三國無双
□過保護
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ぐ、と背を伸ばす。
気がつけばもう昼もとうに過ぎていた。
随分と集中できたらしく、朝には積み上がっていた仕事が残り僅かになっている。
「ん?」
ふと聞こえた音に外を見る。
雨が降っていた。
「あらら」
吹き込む雨風に慌てて簾を下ろし、困るなぁとひとつぼやきを漏らす。
疲れに首を捻りながら、ふと名無しさんはどうしているかと考えた。
疲れたときには名無しさんに限る、とよく馬岱は語る。
丁度彼の抱き着きやすい身長で適度に柔らかく、性格も五月蠅すぎず暗すぎないのだそうだ。それに、それをふまえてやはり彼が名無しさんを寵愛しているというのが一番の理由だろう。
馬岱は彼女を探しに腰を上げようとして、止まった。
「……あー」
そういえば、と考える。今日は馬で遠くまで出掛ける、と言っていなかっただろうか。と。
時折遠乗りに出掛けるのも名無しさんの趣味であった。大抵は馬岱が一緒であるものの、一人にさせてという日もある。
そしてそれが今日であることを、彼は午前の長い執務ですっかり忘れていた。
「――」
すっと背筋が冷える。
……待て、雨が降っている?
☆
「名無しさん!ああもう……心配したよぉ!」
名無しさんとしては、帰ってきて早々に小言混じりの馬岱の心配事を語り尽くされている状況が全く理解できなかった。
確かに多少雨に降られて凄絶に雨水に濡れたのは事実だが。
「こんなに濡れて……どこかで雨宿りしなきゃ駄目だよ!風邪ひいたらどーするの!」
「あ、ちょっと、岱」
ぐだぐだと言われながら軽めの防具を脱がされ、頭に布を被せられて強引に拭われ、それが終わったかと思うと今度は横抱きにされていつの間にか運ばれていた。
そしてそのまま暫くすると、湯気の匂いを感じる。どうやら湯が沸かしてあるらしい。
「ほら、脱いで」
てきぱきと慣れた手つきで着物を剥がされ、そのまま二人で湯室に進んだ。
そしてざぶりと温めの湯の中に漬け込まれて、やっと名無しさんは落ち着く時間を得ることができた。
「……岱、乱暴」
浴槽の縁に手を掛け目だけを覗かせた名無しさんが言うと、その脇にしゃがみこんだ馬岱が笑った。
「俺も疲れたよぉ。……ね、一緒に入っていい?」
「……ご自由に」
そう返してからその後の自分の運命を想像し、名無しさんは唇を尖らせて湯に沈んだ。
☆
「――でね、ほんとに心配だったんだよぉ」
「……そう」
その後、湯船の中で向かい合わせになって馬岱に事の成り行きを説明された。
なるほどそれなら仕方ない、と思いたいが、生憎名無しさんにはそんな可愛らしい思考はなかったようだ。呆れ半分溜息を洩らす。
「てことで名無しさん」
「?」
おいで、と腕を伸ばし返事も待たずに馬岱は名無しさんを引き寄せた。
肩を掴み、背中に腕をまわすと、ほわりと彼女の匂いと感触に満たされる。
上半身だけ寄りかかる姿勢が心地悪かったのか、名無しさんがぐいとそれを押し返してからもう一度擦り寄った。胡座をかく彼の腰に足を巻き付けるように乗り上げて、心持ち彼を見下ろす。
「名無しさん、それ……」
驚いたような表情を浮かべた後、いいのとでも聞きたげに首を傾げる馬岱。
「対面座ぐはッ」
「ばか」
密着する近距離から放たれたボディブローは、物の見事に彼の腹筋に打ち込まれた。
「い、言い切る前に反応したってことは名無しさんもそう思ったってことだよね」
「うるさい」
「ッ――」
名無しさんは乱暴に馬岱の顔を両手で引き寄せ、躊躇無く口付けた。
よく喋る彼を黙らせる為に何度かしたことのある方法だが、欠点がある。
それは、離すことができない、という点だ。離した瞬間、くるくるとよく回る口に言いくるめられて負ける。
「……ん、」
唇を動かすと、馬岱もそれに応じるように追い掛けた。
触れるだけのものからちゅ、ちゅ、と啄むような口付けへ移り変わる。
「ぷぁ、っ」
唇が離れた瞬間、息をつく間も与えずに馬岱が再度吸い付いた。不意を突かれてびくりと肩をはねさせる名無しさんの手を自分の頭から外すように指を絡め取る。逃げないようにしっかりと握り込み、湯船に押し付けた。
形勢逆転、と口角を上げる馬岱と恨めしそうに眉を寄せる名無しさん。
ぷちゅりという水の音が耳に届いて、くらりと頭が揺れた。
「ここでする?」
その為にほら、温くしておいたんだから。
そう告げた馬岱に、名無しさんは遠のきそうな意識を繋ぎ止めるのに全神経を総動員させることになった。
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