三國無双

□親愛対女
1ページ/1ページ




私をからかって面白いのだろうか。
名無しさんは洗い終わった着物を干しながら考えた。

思えば、最初にあんなことを聞いたのが間違いだった。

『俺を追いかけてる奴がいたら言ってくれ。俺はあっちに行ったってな!』
なんて言ってだるそうに笑っていた。
自分はただの女官だからと、何も考えずに協力した。

そうしたら彼、司馬昭は翌日もそんな風に頼んできて。
さぼって昼寝していると気付いたのはしばらくした後だった。

そして遂に言われたのだ。
『そうだ、お前の部屋に行かせてくれよ。そしたら、誰も追いかけてこないだろ?』
…だっただろうか。

正直言って、困る。
勿論彼にはそんなつもりはないとわかっているし、王元姫という正室の存在も知っている。
でも、困る。
…勘違い、しそうになって。

断れずに部屋に上げると、嬉しそうに寝転がってそのまま寝息を立て始めた。
呆れるほど早い就寝。

切れ長の二重や、肌理の細かい肌。
腕や肩も男らしくて、素敵だなと思わず見蕩れたのを覚えている。

そんな自分にも溜息をついた。

そんな日が暫く続いて、ある日。
司馬昭が夜訪ねてきた。

悪いけどここで寝かせてくれよ、なんて軽く二言三言。
あっさり上がり込んだ。

話を聞けば、自分の部屋では周りがうるさくて寝られない、とのことだった。
話し合いだとか大事な内容だと思うが、彼にとっては騒音なのだろう。

断ろう断ろうと何度も決意した筈なのに、無理だった。

結局、彼が寝ている横で背を向けて寝た。
…心臓がうるさくて、中々寝付けなかった。

そんなことは一度じゃなく、立て続けに幾度も起こった。

本当に、勘違いしそうになる。
好きになりそうになる。

いや、自分はずっと前から――、
…違う。

きっと、違う。
ただの憧れで、恋なんかじゃない。
これは憧れで、恋なんかじゃない。

自然と溜息が出る。


「…ハァ」
「よ、名無しさん」
「きゃっ!?」


驚きすぎて洗濯したものをぶちまけた。
折角洗ったのに、と慌てながら拾う。

司馬昭がそれを手伝いながら言った。


「なぁ、俺最近昼寝しなくても大丈夫なんだぜ」
「え?…ああ、そう、なんですか」


なんの報告だ。

…調子が狂う。

当たり前みたいに手伝われると、びっくりする。
優しくしないでほしい、のに。


「夜ぐっすりだからだな!」
「…よかったですね」


ははは、なんて笑う司馬昭。
こっちは寝不足だというのに。

…誰のせいでそうなってると思っているんだろう。
いや、そんなこと、気付いてる筈がない、か。


「で、さ」
「…はい?」


笑って彼は言った。


「今夜も行っていいだろ?」
「へ?」
「ま、駄目って言われても勝手に潜り込むけどな」


呆れた。
…心底、私を狂わせる。

ああ、もう。


「司馬昭様」
「ん?」


つい、睨むように言った。


「お戯れはやめて頂けませんか」


言ってしまった。


「私はただの映えない女官です。からかうなら、貴方様にはもっと良いお方がいる筈でしょう?」


…ああ、可愛げのない女だ。

彼には正室がいて、女に人気があって。
なのに自分に笑顔を向けてくれている。

でも、でも、無理だった。

やめてと言ってしまった勢いからか、勇気づいたか、驚くほど速く口が回った。
怒りにも似た感情が沸き起こって、止まらなかった。


「しかも毎晩共に寝るなんて、何もないにしたって有り得ません酷すぎます!
 私はそのせいで最近ほとんど寝られておりません!私の叶わぬ思いを玩ぶのはお止め下さいっ!」


一気に捲し立てると、顔を背けた。

もう、無理だ。
泣きそうで目が、頭が熱い。


「――!」


駆け出そうと動かした腕を掴まれた。


「何を…ッ?」


振り返る。
…思わず、持っていた着物を全部落としてしまった。

彼が、自分に出した反対の手の甲で口を覆って。
真っ赤な顔で、眉を寄せている。


「…あの、司馬昭様?」
「なぁ」


目は合わせてくれなかった。


「…今、何てった?」
「わ、わっ」


引っ張られて、向かい合わせに寄せられる。
両肩を掴まれて逃げられなかった。


「いえ、だから、私のような映えない女官をからかうのはお止め下さい、と…」
「その次」
「…………私の叶わぬ思いを、玩ぶのは、…お止め下きゃッ!?」


掴まれたそれを引かれて、名無しさんは司馬昭の胸に飛び込むように抱き寄せられた。


「っ、言った傍から、何をっ」
「つまりそれ、どういうことだ?」
「え?」


暴れても押さえ込まれて、動けない。

力強い腕。
自分よりずっと広い肩。
耳の上辺りで聞こえる声。

…心臓が痛いくらい、速い。
頭の中が掻き混ぜられたようにぐるぐると回っている。


「…ですから」
「うん」
「…私は」
「…うん」


熱い。

認めたくなかった。
でも。

嘘はつきたくもない。

きっともう、話しかけてくることはないだろう。
…だから、それならもう、いっそ。


「貴方様のことを、お慕いしております。…好きです」


言った。

…ただ、風の音が聞こえる。

静寂。
まるで自分の心臓しか動いていないようだ。

さようなら。
ちょっとだけ楽しかった。
嬉しかった。
自分なんかが、


「名無しさん、部屋行くぞ」


あれ?


「え、えっ?ひゃッ!?」


膝の裏を掬われて、抱え込まれた。

叫ぶ余裕すら、名無しさんにはなかった。

――ああ、こんなところを見られたら、他の女官に殺される…。











「いっ、た…」


部屋に入ってすぐに布団まで運ばれたかと思うと、司馬昭は名無しさんを半ば落とすようにその上に下ろした。
後頭部こそ腕で守ってもらったものの、強く腰を打ち付けた。

あ、とすぐに焦った様な顔をする彼。


「――悪い、大丈夫か?」
「はい、…その、どういうおつもりですか」


やめてくれと言ったことをされている。
いや、今までより度が過ぎている。

接触したことすらなかったのに、数分間でがらりと変わった。

目前、2、3寸の所に互いの顔がある。
瞳の色や動きまで見えてしまう、息のかかる、そんな距離。


「司馬昭様」
「…めんどくせ…」
「ッ、はぁ!?」


口癖だと分かっていてもかちん、ときた。

――瞬間。


「……?」


あれ?と思った。

変な感触。

唇に。
目の前に。
さっきより近く。

目が。
くちが。
肌が。

おかしい。
何だ、これは。

何かが当たっている。
柔らかくて、人の肌のような、皮膚、

…え?


「――!!」


強く、とても強く。
名無しさんは彼の肩を押した。

飛ばされこそしなかったものの、強く突かれて離れる体。

名無しさんは素早く起き上がると、数歩離れた。

心臓の鼓動が加速して、息も苦しくなるほど打っている。
耳が熱くて燃えているようだ。

さっき司馬昭が触れた唇を手で押さえて、見開いた目で彼を見つめた。


「な、っ…、にを、なさるのですか」


口付けた。

誰に?
誰が?

ただの女官である自分に?
あの、司馬昭様が?

…何で?
え?


「いや、つい」
「つ、ついじゃありませんっ!何で、」
「何でって。好きだからな」
「は?――嘘、…え?」


疑問がびしりと固まった。
背筋が凍るように冷える。

何で、が理解できない、に変わる。


「あのな、俺が何とも思ってない女の部屋で寝ると思うか?」
「はい」
「そうだろ…じゃねぇ!え、マジで?」
「はい」


たはー、とその場に座り込む司馬昭。
名無しさんは呆然としたまま、ぐるぐると変に回った頭で考えた。

…と、いうことは、だ。
つまり、その。

今までのちょっかいは全て好意ゆえのもので。
だとすると。
自分は、自分はなんて鈍感で可愛げのない…!


「名無しさん」
「はい?っ!」


伏せていた顔を上げると、立ち直ったらしい彼がいた。


「両思いってことでいいよな」
「はい?……!!」


からかうような顔。

名無しさんは急に恥ずかしくなった。

真っ青に冷めていた顔が火照りだす。
むしろ止まってくれとまで願った鼓動が速まる。


「あ、あの、司馬しょ、…さ、ま」


肩を掴まれて言葉が消えた。

引き寄せられる。

もう、抵抗しなかった。


「なぁ、今夜も来ていいだろ?」
「…駄目って言っても、勝手に潜り込むんでしょう」


いじけた様な口調。
名無しさんのその唇に、彼は笑いながら口付けた。







.
 

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ