PSYCHO-PASS
□自分の面が曲がっているのに、鏡を責めて何になろう
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「ねぇグソンっ」
もたれたソファの後ろから、上機嫌な声をかけられた。
嫌な予感と共に軽く振り返る。
またろくでもないくだらない何かを思いついたのではないかと、思わず顔を顰めていた。
「……何ですか」
名無しさんはいつもより数段高い声で得意げにタブレットを見せてきた。
まるでおもちゃを自慢するようなその態度に呆れながらもコーヒーを啜り、画面を覗き込む。
「こんなの見つけたの。面白そうじゃない?」
「ブッ、」
「うわ何きたな」
直後げほげほと咳き込んだ。
瞬時に引っ込められる端末。
画面には中型のトラックの商品画像が映っていた。
車内から撮られた写真では車体の後ろ側が透けているが、反対に外側からは鏡面になっている。所謂マジックミラー。
「……何に使う気で?」
「何って決まってるでしょ」
チェ・グソンの反応は予想外だったのか、名無しさんはつまらなさそうに鼻を鳴らした。
しばし見つめ合う。
「……」
「……」
また楽しそうに彼女は笑った。
名無しさんなりの良いことを思いついた時は表情がころころと変化して忙しい。
「この中で殺したら公安はすっ飛んでくるのかどうか。気にならない?」
「フゥ……」
安堵と呆れが同時に押し寄せ、グソンは前を向いた。
どうせ自分の意見など求められていない。
無視して、先程零したコーヒーを拭こうと腰を上げる。
「聖護〜っ」
その後ろで名無しさんは彼にも報告しにぱたぱたと駆けていった。
……。
今のうちに用事を入れておくべきだろう。
数週間、いや数日でいい、どこか遠くへ……。
生憎そんな都合のいい案件は転がっていなかった。
「手袋して。指紋つけない」
ぽいぽいとゴム手袋を投げられた。
「ヘルメットして。髪も落とさない」
ぽいぽいとヘルメットを投げられた。
そして車内。
「何で旦那は賛成するんですかねぇ……」
湯水のように金を使う名無しさんは案の定わずか数日でソレを手に入れた。
3人席の真ん中に座った彼女は久々の外出に忙しなく目を動かし、変わる景色に笑顔を浮かべている。
自動化された運転。
もはやポーズのみとなっているが一応ハンドルに手は添えておく。
窓枠に片肘をついてグソンは憎々しげに呟いた。
「賛成っていうか傍観でしょ」
「俺は運転士じゃないんですがね」
「うるさい」
生意気な小娘の我儘にはいい加減腹が立つ。
「別に俺はあんたに付いてる訳じゃない。勘違いするなよ」
「軍資金無しで動けるの?不法入国者」
間髪入れずに飛んでくる正論の槍。
言う通り、日本での活動の殆どは名無しさんの財源に頼っている。
色々な人間の寄生虫として生きてきたという彼女には、何人もの遺産を頭脳で増やしたらしい大金があった。
金は出すから暇潰しになれ。
自分で稼ぐよりも手間がかからず早いため利害が一致し、今に至るまで行動を共にしている。が、どうもお使いのような扱いが多すぎる。
言い返せず、ただ頭の血管が切れた。
「チッ、一通り終わったら殺す」
「長生きできそうね」
「……、」
言い返そうとして止める。
代わりに大きく溜息を吐いた。
このままどこかへ突っ込んでやろうか。
真ん中の座席は前転する形ですっぽ抜けて死にやすいと聞く。
「あ、この辺。止めて」
手元の端末上の地図を見ながら名無しさんが言った。
道路脇に停める。
人通りの多い広場の横だ。
「さて。見物しましょ」
シートベルトを外すと彼女は振り返った。
後部座席との隔たりもマジックミラーのようだ。特注だろうか。
こちら側からはガラスのように見える。
暫くして、伽藍洞な後部の、側面のドアが開いた。
「お届けものでーす」
帽子を目深に被り白いマスクで顔を隠した配達員が、ぽいと大きな袋を投げ入れる。
次いで、同じように顔の見えない黒尽くめの人物が入ってきた。
「んんん!んんー!!」
大きな袋からは呻き声が漏れ、もぞもぞと動いている。
即座にドアを閉めて立ち去る配達員。
がぢゃん、と音がした。
外から鍵をかけたようだ。
「凄いギャラリー。……何で覗き込む人がいるの?鏡なのに」
「あんたコレの用途知らないんですか?」
どっちでもいい話をしていると、黒尽くめの男が覆面を剥いだ。
どこにでもいるような平凡な顔だった。
男が袋に向かい、乱暴に開ける。
ごろりと転がり出てきた人物もまた、平々凡々な中年の男性。
「んんんんん!ん゛うッ!んんん!!!」
相手の顔と手にした包丁を目にして、囚われた方の男は猿轡越しに叫んだ。
「どうやって集めたんで?」
「面接した」
「はいぃ?」
時は数日前。
…………。
「はい!私にはどうしても殺したい野郎がおります!理由といたしましては、前職で酷いセクハラを受け……」
「私にも殺したいほど憎い相手がいます!妻を寝取られたのですが……」
「私がこちらに応募した理由は、大勢の前で人を殺してみたかったからで……」
「御社の理念に強く感銘を受けました!」
安物のお面や、サングラスとマスクなど、様々な覆面をした男女と1対1でビデオ通話をする名無しさんの姿があった。
……らしい。
…………。
「って感じで」
「集めて?」
「電話」
「……旧時代のジャパニーズ就活ってヤツですかね」
「なにそれ」
首を傾げた名無しさんが槙島の方を見る。
じっとガラスの向こうを見たまま彼は答えた。
「昔は適正に関係なく、個人の意思で職種を決めていたんだそうだ」
遠い昔。
今では旧時代と言われているあの頃の話。
「自ら志望し応募して、企業は面接を通して能力や人格を見抜き採用者を選ぶ。今は全てシビュラシステムが決める……つまらないな」
「へぇ。……聖護ならどこに行きたい?」
「……そうだな、」
ダン!という大きな音でその答えは遮られる。
「助けてくれぇ!!おい!殺される!!」
情けない叫び声を上げながら、猿轡を外されたらしい男がガラスを叩いていた。
涼しい顔で名無しさんは肩を竦める。
どうやら丈夫な造りらしい。
面白くなりそうな議論を止められて不服そうである。
「こっちに来ちゃった。どうして?人はあっちにいるのに」
「見えないってわかってるんですよ」
まるで動物園のようだ。
分厚い板一枚に隔たれた向こう側で、人が生きている。
男は暫く拳を叩きつけて叫んでいたが、
「助け……ああああああ」
後ろから髪を掴まれて仰向けに倒れた。
痛い痛いと転がりながら引き摺られていく。
「あははははは!!あはははは!ヒィ……」
包丁を手にした男が、掴んだ頭ごと後方のガラスへ押しつけた。
「見ろ!見ろ!!見えないだろ、あはははは!ははは!!」
ガン、ガン、とその額を何度も打ち付ける。
哀れな被害者は手足をバタつかせていたが、やがて気力を失ったように小声で助けを求め始めた。
助けて、ごめんなさい、ごめんなさい、と繰り返すその背に馬乗りになり、髪を掴んだまま上を向かせる男。
鏡一枚の向こうで行われていることなど露知らず、ギャラリーはしきりに覗き込んだり、映る自分を見ながら身だしなみを整えたりしている。
その様子を見て笑っていた男は暫くして覆い被さったその耳元に何かを囁くと、首の下に包丁を回し、躊躇なく刃先を突き立てた。
ヒッと呑まれる息、バタつく手足、血脂の混じった咳の音が響く。
憎悪で皺くちゃになった顔に笑みを浮かべると、何度も、何度も何度も何度も刺し直す。
やがて暴れる物音は静かに消え、甲高い笑い声のみに変わっていった。
「さ、出よ」
ぽんぽんと膝を叩かれてグソンはドアを開けて外へ出る。
反対側から先に降りた槙島が名無しさんに手を差し出した。
腕を借り、高い座席から飛び降りる。
「……ん?おい、開けてくれ!終わったぞ!おい!!」
車内から聞こえる音を横目に歩く。
暫くして、名無しさんがリモコンを取り出してトラックへ向けた。
「ぽちっ」
瞬間、鏡面だった後部が透き通ったガラスへと変化する。
集まったギャラリーの目の前へ、血濡れの男が2人現れた。
「え?」
「うわぁ!?」
「きゃあああああ!」
「ヤベェ何あれ!」
「何かの宣伝じゃないの……え、本物!?」
阿鼻叫喚は人を呼び、騒ぎ出した人々はまた次の悲鳴を引き込む。
「ヒィッ!!見るな!見るなぁぁああ!!!ああああぁあ!!!」
遠目に見ていた名無しさんが楽しそうに笑っていた。
「君が本当に見たかったのはこっちかな」
「満足満足」
帰りましょ、と彼女は上機嫌で言う。
「見られてないってだけであれだけ大きくなれるのね。したことは同じなのに見られた瞬間……人の目ってそんなに怖い?」
「人の目を通して自分を見たんだろう」
趣味の悪い遠足だった。
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