夢喰

□殺生―act3 悔恨
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 いつからだっただろう?
 自分にとって"家"というモノが苦痛になったのは。
 バイト先から帰宅するや、玄関にはいつものように母が待っていた。
 既に夜も更け、日付も変わろうとしているのに彼女は"相も変わらず"の様子で自分を家へと迎え入れる。

「お帰りなさい、正太郎。ご飯、まだでしょ?今、温めてくるから居間で待っててね?」

 嬉々とした彼女のその様に、正直、虫酸が走った。
 玄関から向かいの部屋を垣間見れば、開かれた襖の向こうに、同じく変わらずそこに"在る"存在にも吐き気がする。
 ソレはゆらりゆらりと身体を揺らしながら、ぶつぶつといつものように童歌らしきモノを繰り返し呟いていた。
 地獄、極楽、閻魔さんの前で、お経を読んで、針の山へ飛んで行け。
 ゆらり、ゆらり。まるで壊れたオモチャのようにソレは何度も…何回も同じ事を繰り返す。
 曾て父であったモノは、そうやって日がな一日を、無為に過ごしていた。
 彼の変容は一年程前からだ。
 最初に笑顔が消えた。
 次に言葉を発しなくなった。
 終には外へと一歩も出なくなった。
 医者の見立ては重度の鬱病。
 回復の見込みは医者にも分かりかねると、実に無責任な診断をくだされた。
 中高年の男性にはよく発症する病だとはいえ、快活であったあの父が壊れていく様を見続けるのは…流石に堪えた。
 祖父母は父に気を回し過ぎる為に母との仲が悪くなり、母は母で父を見限り自分に依存し始めた。そして、幼い妹の陽菜はそんな父の変容に恐れを抱き、びくびくと隠れ潜むように家で過ごしている。
 何もかもがギクシャクとした、居心地の悪い家。
 その場所から少しでも離れたくて今のバイトを始めたが、母の自分への依存度は日に日に増していく。
 正太郎は母親から顔を逸らすと、食べてきたと一言素気無く彼女に返し、足早に二階の自室へと向かった。
 階段を登りきったその時、視界の端に階下の様子がふいと映る。階段の前で佇む彼女はさめざめと泣いていた。

「……っ」

 ズキリと胸が痛む。
 そうだ。分かってる。家が可笑しいのは誰の所為でもない。これは仕方のない事だと。母に当たり散らすのは筋違いだという事も十二分に理解している。
 それでも――、
 それでも、誰かを恨まずにはいられない。何かを憎まずにはいられない。
 億万長者にしてくれなんて、そんな大それた望みなど言わない。
 普通の暮らししか望まないのに、何故、神様はそんな細やかな望みさえ叶えてくれないのだろうか?

「……っ…クソッタレ…」

 正太郎は部屋の扉に額を打ち付けると、呟きと共に密やかに涙を溢した。
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