黒子のバスケ

□アルバイト
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「花宮くん?もう部活行ったんじゃない?」



 と言われてしまっては仕方ない。鞄を持って体育館横の部室棟へと足を運んだ。
 とりあえず1部まで、と思い5冊を簡易な紙袋に包んで下げてきたが、何だか差し入れを持ってきたいちファンみたいである。

 ノックする。
 返事はない。

 先に体育館へ行くべきだっただろうか、と考えながら、しかし手を掛けたノブが回るのを見て人の気配を感じた。誰かいるのだろうか。それともただの不用心か。



「失礼します」



 そっとドアを開ける。
 部室独特の籠もった空気を顔に受け、眉を寄せた。

 見渡しても、人影はない。
 隙間から身体をそっと滑り込ませながらもう一度声をかけようと息を吸う。



「……あのー」
「どしたの?」
「わひゃぁあっ!?」
「ちょ、びっくりさせんなよ」



 こっちの台詞だという台詞は驚きの前に消えてしまった。
 鞄を落とし、紙袋も手の中ではね回る。

 後ろからドアに手を掛けて思い切り開かれ、斜め上から声がしたのだ。名無しさんのちっぽけな肝っ玉は縮こまってしまう。

 何とか漫画はしっかりと手に収め、落とした鞄を拾って振り返った。



「す、すみませんすみませんごめんなさい!」
「いやそんな謝んなくていーけど……何か用?」
「あ、えっと、その、……花宮くんを探してて」
「!!」



 花宮のミ、辺りでぱぁっとその男の顔が輝いたのがわかった。多分。

 なにぶんこの男、前髪に隠れて目が見えない。そして丁度風船ガムを膨らませていた。
 ぱんっとソレが弾けて彼の口元を覆い、舌が回収したと同時に肩を掴まれる。

 甘い匂いだ。ブドウ味だろうか。



「もしかして名無しさんチャン?ジョジョ持ってる?」
「あ、はい」
「ひょーー待ってましたァ!入って入って」
「え、そんな上がること……わわ、わっ!」



 渡したら帰るつもりだった。これ、と紙袋を差し出せば嬉しそうに受け取られた。しかし更に、ぐいぐいと中に押し込められてあっという間に部室の奥へ入ってしまう。
 短い通路を抜ければ、ロッカーとベンチが辛うじて置いてあるがその他は何部だかわからないような産物の散らばった部屋があった。

 風船ガムの男は名無しさんをベンチに誘導すると、どかっと床に座る。壁に凭れて袋を広げた。



「そーそーこれこれ。いやーマジラッキー」
「……万引き、めんどくさいので駄目ですよ」
「金なかったんだよねー。つか何?真面目?」
「……」



 万引きを注意して真面目かと言われるのは人生でこれが2度目だ。しかも同グループ。

 言い返す言葉を見失い諦めて部室を見渡す。散らかった鞄やきちんとロッカーにかけられた制服に、生徒の性格の違いが見て取れた。
 その中のひとつに甘ったるそうなガムの包みがあって、これは彼だなと思うと同時に名前を見た。原一哉。



「部活はしなくていいんですか?」
「え?」
「教室行ったら花宮くんは部活行ったよって言われたのでてっきりもう始まってるのかと」
「ああ、どっかでシケてんじゃね?」



 その反応が始まってんのやばいではなかった時点で察した。この部活はテキトーだ、と。いやこの男がテキトーなのかサボり魔か。



「……じゃあ、私帰りますね」
「えー、もうちょいいてよ。男くせーとこに可愛い子いたらメッチャテンション上がるし」
「可愛い子?エリナさんとかですか?可愛いですよね理想の妻っていうか」
「いやいやいやあのね……つーかまだ一部だし」
「二部はいつ持ってきましょう?明日?」
「んーそーだなァ」



 理解してくれる辺りアニメでも見たのだろう。そして慣れていそうなところを見るとすぐ読み終わりそうだ。

 ばぁん、と音を立てて部室のドアが開いた。
 横を見れば、花宮真。練習着姿で汗までかいている。



「原テメーサボッてんなよコラ」
「あれ?花宮が部活してるー」
「うるせェ外周行ってこい」
「えーいいじゃん名無しさんチャン来てるし」
「……うげ」



 そしてそこで初めて気付いたというように花宮は名無しさんを見て口元を引き攣らせた。



「お久しぶりです」
「久しくねーよ」
「さっきぶりです?」
「名無しさんチャンそれジョジョネター」
「黙れ原」



 名無しさんを視界から外すようにロッカーの前まで進んだ花宮に彼女もまた興味をなくしたように目を逸らす。
 ベンチから立ち上がり、にやついている原に頭を下げた。



「じゃあ帰りますね」
「だァから待ってって言ってんしょ」
「きゃっ」
「あ、ごめーん」



 手首を掴んで強引に引いた原が倒れ込んだ名無しさんを受け止める。188センチの身体はびくともしない。唖然とした彼女をぐるっと反転させて崩した胡座の上に安定させ、腕をまわして抱き寄せた。
 カップルかお前らという体制だが、色気は全くない。固まった名無しさんに、既に漫画へ目を移している原。

 ペットボトルに口をつけながら横目にそれを見た花宮が噎せた。



「あでもこれいーかも。名無しさんチャン彼氏いんの?」
「い、らないっ、です!離し……ッ」
「ふーん?いそーなのに」
「ちょっと、前髪長いです切ってください!」
「いやそれ関係なくね」
「くすぐった、っ……原くん!」



 ディオが養子に来た辺りに目を通しながら目の前の頭に顎を乗せてぐりぐり遊ぶ彼に名無しさんはやっと我に還ったのか、じたばたと暴れ出した。暴れんなって、と顔が項に寄せられて彼の前髪に擽られた辺りで名無しさんがびくりと震えて原の脚を力なく叩く。しかし次にやべーおもしれーと原が言ったのは漫画に対してか自分に対してかわからず、眉を下げて大人しくなった。



「つか他の奴らは?」
「……まだ走ってる」
「え、花宮一抜け?」



 さっすがキャプテーンとけらけら笑いながら原は同意を求めるように名無しさんを斜め上から覗き込む。
 真っ青になったり真っ赤になったりと忙しい名無しさんの表情がびしりと緊張で硬直した。

 それを見た花宮がピクピクッと目元を痙攣させる。



「ハァ……。没収だ寄越せ」
「あー!!」
「10周な」
「うぇーそりゃねーよキャプテン」



 青筋を浮かべた花宮がつかつかと歩み寄り漫画を引っ手繰る。頭の真上で叫ばれた名無しさんがきゃっとまた声を上げた。
 
 嫌々というように頭を掻き毟った後、原は名無しさんを抱き上げるように立たせてじゃーねーんと去っていく。
 嵐が過ぎ去った名無しさんは暫く呆然としたまま原の消えたドア方面の宙を見つめていた。



「……」
「……」



 花宮はそんな彼女を頭の天辺から爪先までを眉間に皺を寄せたまま眺める。
 奇妙な沈黙。


 そして、突然名無しさんが我に還ったのかびくっと肩を震わせて落とした鞄を持ち上げた。



「失礼しましたさようなら」
「おい」
「……まだ何かあるんですか」



 しかし意外なことに花宮がそれを呼び止める。

 不満そうに唇を尖らせた名無しさんが振り返ると、彼はロッカーに向かっていて表情が見えなかった。



「水汲んで来い」
「はい?」
「そこのジャグ2つ。五分以内」
「はいい!?」
「よーいドン」
「え、ええええ!?い、行ってきますっ」



 条件反射。
 再度鞄を落として転がっていたジャグを拾うと、名無しさんは外へ駆けていった。



「……フン」



 それを面倒くさそうに一瞥し、花宮は時計を見た。

 帰ってきたら、次は何をさせようか。



 






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