ときメモGS2

□依存
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確か、13歳の頃。
妹は10歳だった。

手を引かれて連れられた白く明るい建物の一室で、大人たちに囲まれて、試験とやらを受けさせられた。

次々とやってくる紙切れに書かれた問題を解いていく。
単純で忙しく、難しくはなかったが楽しくもなかった。


全て終わった後に別室で待機していると、ちょうど妹の試験が始まるところで、無理を言って見守らせてもらった。

紙を見た瞬間に心底嫌そうな顔をして、鉛筆を持って頬杖をつく。
数分すると、裏返した問題用紙に絵を描き始めた。

妹は自分とは違って、数学はてんで駄目なのだ。
でも、代わりに絵が上手い。

……それからもうひとつ。




「妹の方はダメだな」
「そうかな。ちょっと試したいことがある」
「無駄だろう」
「やってから決めるさ」



緊張した面持ちの少女の前に、男はモニタを置いた。

ここに出てくる数字を全部足して、答えてみてくれ、と。
それだけ言って彼女の前にあった紙と鉛筆を下げる。

カウントダウンの後、画面に数字が表示された。それもほんの一瞬。
すぐに消えて、次の数字が映され、それが繰り返される。
点滅する画面を真面目な顔で見つめていた彼女は、暫くして悲しそうに唇をへの字に曲げた。



「327、638、914……無理」
「ふむ。もう一回、できるかな」
「わかんないもん……」
「次は紙を使っていい。電卓も貸そう」
「でんたく?」



試験官は呆れることもなく電卓の使い方を教えてやると、彼女の前に先程下げた紙と鉛筆を置いた。

そしてまた点滅する画面。
彼女は瞬きも惜しむようにじっとそれを見つめていた。
手にした鉛筆は動かない。

暫くしてモニタが消えると、彼女は俯いて紙に何か書き出した。



「……862、179、361、204、277、154……」



ぶつぶつと呟きながら拙い手つきで、しかし止まることなく数字を書き記していく。
全て書き終えると、置いてあった電卓を使ってそれらを全て足し、試験官に告げた。



「これ!」
「正解だ。覚えたのか」
「うん」
「もう一度。5桁だ」



男がこちらを一瞥する。


桁を増やしても結果は同じ。秒数を倍にしても同じ結果になった。
フラッシュが終わるまで画面を凝視し、それから書く。最後に足して、正解。



「どうやって覚える?」
「どうやってって?」
「文字で見える?形?」
「……?わかんない」



彼女は諦めたように答えた。



「君に宿題を出そう」
「宿題?」



男は周りを見渡すと、部屋の隅にあった本棚へと歩く。
適当に一冊取り出して彼女へと手渡した。



「美奈子。これを全部明日までに覚えておいで。お兄さんと同じところに連れていこう」
「え……いいの?行けるの?」
「覚えられたら」



希望の笑顔を浮かべた少女は表紙を見て肩を落とした。



「読めない字ばっかり」
「描けばいい。声に出さなくていい」
「それならできる!」



簡単!と続けた彼女を見て、試験官の男は笑った。



美奈子はとにかく絵が上手かった。
写真のように、焼き写したように描く。
それから……ぞっとするほどに記憶力がいい。



翌日、帰ってきた彼女は合格した、と楽しそうに言った。



この頃から親の存在が記憶から欠けている。
美奈子に聞いたら、何かわかるだろうか。











アメリカに飛び、研究施設に併設された寮に住んだ。

毎朝決まった時間に施設へ向かい、授業を受ける。
クラスは細かく分けられ、少数で受けていた点を除けば日本の学校とそこまで大きく変わらなかった。

違うのは、原則外出禁止だったことくらいだ。昼にあるランチ休憩と週に一度ある体育の授業を除いて。
過去に何人かがこっそりと逃げようとしたらしい。

別に構わなかった。
行く場所も帰る場所もない。
毎日詰め込まれるように与えられる知識や問い、蛍光灯の白さは次第にその意欲を奪っていった。



「お兄ちゃん、見て!」



授業が終わってすぐ美奈子のクラスを尋ねると、飛び出してきた彼女がノートを差し出してきた。

授業内容らしき数行のすぐ下に、写真かと見間違える程写実的に描かれたそれ。



「今日ね、裏の庭に猫がいてね」



描いてみたよ、と得意げに笑う。

裏の庭と聞いて首を傾げた。



「外に出たの?」
「……えへ」
「怒られなかった?」
「怒られた……」



教育棟と研究棟の間にある通路を抜けた先に庭があるのは知っていた。
最初に訪れた時、軽く案内されたきり目にすらしていないが。

自分は無意識に溜息をついた。

時として妹は後先考えずに飛び出すのだ。
呆れよりも心配が勝ってしまう。

もう自分には美奈子しかいない。
彼女がいないと、自分には何も残らないだろう。

守らなければ。
自分自身の為にも。



「上手く描けたね。すごいすごい」



だから。
大人たちに散々言われ尽くしたであろう言葉は飲み込んだ。












ある日。
いつも通り授業終わりに美奈子の教室を訪ねても彼女はいなかった。

誰に聞いても知らないと言うばかり。
諦めて施設内をぐるぐると探して回った。



「美奈子〜。どこだよ、もう……」



どこへ歩いても同じような部屋の並び。
階段、エレベーター、大人たちの顔も同じに見える。

美奈子〜、と何度も呼びかけながら歩き回った。



「お兄ちゃん!こっち!」



甲高い女の子の声が遠くで聞こえて、俯き始めていた顔を上げる。

廊下の向こう側で美奈子がぶんぶんと片手を振っていた。



「美奈子。探したよ」



疲れ切った声が出てしまう。
そんな自分に彼女は首を傾げて、胸に抱えていたそれを見せてきた。



「ほら、お兄ちゃんも抱っこしよ!」



おとなしいよ、と半ば無理矢理押しつけられる。

柔らかくて小さな、温かい塊。
腕に抱くと、うにゃんと動いた。



「猫?」
「ピンポン!」



美奈子がこの前見たと言っていた猫だ。
外から拾ってきたのか、施設内に迷い込んだのかはわからない、けど。



「……可愛い」



眠そうに、人間に興味などなさそうに、柔らかい身体を預けてくる塊。
呼吸の度にぷくぷくとお腹が動いている。

強く抱き締めたら潰れそうだった。


それから暫く2人ではしゃいでいると、どこからともなく大人がやってきてその子を優しく取り上げた。
何か話してから、猫を抱いたまま去っていく。

英語は覚えたてであまり聞き取れなかった。



「どこに連れていくの?」



訊いた美奈子の声に、返事はなかった。

不満げな彼女を宥め、帰ろう、とだけ告げる。



「……お兄ちゃん、猫、どこ行くのかな」



無機質に美奈子が呟いた声に、自分も返事はしなかった。

代わりに、空っぽになった手を繋いだ。







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