ランスさまのペット(仮)

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自室に戻って来て早二時間。
私は自分で淹れたコーヒーを飲みながら右隣の男を横目で盗み見る。
...機嫌は、直ったようだ。

「せめてメモ程度でも置いて行きなさい」

「以後気を付けます...」

「リナ、その台詞何回目だと思ってます?」

あ、またちょっと空気危なくなって来たかもしれない。
コーヒーカップに落としていた視線をそろそろと上げると、こちらをじっと見ていたランスさまと目が合った。

「......ごめんなさい」

ここは素直に謝るのが賢明だろう。

「書類を時間内に済ませたので今回は許します。次はないですからね」

ほっと息を吐いてコーヒーを啜る。
仕事が早いのは私の長所であり、自慢出来ることの一つでもあった。
幼い頃からここでサカキさまの手伝いをしていた賜物だろうなぁ、と思った。
アテナさまの隊に入ったばかりの頃も驚かれたっけ。
ランスさまは......。

「何です、私の顔に何か付いていますか」

「いえ、何でもないです」

出来て当然だ、と。興味もないような声音で、表情で、言われた事を思い出した。
あの時と比べれば、ランスさまは随分優しくなったような気がする。

「そういえばリナ」

「なんでしょうか?」

「前から気になっていたのですが」

なんだか、空気が妙に緊張して来たのは気のせいではないだろう。
なんだろう、と思いながらランスさまの言葉を待つ。
手にしていたコーヒーカップをテーブルのソーサーに戻し、ランスさまは私を見た。
なんかとても緊張するんですが。

「貴女甘いもの好きですよね?」

「好きですけど......」

「なぜコーヒーはブラックなんです?」

「ああ、それ、よく聞かれるんですよね。大した理由ではないですけれど−−−」

実際、いろいろな人に聞かれた事だ。
私も飽きる程その問いに答えてきた。
だからいつもと同じ言葉を、ランスさまへ返した。
どうやら、それが私の犯した大きなミスだったようだ。

「サカキさまがお好きなんですよね、ブラックコーヒー」

その瞬間、右側頭部に強い衝撃。ソファの肘掛を越えて床に落ちる。痛みはすぐにやって来た。

「......っ......!?」


痛む頭に手をあて上体を起こした、目の前にランスさまは立っていた。

ランスさま、何を。

言おうと思った。だが私の声は音にならずにただ空気として口を出て行った。
ランスさまの爪先が的確に私の鳩尾に食い込み、蹴り飛ばす。
受身が取れずに、私は思い切り壁にぶつかった。
肺の空気が全て出て行く。視界が歪み、ちかちかと光ったように見えた。
背中と後頭部を予想以上に強く打ったようだ。

「かは......っけほ、っら、んす、さま、」

「リナ」

「は、い」

名前を呼ばれ、反射的に顔を上げる。ランスさまはそれを狙っていた。
ランスさまの爪先が、次は私の顎を弾いた。舌を噛まなかったのは奇跡かもしれない。今の勢いで噛んでいたら死んでいただろう。
意識せずとも、涙が溢れて来た。
呼吸が苦しいとか、多分そういう理由。

ランスさまからの暴力は今日が初めてではないし、他人からの暴力はランスさまが初めてではない。
理由があるのかないのか定かではないが、別にそこにこだわりはなかった。
でもなぜか、今日は気になってしまった。

ランスさまが、今まで見た事もないような表情をしていた。

どうしてそんなに、苦しそうな顔をしているのですか。
私だけではない、他人を痛め付ける時はいつも、狂気すら感じられる程笑っているあなたが。

ランスさまは、サカキさまが嫌いだっただろうか?いや、そんなはずはない。有り得ない。
でも、あのタイミングで私を殴ったのだから、それくらいしか思い当たらないのだが。

答えはきっと、ランスさまの中にしかない。そして私はそれを知る術を持たない。
ゆっくりと視界が暗くなっていき、目に見えていたものが霞んでいく。

「リナ、私は−−−」

意識は急速に暗闇に沈み、ランスさまの言葉が、私の耳に届くことはなかった。

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