかった。
足場が何もない。

フェンスをしっかりと掴んでいたはずの手は汗でびっしょりと濡れ、震えて空いた隙間から指が滑ってあっさり離れてしまった。

咄嗟に掴もうとした縁の角の部分で腕を微かに擦り剥いた。



「おや」
「あれ、聖護」
「……ん?」



いくら足を動かしてもどこにも引っ掛からず、手を伸ばしても空を掴むだけだった。

あとは落ちるだけ。



ひゅっと縮む心臓と、「落ちている」という浮遊感。



……気を失うなんて、嘘じゃないか。
だって、こんなに、怖い……



見上げた最後の空は曇っていた。




パァン!という破裂音に名無しさんは肩を震わせた。
それからすぐにハッとして槙島に背を向けて走る。

フェンスに駆け寄り、見下ろした。



「ああ、嘘……」



落胆する名無しさん。



「……」
「?」
「……間が悪い……っ」



ほんの一瞬目を離した隙だった。
行き場のない悔しさと怒りで手を強く握り込んだ。



「帰ろ」
「見たかったんじゃないのかい」
「見たかったけど。アレじゃない」



砕けた塊を見下ろしたまま言った。



「あーあ。……あーあ」



つまんない。
と、大きく息を吐く。



「君はこの状況をどう切り抜けるのかな」
「ん?」



ドアへと歩きながら槙島が言った。
じゃ、と手を上げて去っていく。



「逃す訳ないでしょ待って」



駆け寄って回り込むと、指を突きつけた。



「あなた、駆けつけた教師。私、説得したけど止められなかった友達。いい?」
「……できれば遠慮したい」



遠くでバタバタと階段を上がってくる足音が聞こえる。

存外早かったようだ。



「それは残念。頑張って」



ぐしゃぐしゃと彼女は自分で髪を乱し始めた。
綺麗に結ばれた束を逆立て、引っ張り出して、滅茶苦茶に。



「面倒だし終わったら次の場所に行かない?ブレザーも飽きちゃった」
「ああ、そろそろかな」
「……あの子の名前、わかる?」
「さあ」



困った風に肩をすくめる。



「うぁあああぁ……ぅぐ、ああ、ひっく……う゛ぅう……っ」



瞬間、名無しさんが喚いてその場にへたり込む。
腰を抜かしたようにぺたりと、砂まみれの地面に座り込んだ。
手で顔を覆い、肩を震わせる。
頭を抱えて髪をかき乱す。

槙島はそんな取り乱した彼女の背をさすりながら、次の自分の台詞を考えることにした。







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