ときメモGS4
□引き抜きにくい釘
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仕事終わり。
いつもの喫茶店のいつもの席に座り、ウェイターに告げる。
「ホットとホットケーキ2枚……で。ハイ」
我ながら疲れた声だ、と思った。
荷物を隣に置き、慣れた姿勢に崩して携帯電話を取り出す。
「……ん?」
直後入り口のベルが揺れて思わず目をやると、
「こんにちは。……あれ、満席ですか」
パソコンを胸の前に抱えた彼女が困った風に立ち尽くしていた。
……この前強引に名刺らしき紙切れを渡してきて、その後も出会うたびにあれやこれやと短く話しかけてくる同級生。
学校の外で見たのは初めてだ。
明らさまに残念そうな様子に同情してしまい、つい口が開いた。
「小波」
「?」
呼ばれたことに気づいた彼女が店の奥へ目を向ける。
眠そうにしていた目がぱっと開いた。
「……Nanaさんだ」
驚いたようにゆっくり歩いてくる。
「ほんとに同じ世界に生きてるんですね……応援してます」
「それはどうも。名前覚えてなかった癖に」
「はい?……あれ、苗字……知り合いでしたっけ?」
……本気かよと疑いたくなるボケっぷりだ。
「同級生に似てる人がいます」
「よければ相席どうぞ」
「あ、はい……失礼します」
名前を呼ばれてなお気づかない。
目の前に座ると、七ツ森をじっと見つめた。きょとんとした黒い目の視線が顔面を滑るのがわかる。
「……入学初日でバレたからみんな知ってると思ってた。わかんない?」
「あ、声……七ツ森くんだ」
「七ツ森くんですね」
「えっ?あ、そっか、本人なんだ。……高校生だったから今は卒業してるのか」
へー。と淡々と言うと、持っていたパソコンを机に置いて広げた。
特に衝撃ではなかったのか単に反応が薄いのかわからない無表情。
「ここ家近くてさ、よく来るんだ。入り口近くにずっといるよ」
「へぇ。じゃあ前にも会ってるかも。俺も事務所が近くて」
「気づかなかったなぁ。ずっとパソコン触ってるから」
「脚本?」
「そう。まだ企画段階こえたとこ……」
電源ケーブルを机の下のコンセントに繋ぐと、またぴたりと止まった。
「モデルさんだったんだ。惹かれる筈だよ」
ぽつりと呟く彼女はひどく残念そうに見えた。
肩越しに振り返って手を挙げる。
近づいてきた店員に慣れたように、
「ホットコーヒーとホットケーキ2枚お願いします。伝票別で」
と告げた。
そこ被るかフツー、という言葉を飲み込んでいると、ものの数秒で2つ運ばれてくる。
「あれ?早い」
「俺の」
うん?と首を傾げる美奈子。
七ツ森の前に置かれたのを見て初めて理解したようで、同時に運ばれてきたグラスの水で唇を濡らした。
縁に付いた紅色に親指で軽く触れながら、目線だけを正面の彼に向ける。
「……いくらで撮らせてくれる?」
「はい?」
「そういうのって事務所に連絡すればいいのかな。ちょっと本物キャスティングしたことなくて」
ふんふんと一人で納得しながら顎に指を添えた。
「……制作費、足りるかな……いや、バイト増やせば……」
「まだ出るって言ってないけど」
「そっか。そうだった」
「……変なの」
学生の作る映画において、給料という概念はあまり存在しないようだ。
スタッフやキャストは身内で固めて、機材は学校のものを借りたり私物を使用する。
ロケ地は基本的に誰かの家か学び舎、またはゲリラ撮影と呼ばれる無許可での飛び込み。
クオリティを求める者はそれぞれプロに頼むなりスタジオを借りるなりするのが、学業をメインとした所謂金欠学生には中々難しく、予算は極限まで削りたいと考える者が多い。
コーヒーを啜りながらスマホを弄っていた七ツ森だが、絶え間なく降り注ぐ彼女の視線に思わず咳払いをひとつこぼした。
「なにか?」
「……やっぱ目鼻立ち段違い。ライティングしたい……」
「ライティングって」
「あの、ポートレート撮影とか、どうでしょう」
「はー?」
「1日拘束で……そうだな、……30リッチプラス交通費と食費と諸経費。どう?」
「さ……」
かなりの大金だ。
彼女なりの気遣いだろうか。逆にこれでも少ないよね?という不安そうな上目遣いでこちらを見てくる。
勿論いつもの仕事で得る給料よりは低いが。
「面倒くさい奴……」
……学校の知り合いのカメラで撮って貰う程度で金取っていいのか……?
などという葛藤に悩まされる。
彼女のフォロワー数を思い出す。
純粋な写真、映像ファン層が多そうだった。
撮る写真も悪くない。寧ろ良い。
投稿のネタにもなるし、お互いの拡散にも繋がるんじゃないだろうか……?
というか逆に金銭が発生することで面倒なことにならないだろうか……?
ぐるぐるぐる。
思考は回り、突き刺さる視線を振り払う。
「いいけど」
「やった!先払い?」
「……ハァ。いらない」
「え?」
「要はデートすりゃいいんでしょ。あんたと。勝手に撮れば」
「デート……??」
首を傾げながらも口角を上げる美奈子。
「ありがとうございます」
深々と頭を下げてくる。
「写真データはレタッチして渡す。私がどこかにアップするときは都度確認するし、七ツ森くんがあげる時は私のタグつけてほしい」
「いいでしょう。で、どこ行く?」
「公園通り行こう。昼過ぎ合致の日落ち解散」
「話が早い。りょーかい」
すらすらと並べられる条件、提案、情報。
……慣れている。
「何着てけばいい?」
「なんでもいいよ。任せる。不満あったらその場で買っちゃう」
「……へー」
「じゃあ、よろしくお願いします」
「はいよ」
約束の日。
「おはようございます!」
「おはよ。昼すぎてるけど」
美奈子は真っ黒なパーカーにデニム姿で、大きめのカメラバッグを肩に下げていた。
「本物だ。と、撮っていいんですよね……?」
「ドーゾ」
「よしっ!あはは!やった、行きましょうNanaさんこちらです」
「……七ツ森でいい……」
仕事を思い出して口をへの字に曲げる。
先を進む彼女は時折り七ツ森を振り返って、にこにこ絶えず笑っていた。
「アガってきた。あははっ!」
「テンションたっか……で、どこ行く?」
「いい背景知ってるんだ。もうちょっと向こう!」
数分歩いて、目的地らしい付近で美奈子がバッグを下ろした。
中から重たそうな黒いカメラを取り出しストラップを首にかけるとレンズを嵌め、液晶のボタンを操作し始める。
暫くして、またバッグを肩にかけた。
「あんまりキメなくていいよ。いつも通りで」
と言うと、話しかけながらファインダーを覗く。
歩きながら撮るらしい。
時々立ち止まって何々してみて、と言われたものの、インタビューでもしているかのような撮影形態だった。
歩いて、フォトスポットらしきところで止まって、また歩いて。
ぶらぶら散歩、というような時間を暫く過ごした後。
「撮った撮った。取れ高最大」
ベンチに座りカメラをしまう美奈子が満足そうに言った。
「あんなのでいいの?何もしてないけど」
「まぁ、初回だし。……大丈夫だよ。任せて」
一気にいつものテンションに戻った彼女。
アナスタシアに行こうと言われ、ついて行く。
ショーケースに並んだケーキをぼーっと眺めていると、前に立った美奈子が少しばかり自信なさげに言った。
「報酬が何もなしっていうのは流石にアレなので……好きなの選んでほしい」
「……ラッキー。マジ?」
「マジマジ」
「じゃ、これ」
「おっけい。……すみません、それとおすすめなの適当にあと5個お願いします」
「え?」
しれっと店員に告げる。
差し出された大きめのボックスを七ツ森に横流しすると、店を出た。
「今日はありがとう。来週あたりデータ渡すよ。じゃ、また学校で」
と言うと、軽く手を振って笑う。
余韻も名残惜しさの欠片もなく去っていく背中を見て、カッケェ等とぼんやり思った。
またある日。
「七ツ森くん」
「おぁ?……どうも」
すっと差し出されるUSB。
「この前のデータ」
「お。助かる」
「そのままあげる」
「話がわかる〜」
「感想待ってる。じゃあ」
単調な口調で素っ気なく渡すと、ひらっと手を振って踵を返していった。
……あの後も何度か彼女と話して気づいたことは、あの抑揚のない様子が通常だということだ。
怒っている訳でも落ち込んでいるわけでもない。
出会いのあのテンションの高さは、稀に見せるオタクの顔。
ポートレート撮影の日の最初数時間はあの調子だった。
大きな声や強引な押し付けが苦手な七ツ森にとって、それなりに話しやすい。
放課後。
自宅へ戻りパソコンにUSBを挿してファイルを確認する。
ひとつ、またひとつと画像を送り、眺めた。
……イイ。
はは、と気付かない内に笑っていた。
このままアップできる、と思う程好みど真ん中だ。
いつもは大抵アプリ内でもう一度色合いを加工して載せているが、これは。
構図も色も自分の表情も、被写界深度も自然光もレンズフィルターもここまでハマった経験はない。
机の脇に無造作に転がしていた紙を拾う。
携帯電話を掴み、ダイヤルを押した。
「もしもし」
抑揚のない単調な声。
低くも高くもない、耳にすっと入ってくる美奈子の声だ。
「あ、……どうも。七ツ森だけど」
「ああ、こんにちは。どうしたの?」
一瞬詰まる。
特別な賛辞を用意している訳ではなかった。
具体的な言葉は何も考えずに電話していた。
「あんたすごいな。良かった。写真」
そんな月並みな言葉が唇から滑り落ちて、正面のモニターで跳ね返ってくる。
これでいい。
……スキに理由や具体性なんていらない。
「ほんと?嬉しいかも」
「センスあるよ。普段撮ってもらってるような写真とはまた違った良さがある。マジでスキ」
「あははっ、その言葉嬉しいなぁ。ありがとう」
微かに美奈子の声のトーンが上がる。
その後も暫く、頭は空っぽのまま話した。
何も考えなくても伝えられたし、彼女もそれを喜んだ。
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