ときメモGS2
□依存
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日に日に、施設での暮らしに慣れていった。
決まった時間、決まった人間、決まった授業、決まった食事。
部屋を出る時だけガラスに隔たれていない太陽を見た。
英語にも慣れてきて、クラスの人間や大人とも話し始めた。
「美奈子」
彼女の集中力は、たまに怖いくらいに発揮された。
声をかけても答えない。
表情の消えた顔で筆だけを動かす。
昔は絵を描く時、あんな顔しなかったのに。
「美奈子。ご飯冷めるよ」
「……あ、うん。食べる!」
自分が間近で話しかけて初めて目に色が差す。
「うまく描けない。色が違うの」
「上手だよ」
「んー。ありがと。がんばるね!」
何かを描くの、昔は楽しそうだったのに。
君からそれを奪ったのは自分かもしれない。
ちゃんと、守らないと。
自分には彼女しかいなかったし、彼女にも自分しかいないのだ。
……なんて、今思うと傲慢かもしれないけど。
☆
自分のクラスは誰が見ても「数学」だった。
でも美奈子のクラスはよくわからない。
見る度に人間が変わっている気がするし、たまに教室からいなくなっていた。
何をしていたのだろう。
「お兄ちゃん、海って見たことある?」
「あるよ。飛行機で見なかった?」
「真ん中の席だったし寝てたもん」
美奈子は、普段どんな授業を受けてるの、なんて退屈な質問をさせてくれない。
だから自分は訊かないことにする。
きっと彼女も、なんでもない話題を投げかけることでそう自分に訴えかけているから。
「今日ね、映画を見たの。海が出てきて」
「うん」
「崖があってね、灯台もあって!お姫様も出てきてね、すっごく綺麗だった!」
「そう……よかったね」
「うん!行ってみたいなぁー」
寮の鍵を開けると、洗面所に向かった美奈子がふと言った。
「私ね、なんか今度お仕事するんだって!」
「仕事?」
「うん!なんかね、なんかわかんないけど、書いてある番号と配置を覚えてこいって」
「……どこに行くの?」
「どこだっけ。アハハ!」
からからと笑う。
忘れる筈がないのに。
誤魔化す時によく彼女は忘れた振りをする。
嫌な予感がした。
「危ないよ。やめといた方が」
「いいの。お兄ちゃんと違って私は他に何にもできないから」
洗った手を拭きながら見上げてくる目は真っ直ぐだ。
「早くたくさん覚えられるけど、それって写真でいいでしょ?」
「そんなこと……」
「絵もちょっと描けるけど、それだって写真でいいもん」
「……そんなこと、ないって」
声が震えた。
心から否定してあげられない自分はなんて未熟なのだろうと思う。
が、美奈子は謙遜でも皮肉でもない顔で続けた。
「ううん。いいの。写真にできないこともあるんだよ」
☆
飛び級してクラスが変わった。
教室も変わり、拘束時間も増えた。
美奈子が最近何をさせられているか知らない。
「お兄ちゃーん!わっ」
廊下の向こうで彼女の声が聞こえて振り返ると、ちょうど大人に注意されているところだった。
「……ごめんなさい」
静かに、とかそういうことを言われたのだろう。
肩を落とし、胸に抱えた本に目を落としている。
「美奈子」
その様子が可哀想で、ついペンを置いて走り寄った。
俯いた彼女の前にしゃがみ込んで、同じ目線で顔を覗き込む。
「ごめんなさい。大声出しちゃった」
「大丈夫だよ。迎えに来てくれた?」
「うん。でも、まだ忙しいね」
「ん……と」
部屋の方を振り返る。
「いいや。帰ろうか」
「駄目だよ。まだあるんでしょ」
「そうだね。だからこっそり」
「……!」
美奈子は嬉しそうに息を吸って、悪戯っぽく口元に人差し指を立てた。
この後きっと怒られるんだろうな、なんて考えたけど、今はこの笑顔が見られただけで充分だ。
☆
次第に美奈子とは行動時間が合わなくなっていった。
「美奈子」
「お兄ちゃん。おはよう。私いってくるね」
「あ……うん」
自分が目を覚ました時間に家を出る背中。帰宅しても寝顔しか見られない日もあった。
教室へ迎えに行ってもクラスごといなかったり、研究中にさっき教室に来たという知らせだけが届いたり。
ここでの生活に多くは求めないつもりだった。
美奈子が一緒に来れただけありがたいといつも思っている。
でも、もっと彼女との時間を大切にしなくては。
……毎日忙しいけど。
☆
珍しく美奈子が部屋の机で紙に向かっていた。
うんうんと唸りながら何かを描いている。
絵かと思って軽く覗き込むと、妙な黒いドット絵のようなものと、英語や数字が並んでいた。
妙な改行や記号も入り混じっている。
「お兄ちゃん、これって文字合ってるかな」
「うん?」
今日のお仕事だよ、と言われその文字列を間近で見せられた瞬間、背筋が寒くなった。
絵に見えたそれはデータコード。文字列はスクリプトだ。
何故美奈子がそれを書いている?
一体、彼女はどこで何をさせられている?
「……これ、何?」
「んー私もよくわかんない。まぁいっか。これで見せてくる」
ペンを机に置くと、紙の束をファイルに入れて立ち上がった。
大事そうに抱えると腰を上げる。
「美奈子!ちょっと待っ」
「ぐっない!あいらびゅー」
笑顔を浮かべ、玄関のドアを開けて出ていってしまう。
もうしばらく美奈子と長く話せていない。
今度暇が重なったら、……そんな日は来るのだろうか。
いつか、海に連れていってあげたい。
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