GS3長編 設楽聖司×お嬢様(完結済)

□知人の知人は他人
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「紅茶を頼んでいいか」
「ご種類は」
「任せる」
「承知しました。お部屋にお持ちすればいいんですの?」
「ああ。ピアノを弾くから返事できないけど。邪魔しないならべつに」
「!……!?」



静かに二度見された。



「はい」







気づいたら入り口のすぐそばに美奈子が立っていた。
机にでも置けばいいのに、茶を乗せた盆を持ったまま、よくわからない顔をしている。
驚いたような懐かしむような、泣き出しそうにも見える複雑な表情のまま固まって動かないので、自分からカップを取りにいった。



「……はぁ……」



ありがとうと言いながら取り上げると、はっと気づいた後に忘れていたように息をする。

設楽を見上げて、一言ずつ噛み締めるように言った。



「素晴らしいですわ。筆舌に尽くしがたい感動を覚えております」



ああ、はいはい……と、聞き飽きた感想に目を逸らす。

窓辺のテーブルにカップを置いて、外を眺めた。



「また聖司さまのピアノが聴けるなんて感無量で……あっ」
「……また?」



零れ落ちたような小さな呟きにぴくりと反応すると、設楽は振り返った。

口元に手を当てた美奈子が肩をすくめる。



「何でもございません。言葉のあやです」
「……」



彼女の頭からつま先までをじっと眺めていると、またあの感覚が強くなった。
記憶がノイズまみれの状態で掘り起こされて、ちらちらと揺れているような。


一瞬、頭の中の映像から靄が消えて、



「あ。おまえ……」



目の前の彼女とそれが結びついて思わず声を上げた。

美奈子がぴくんと肩を上げて後ずさる。
取り繕うような笑顔で不自然に目を逸らした。



「では失礼いたしま……っ」
「ちょっと待て」
「あ、何を、」



後ろを向いた彼女の腕を掴んで引いた。
逃げようとする控えめな抵抗を無視して、引きずるように部屋の中心まで。

肩を掴んで振り向かせると、そのまま目の前のそれへと彼女を突きつける。



「弾いてみろ」
「……そんな、わたくしがピアノなんて弾けるわけが」
「弾けるんだろ」
「いいえ。未経験者ですわ」
「嘘はいい。思い出した。弾け」
「……」



胸に抱えた盆を取り上げた。

困ったように見上げてくる。



「……、」



黙ってもう一度促すように顎を上げると、美奈子は諦めたように動いた。

椅子に浅く座ると、両手を鍵盤にかざす。
ペダルに足を添える。
それだけで彼女が経験者であることは充分にわかった。

しかしそこから動かない。

手元を覗き込むと指が震えていて、それを止めようとしているのか何度も手を握り込んでいるのが見えた。
ふぅ、ふぅ、と浅く早く呼吸を繰り返している。

緊張しているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。



「……っ、は、はぁっ、……、っ」



軽い悲鳴のような呼吸をひとつしたかと思うと、完全に俯いた。
立ち上がると、逃げるようにピアノから離れる。

部屋の隅で美奈子は文字通り頭を抱えた。



「ごめんなさい、ごめんなさい、無理です。申し訳ございません」



かぶりを振って、空中を見つめながらか細い声で謝る。

明らかにおかしい様子に驚いて、彼女に歩み寄って顔を覗き込んだ。



「弾けません。許してください。許してください」
「落ち着け」
「ごめんなさい、許してください」



謝罪の言葉を繰り返し、悲痛な表情を浮かべ、震えた手で耳を塞ぐ。


設楽は、彼女が昔どこかで見かけたピアニストの1人であることをやっと思い出した。
5年ほど前のことで、苗字も変わっていたし、何より興味がなくほとんど記憶から消えていた為時間がかかった。

今だって別にそこまで彼女の演奏が聴きたかったわけでもなく、普段から何度もピアノを聴かせろと迫ってきて鬱陶しかったので、じゃあおまえも弾けと思って促しただけだ。

……それだけなのに意味がわからない。
まるでこれでは自分が悪役だ。



「おい。俺を見ろ」
「あ、ぅ」



ごめんなさいと繰り返すうちにヒートアップしてきたのか、美奈子は誰か別の者に向かって謝っているように目が遠くを見始めた。

その肩を掴んで軽く揺する。
はっとしたように彼女が顔を上げた。



「……あ、えっと……」



誤魔化すように口元に引き攣った笑みを浮かべる美奈子。
正気に戻ったようなので、もう一度引っ張ってピアノの前に座らせた。

さっきと違うのは、設楽がもう一脚、別の椅子を運んできたことだ。



「合わせて弾け。得意だろ」
「……」



記憶の中の彼女は確か、2人で弾いていた。

美人デュオ姉妹だか何だか知らないが、音楽関係のメディアがこぞって取り上げた一過性の有名人だ。
そういったニュースに微塵も興味がなかった設楽の目にまで届くほど大きな流行りだった。

……すぐ、見なくなったが。



「どっちがいい」
「……」
「ちゃんと聞こえるのは右か?左か?」
「……右です。どうしてご存知で……」
「セコンドでいいな?ちゃんと踏めよ」
「……」



質問には答えない。

以前彼女の部屋に行った時、机に転がっていたあの小さな機械を見たらわかった。
何故呼びかけに答えない日があったのかも理解した。

祖父母の家で見たことがある。
あれは補聴器だ。

彼女は答えなかったのではなく、聞こえていなかった。


右側に設楽が椅子を置くと、美奈子が静かに立ち上がって左側へ自分の椅子を動かす。
並んで2人で座った。



「俺を一人で弾かせるなよ」
「……、」



何か言いたげに設楽を見たが、彼は構わずに鍵盤に指を置く。
反射的に彼女も同じように構えて、設楽が何を弾くのだろうと静かに見守った。


部屋に澄んだ音が響く。



「ベートーヴェン……」
「おまえに似合う」



音が聞こえてすぐ美奈子は呟いた。

昔、散々弾いた曲。
擦り込まれるように何度も何度も聞かされた音。

だが今それを奏でているのは、もう一度演奏を聴きたくて堪らなかったピアニスト。

……指の震えが止まった。



「意地が悪い……っふふ」



難聴で有名な作曲者の1曲を今この状況で選ぶ設楽の性格の悪さについ笑ってしまう。

笑ったついでにそのまま息を吸って、手に力を込めた。










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