三國無双

□勝算
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「どうかしましたか?」


 書庫での出来事だった。

 諸葛亮と名無しさんは棚越しに、読み終えた本の内容について語り合っていた。
 しかし、突然声が消えた。

 棚を覗くと、先ほどまで楽しそうに話していた名無しさんが俯いて黙り込んでいる。


「名無しさん?」


 近寄って顔を覗き込む。

 何かあったのだろうか。見たところ何も怪我はしていないし、本が落ちたわけでもその山が崩れた様子はない。
 それとも自分が何か言ったのだろうか、と記憶を辿る。


「――」


 とん、と軽い衝撃。
 名無しさんが頭を諸葛亮の胸に寄せていた。

 誰もいない書庫。人の来る気配すらない、二人の静寂。

 彼は彼女にしては突然の萎らしい行動に自然と笑みながら、名無しさんの髪を撫でた。


「……、…」
「はい?」


 小さくつぶやいたかと思うと、顔を上げる。
 その目は心なしか潤んでいた。


「二人の時くらい、私を見てください…!」


 ふと、先ほどの会話を思い出す。
 話題から何となしに妻の名前を出した。あの一言か、と察するのと同時に、どうしようもない思いが沸き上がった。


「…名無しさん」
「はい?」


 また何か言いたそうな顔に手を添え、見詰める。素直に首を傾げた名無しさん。


「すみません。この私としたことが」
「へっ?あ、いえ、そんな、深い意味は」


 わたわたと慌てるものの、その腕からは逃げられない。

 頬に添えた手も、腰にまわした腕も。それから、絡みついた視線。
 数秒の後、ぽんっと名無しさんの顔が赤く染まった。


「や、孔明様、」
「お詫びといっては何なのですが」
「ふわ、ッ」


 引き寄せると、簡単に唇が重なる。

 強く押し付けると触れる熱い舌。噛み合う歯を割り入って、くちゅりと音を立てる。
 後ろに退く名無しさんを追うように寄せると、本棚にぶつかった。軽く揺れるが、動かない。
 差し込んだ舌で上顎を舐め上げると、名無しさんが小さく呻いて眉を下げた。ぎゅう、と強く諸葛亮の服を握り締める。

 存分に蹂躙した後に軽く吸いながら離してやると、名無しさんが凭れるように縋り付いてきた。
 その耳に口を寄せる。


「何かひとつ聞きましょう。何でもいいですよ」
「…何でも?」


 潤んだ目が彼を見上げ、つやつやと光る唇が言葉を発した。

 この純粋さ、初々しさにも惹かれた。自分に染めることも勿論だが、予想できないことをする彼女を見るのも楽しみの一つだった。名無しさんが不規則に起こす行動は計算では導けない。

 ううん、と暫く考える。
 濡れたように光を反射する黒髪が流れた。


「難しいです」
「そうですか?」


 自然と薄い笑みが浮かぶ。
 手触りの良い髪を指で梳きながら、真面目な顔で考え込む名無しさんを見た。伏せた目を縁取る睫毛も黒く長い。


「あ」
「何でしょう」


 はっと顔を上げ、目を泳がせる。
 暫く青くなったり赤くなったり忙しかったが、やがてすっと諸葛亮の耳元に顔を寄せ、消え入るような、でもはっきりと聞こえる声で言った。


「…もう一回、してください」


 彼女の出した勇気や余裕なんて儚いもの。思い切り、崩したくなる。


「一回でいいのですか?」
「ほぇっ!?」


 腕の中で暴れかける名無しさんを見て、今度こそ諸葛亮は声を上げて笑った。








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