GS3長編 設楽聖司×お嬢様(完結済)

□糸切り鋏
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毎日のように2人で弾くので椅子を背もたれのない、横に長いものに変えた。
別におまえのためじゃないいちいち動かすのが面倒だからだと美奈子に何度も言い聞かせたが、さようですかと嬉しそうに笑われる。
ちっともわかっていない。


ソファーに座って肘掛けに腕を乗せて頬杖をつきながら、彼女が弾くピアノを聴いていた。



「ちょっと左も聞こえるようになりましたのよ。微かにですけれど」
「ふぅん」
「指は治ったみたいですの。あんなにリハビリに必死でしたのに。人体って不思議ですわね」
「治ってそれか?」
「ま!ひどい」
「冗談だよ」



指を止めた彼女が話しかけてくる。

いつの間にかフォームが直っていて驚いた。
どうやら本当に手の方は元に戻ったらしい。
まだブランクを感じさせる拙さはあったが、昔真剣に弾いていたというのは嘘ではないとわかる。


また聞こえ始める軽く澄んだ音。


設楽が立ち上がり近づくと、楽譜に落としていた目が向けられた。
美奈子は相変わらずいつでも笑顔を浮かべて彼を見る。



「一気に治るものじゃないんだな」
「みたいですわ。長い間使っていない部分ですもの。ふふ」



おかけに?と、美奈子が右側にずれる。
ピアノを背に、反対側を向いて座った。

彼女の横顔を見つめる。

美奈子はいつでも、伸ばした髪を左側に流して緩めに結っていた。力作業をするときはそのままくるくると巻いてしまう。
それが耳を隠すためだと設楽が気づいたのは最近だ。
隠さなくても気にしないだろと言っても聞きやしない。習慣なのですわと返される。
いつも耳たぶの端だけが髪の下から覗いている。ぴょこん、と。

そのやり取りをふと思い出して、目の前の髪を指で掬うと耳の後ろに引っかけてみた。



「きゃっ」



驚いて手を止める美奈子。

いつも隠れていた左耳が見えるようになって、設楽はふぅんと妙な満足感を得た。



「最近の聖司さま、その、やっぱりおかしいですわ」



怪訝そうな顔をする。

立ち上がった設楽をそのまま目で追うが、彼が立って後ろに回り込むと諦めて前を向いた。
背後に立たれると緊張するのだ。
言葉の中身よりも声色や顔に感情が現れる設楽のことは、目で見ないと何もわからない。



「へぇ。どうおかしい?」
「あっ……あの、そっちはうまく聞こえませんので……っ」
「聞こえてるだろ」
「ち、ちゃんと単語が聞き取れなくて、……あ、」



だから、彼が急に耳に口を寄せてきた理由もわからなかった。


外した補聴器はハンカチでくるんでポケットの中にしまってある。
小さく吹き込んでくる声は右の耳でも拾っているが、妙な遠いノイズとかかる息の微かな感触しかわからない。
背筋がぞわりとして、思わず軽くかぶりを振った。

ふぅん、と設楽がそれだけ言って顔を離す。

ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、背中に彼の胸が当たるのがわかった。



「美奈子」
「っ、ふ……!」



今度はよく聞こえる右の耳の真後ろから声が聞こえて、思わず上げそうになった悲鳴を咄嗟に手で押さえ込んだ。



「だ、だから……やっ」
「こっちがいいんだろ?」
「ひゃ、……ぁ、ッ」
「ん?」
「うあ、」



吐息混じりの声が鼓膜を震わせる度、直接脳を揺さぶられているかのような感覚がした。
耳だけではなく背中や腰からぞわぞわと痺れが上ってくる。
心臓が高く鳴りすぎて、きゅうっと止まるような心地さえし始めた。

ああ顔が熱い頭が熱い。
逃げたいのに動けない。
動けないのに、いうことを聞かない身体は勝手にびくっと跳ねてしまう。
ピアノにもたれかかるように力がどんどん抜けて、……



「ーーーひっ」



……ふと、譜面台に鈍く反射する自分の顔が目に入って美奈子は息を吸った。

見たことのない表情をしているのがわかった途端、はっと我にかえった。
考えるよりも先に、熱いものに触ってしまった時のように、全身に力が入る。



「〜〜〜!!」
「痛ッ!?」



いきなり美奈子が立ち上がったので、彼女の肩に顎のあたりを下から上へぶち抜かれた。
舌を噛まなかったのがラッキーである。

じーんとした痛みに顎を押さえていると、ピアノと設楽から逃げるように離れた美奈子が声を上げた。



「も、もうっ、だからっ、わたくしを弄ぶのはおやめください!」
「……」
「いやだ……どうして、あんな顔……っ」



真っ赤な顔で訴えられても、きゃいきゃいと子犬が鳴いているようにしか見えない。

何をしても良い反応をするのでいじめすぎたと思い、設楽は唇を軽く尖らせた。



「……悪かった」
「へっ?」
「ほら。座れよ。もうしないから」
「……うそ」
「嘘じゃない。やりすぎた」
「…………あの、そんな、どうして素直でいらっしゃる……」



恐る恐る、という風に椅子に戻る。
ピアノに背を向けるように浅く腰掛けると、彼の顔を見上げた。
片耳になると言葉が聞き取りづらい為、しっかりと設楽の唇を見て、単語を補完しながら脳で処理していく。



「俺もよくわからない」



見上げてくる淡く色付いた柔らかい頬に親指の先で触れる。
人差し指で顎を持ち上げて、まじまじと見つめた。

不思議そうな顔で言う。



「妙におまえがかわいく見えるんだ。最近」
「ーー」
「顔が変わったのか?変わってないよな」
「……、か、かわっ、!?」



そのまま眺め回していると、されるがままぽかんとしていた美奈子が急に目をまんまるに開いた。
一拍おいて呑み込んだその台詞に驚愕する。



「……!……!?……!!!」



口をぱくぱくとさせて言葉を失い慌てたかと思うと今度は真っ青になる。

ふっと力が抜けて前屈みに倒れこんできた身体を咄嗟に設楽が受け止めると、そのまま手足が弛緩した。



「ん?どうし……おい、美奈子?美奈子!?」



揺さぶっても返事がない。
俯いた顔を覗き込むと、彼女は完全に気を失っていた。









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