PSYCHO-PASS

□さようなら
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目を覚ますと、高い天井が見えた。

古ぼけた照明。



視線を動かす。

向こう正面のソファーで本を読んでいたらしい女がこちらに気づいた。

本を閉じ、腰を上げる。



「……」
「おはようございます」



なんとなく。

会ったことがある気がした。



なんとなく。

お前は誰だ、という会話はいらない気がした。



「ここは」
「私のおうちです」



軽く目線を動かす。

しん、と空気が響いていて人の気配がない。



「……1人か」
「はい。1人になりました」




狡噛の寝転ぶソファーの側にしゃがみ込み、顔を覗く。

起き上がろうとした身体を優しく押し返された。

額に手が当てられる。



熱がないことを確認すると、彼女は柔らかく笑った。

押していた肩からも手を離す。



「大丈夫そうですね」



すっと立ち上がると、ぱたぱたと歩いていった。

食器の音。


戻ってきた彼女の手にはお椀とスプーン。



「どうぞ。食べられます?」
「……」
「何も入れてませんよ。先に食べましょうか」



警戒されていると感じたのか、一匙掬ってみせる。


いやいい、と返した声は掠れていた。



「……どうも」



改めて身体を起こす。

あちこちから痛みが蘇ってきたが、生活に支障はなさそうだ。


軽く湯気の立つ中身を見ると、簡素な薄い粥が入っていた。

台所の方を見ると、コンロに乗った鍋が見える。



「自動化してないのか」
「はい。ちょっと好きじゃなくて。今時非効率的ですよね……えへへ」



ハイパーオーツではない食事。

そこで思い出す。



麦の畑。

殺した白い髪。

手にした銃の引き金を引いーーー

銃は?



ポケットを探る。

何もない。



「あ。あの、服は洗濯させていただいたんですけど……血塗れで」
「ああ」
「お財布とか、身分証とか……その類がなくて」



そこで机に置かれたリボルバーと、ライター、煙草に気づく。

小綺麗なハンカチに乗せられたそれらには触れることなく、彼女は続けた。



「すみません。ちょっと、探したんですけど」
「落としたか……いい」
「でも」
「身分なんて無くなったさ」



皮肉に吐き捨てる。

?と女は首を傾げた。


ずるずると食べ終えると、すぐに食器は下げられた。


そして、冷蔵庫から出したペットボトルを渡される。

透明な水。



「酷い傷で……よく歩いてましたね」
「よくある」
「……よく生きてますね」



くすくすと笑う彼女。

狡噛に向けての警戒心がない。

だが、しっかりとした観察の眼は感じた。



また彼女が彼に近寄って、替えますねとしゃがみ込んだ。



「うなされてましたね。身体もですけど、随分と気も張ってたんじゃないですか?」
「……」
「あの辺って工場みたいなのがあるだけみたいですけど、何してたんですか?ふふ」



足元にあった箱から包帯と消毒を取り出し、慣れた様子で取り替える。



「よし」
「手際がいい。医者か?」
「いいえ。見よう見まねです」



軽く笑う。


落ち着きから、知性が感じ取れた。

……年齢が読めない。

普通に考えれば20代中盤だが、表情があどけない。大人びた10代にも見える。

服装は特徴のないワンピース。


……意味のない考察だ。



「治るまで暫く居てください」
「悪いが行くところがある」
「どこです?」
「教える義理は……」



替えた包帯と消毒綿をビニールに入れて結び、ごみ箱に捨てながら彼女が振り返って首を傾げる。


いや、義理はあったか。



「……海外に」
「国外逃亡?まぁ……悪いことをなさったのね」



うふふ、と笑う。



「だったら尚更、健康体で行きましょう」



向き直って、悟すように言った。


動揺のなさはかえって異常だ。

傷ついた身元不明の男が海外に飛ぼうとしているにも拘らず、理由もなく匿おうとしている。

ここにきて警戒心が戻ってきた。



「何で見ず知らずの男にそうまでする」
「はい?」
「見つかったらあんたも巻き添えだぜ。俺が口封じに殺さないとでも信じてるのか」



少々問い詰めるように言う。

探りを入れる時の常套手段。



強くなった語気に、それでも彼女は動じなかった。



「それならそれでもいい。殺したいならお好きになさってください」
「は」
「寂しいんです。私。お話相手になって?」
「……あんたな」
「見つかりませんよ。うふふ」



絶えない微笑みに、どこか。



「……」



諦めのようなものを感じた。














表面はダークブラウンのログハウス。
内装は、絵に描いたような洋風の古い屋敷。

家具は旧時代の物で溢れていた。
AIの類やホログラムは無し。

一階はリビングとキッチンがひとつの部屋に纏まっていて、二階に個室がいくつか。
出入り口は2つ。
広めの庭には物干し竿や薪割りの道具が小ぢんまりと置かれていた。
……1人で住んでいることがよくわかる。

階段をのぼって、一番手前の部屋を案内された。



「このお部屋、使ってください。隣は……ちょっと」
「別に詮索しやしない」
「助かります」
「仕事は?」
「……資産運用です。何故?」
「立派な家だと思ってな」
「そうですか?遺産ですからあまりわからなくて」
「これはあんたの部屋か?」
「はい。物置はちょっと散らかりすぎて……駄目ですね。ものぐさで」



どうぞ、と小さな鍵を渡された。どうやらこの部屋のものらしい。

……別に使う気はない。と、ベッド横のチェストに置いた。



「ちょっと出ますね。ご自由に」
「ああ」
「あ、煙草はお外でどうぞ。中は禁煙でお願いしますね」



ドアを閉めて出て行った。

ぱたぱたという足音が遠のいていく。



「……」



色々と話が早いのは助かるが、早すぎてこちらが置いていかれているような気分だ。



整えられたベッドに腰掛けると、周りを見渡した。

……江戸川乱歩。ニーチェ。スティーヴンキング。アガサクリスティ。シェイクスピアにキェルケゴール、パスカル、太宰治……

旧時代、というところ以外はあまり思想に統一感のない本棚。
紙で揃えられているところには拘りを感じるし、好みがどこか似通っている。悪くない。

だが、その他に何もない。

ベッドと脇のチェスト。簡素な照明。
まるで引っ越して間もないような。


……まあいい。衣食住があるのはこの上ない幸運だ。


















……ひとまず、滅茶苦茶に警戒されている訳ではなさそう。
まあ、こちらが強引に押し切ったのだが。

お互い注意しつつ、探っている、という雰囲気。

第一段階はクリア。

やっぱり、想像通り、聞いていた通り。
あの眼光にはぞくぞくする。

でも前映像で見た時よりは切れ味が落ちている?

……それって、やっぱり、あの人を…………たからだろうか。


多分、2人はまた出会って対峙した。

どんな会話があったのだろう。

どうやって殺したのだろう。

殺した?

……何故死んだ方に賭けているのだろうか。


わからない。
私はまだ死体を見ていない。
この目で見るまでは、わからなくていい。


生きてたら、あの家で鉢合わせることになるなぁ。

それはそれで見てみたい。



抜き取った私物を離れたところで燃やした。

オイルをかけて、マッチを投げる。

炭になった全部は穴を掘って埋めた。



あの男には、今は銃と煙草があればいいだろう。

どちらも自分が死ぬための手段だ。

こちらが撃ち殺される可能性もなくはないが、私の知る彼はそうはしない。





手早く済ませた後は、足を速める。

間に合うだろうか。





高揚の後に来るのは深い喪失感。



「……」




……ああ。

ああ。

ああ、やっぱり死んでいた。



夢じゃない。嘘でもない。

麦の畑からも暫く離れた、なんでもない場所で。

思い出のいっぱい詰まった、人が人である理由のなかみをぶち撒けて死んでいる。

撃たれたのだろうか。
ケーサツのあの変な形の機械だったら、こんなに身体は残らない筈だから、実弾だ。



ぱたりと倒れた身体は酷く軽そうに見えた。

飛び散った脳味噌はかき集めない。

私はジャクリーヌじゃないから。



随分と時間が経っているらしい。

お別れの挨拶は急いだ方がよさそうだ。



ごそごそとポケットを漁る。

……あった。

彼の形見、になるのだろうか。


いつの日か私も欲しいとねだったあの刃。

切れ味を知りたかった。



……こんな時、どうすればいいんだろうか。

泣いても別に、生き返らないし。
喚いたってあの声は聞こえないし。

死体に飛び付いて涙を落としたら生き返るんなら、いくらだって流してみせるけど。


というか今までだってずっとそうだった。

宿主が、遊び相手がいなくなったなら、次を探せばいい……





ざああ、と風で遠くの麦が鳴る。木々が葉を揺らす。

強い風に押されるように、身体がふらついた。





「……さよなら」




風に舞った砂が目に入る。

痛い。

視界が滲む。




本当に好きだった。
のかもしれない。

自分の退屈を埋めてくれるのは貴方だって思った。

もっとたくさん話したかった。

もっともっと、意味のない議論がしたかった。

まだ自分が読んだことのない本も、教えてほしかった。

私よりもずっと博識でおもしろい貴方と一緒だったから、毎日楽しかった。

飽きたら捨てるし捨てられるって思ってたけど、
全然飽きなかったな。


たのしかったよ。



とは、口にしなかった。

目を擦って、踵を返す。



「……おかしいな、……あれ、あれ……?」



目に入った砂、取れないや。

痛くて仕方ない。
















……どうにも包丁を持つ手つきが危なっかしい。

玉ねぎのみじん切りというのは、そうやるものなのだろうか。

辛い刺激にすんすんと鼻を鳴らし、目を潤ませながら穏やかに話す。



「へえ、警察なんですか?」
「だった」
「警察をやめるのってそんなにボロボロになるんですか?こわい」
「……」
「あ、そうだ。一階も案内しておきます」



思い出したように刃についた欠片をすー、と指で落とすと、まな板に包丁を置いてさっと手を洗った。

そのままぱたぱた歩いていくので着いていく。

一階の奥、ダークブラウンの扉を開く。



「お風呂です。服はここにどうぞ。タオルも適当に」



手で差しながら話し、ふっと狡噛を見て笑った。



「お手洗いはこっち。まぁその、ご自由にお使いください」
「助かる」
「ええ。助けましょう?ふふ」



口元を隠すように笑って、付けたばかりの電気を消した。



その後も服はどうのだの、スイッチはどこだのと説明する彼女は言う通り楽しげで。

寂しいんですと語っていた様子は嘘でないように思った。



















庭で手頃な木材を持ち上げる。

さながら、ダンベルの如く。

台の上に置き、鉈を振り上げた。



「お身体に障りません?」



洗い終えた洗濯物を抱えた彼女がよたよたと歩いてきた。



「腕は上がる」
「あらまあ……あっ」



白いシャツを落としそうになり、慌てて足元の籠に投げるように放り込む。

……籠の方を洗濯機の近くに持っていけばいいのではないかという突っ込みは飲み込んだ。



「鍛えてるんですね。素敵です」



その後も暫く様子を眺めている。



「……」
「ほぉう……」



はえー、わー、等という小声が視界の隅でちらちらと聞こえる。



「楽しいか?」
「……あ、すみません!」



はっ、と頬を染めると物干し竿に振り返った。
















「どっちにします?」
「……どっちでも」



自分で選ばせることで何もないことを示しているのだろうか。



「気を遣われるとやりづらい。もう疑っちゃいないさ」
「すみません……」



しゅんと肩を落とし、両手に持った皿をテーブルに置いた。



「……だって、変かなって……自分でも」



日数を経て、自分を客観視したらしい。


暫く共に過ごす内に、世話を焼いている相手に向けて逆に罪悪感が芽生え始めたようだ。

自信のない世話焼き者がよく陥る。

迷惑じゃないか。やり過ぎているのではないか。面倒だと思われていないか。疑われているのでは。



「普通、こんな……ですよね。そりゃあ警戒されたって」
「あんたが疑問を持ってどうする。今更」



すぐ隣でコップを取り出しながら狡噛が言った。

彼女は不意に近くから聞こえた声にびくっと肩を震わせ、



「熱……っつぅ……!」



その拍子に、火をつけたままの鍋に手をぶつける。



「おい。平気か」
「ごめんなさい、ごめんなさい大丈夫です」
「大丈夫じゃないだろ」
「あ、や、ち、近……!」



覗き込んで、ぶつけた方の手を握られた途端に一歩下がろうとし……



「ひゃぁっ!」
「あ、」



足がもつれ、そのまま後ろにバランスを崩して倒れ込んだ。

狡噛もつられたが、一歩踏み止まる。



「……っ」
「何をバタバタ……捻ったか」
「ひねってないです……っ!?」



掴んだままの彼女の手首をぐっと引き上げる。

されるがまま立ち上がって、



「あぅ、……はぁあ……」



口をぱくぱくさせ、真っ赤な顔で手を振り解くと、蛇口を捻って流水に手をさらした。

すみません、ごめんなさいと呟く彼女。



「……、」
「ごめんなさい、あの、座っててください。大丈夫です」



狡噛はかけようとした言葉を飲み込んで、肩をすくめた。








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