三國無双

□自業自得
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どんがらがっしゃん。
まさにそんな音が隣の部屋から聞こえてきて、飛び起きた。

姜維の右隣の部屋には、つい最近引き取られてきた名無しさんが一昨日から寝泊まりしている。

両親が死に、身寄りの無くなった箱入り娘。
その美貌や知力は凄まじく、喜んで諸葛夫婦に引き取られたらしい。

姜維、面倒を見てやってください。
なんて丞相に言われてしまっては断れなかった。


「名無しさん殿、何かあったのですか」


扉を叩く。

しばらくして、中から煩わしそうとも苦しそうともとれるような小さな返事が返ってきた。


「…名無しさん殿?」


仕方ない、と鍵のかかっていない扉を開く。

そこには。


「…………」


着物の帯に絡み付かれた名無しさんがいた。

姜維は言葉が出ない。

暫くして、はっとしたように叫んだ。


「名無しさん殿!?」
「助けてください…」


ぐったりと名無しさんはくぐもった声で言った。
















「助かりました」


ありがとうございました、と恭しく頭を垂れる名無しさん。
いえいえとそれを制しながら姜維は笑みを浮かべた。


「何故あのようなことに?」
「…ああ、」


穏やかに微笑んだまま彼女は言う。


「着物を自分で着たことがなかったので。恥ずかしながら戸惑ってしまいました」
「…………」


その返答に戸惑う姜維。

家庭の事情なら本人に罪はないとしても、そこまで過保護にする必要はあったのだろうか。
着物の着方なんて一般教養というか常識ではないのか。
過保護すぎるというか最早それは親馬鹿というものでは…。

いやいや、と彼は首を振る。
何か事情があったのだろう。


「父上が着物で指を怪我するといけない、なんて仰っておりました」


特になかったようだ。


「そ、そうですか。…ええと、昨日はご自分で?」
「いえ、孔明様に」
「…………」


あのエロ親父がと叫びたい衝動に駆られたが堪えた。
そういえば諸葛亮は昨夜から外出している。

しかしそれはいけない、と姜維は思う。

これから先は流石に着物くらい自分で着られた方がいいに決まっている。
というかあの真顔で変態的行為をかましかねない丞相に二度目を与えるわけにはいかない。


「名無しさん殿」
「はい」


彼は決心した。


「覚えてください」
「はい?」














「…あー、っと…」


人に教えるのがこんなに難しいとは思わなかった。

自分から見るのと他人から見るのとでは向きが違う。
合わせ目から戸惑ってしまう姜維。


「し、失礼します」
「はい」


仕方なく名無しさんの後ろにまわり、背中から抱くようにして衿を合わせた。

吐息の音まで聞こえてきそうで、一気に鼓動が速まる。

名無しさんの女らしい甘い香りと細やかな肌が目の前に感じられた。
少しばかり顔を寄せれば唇が首に触れてしまいそうな、そんな距離。
そう、このままほんの少し、


「…姜維様?」
「―――ッ!!」


喉がくっと詰まり、彼は我に還った。

いけない。
何を考えているのだ、自分は。

震えを隠しながら帯を手に取る。
そして名無しさんの脇からそれを通した。

瞬間、手を掴まれる。


「え、あ」


ぱさりと上質な帯が落ちた。

名無しさんは姜維の手を掴んだまま、それを胸元へ寄せる。


「名無しさん、殿…!」


切羽詰まった掠れ声。
心臓は早鐘のように鳴り続けていた。

そして、着物越しに何かが触れる。
弾力があって、柔らかく、質量のたっぷりとした――


「ぷっ」


名無しさんが吹き出した。
うふふ、と笑い、最後にはあはははと可笑しそうに声を上げていた。

からかわれていると気づく姜維。
彼女に対する怒りではなく、自分の情けなさを感じて身を引こうとした。

が、振り向いた名無しさんにそれを止められる。


「ごめんなさい、あんまり手が震えていたものだから」


片手で姜維の着物を掴み、目尻の涙を拭いながら見上げてくる彼女。
可愛い、と姜維は思った。

が、表情の消え失せた顔を伏せる。

笑いが引いたのか、彼女が申し訳なさそうな表情に変わった。


「…怒っておられるかしら」


名無しさんが心配そうに覗き込む。
しかし彼は何も言わない。

もしかして本当に怒っているのだろうかという顔をして、名無しさんが問う。


「姜維様、ねえったら」
「…貴女には」
「え?」


着物の胸元を掴むその腕を、掴み返した。
強引に引き付けると、よろけた名無しさんが姜維の胸に飛び込むように抱き留められる。

驚いた表情のまま名無しさんは固まっていた。


「他にもまだ、教えなければならないことが多いようですね」
「っ、姜維さ、」


背中にまわされた腕に肩を跳ねさせる名無しさん。
一瞬でぽんっと耳まで紅潮した。


「丞相にも頼まれていたところです。是非教育させて頂きましょう」
「え、あ、ちょっ――」








数時間後。
帰宅した諸葛亮は、嬉々とした表情で壁に耳を欹てている妻の姿を目にすることになる。








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