夢喰
□偸盗―act5.5 必然
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私用でこの場所を訪れるのは初めてなので、変な緊張を感じる。
握り締めた手に妙な汗をかきながら、美濃川陽菜は恐る恐るそこへ足を踏み入れた。
普段、自分が居る学部棟から程遠い場所にある研究棟へ。
課題の提出以外では先ずは訪れない。見慣れぬ院生達とすれ違う度に、どきりと胸が跳ねた。
小心なのにも程があるなと自分でも呆れながら、陽菜はその場所を足早に目指している。
文学研究科 心理学研究室。
心理学は講義を取っていないので、そこに赴くのも初めてだ。
何故、自分がそんな関わりの薄い場所へ 向かっているのか。
話は数時間程前へと遡る――、
午前の講義。
いつものように、自分の席を確保してくれていた友人の三田佐夜子(ミタ サヨコ)に朝の挨拶を返すと、陽菜は彼女の隣の席へと腰掛ける。
腰掛けるも…何故か佐夜子は繁々と自分の顔を見詰めていた。
人当たりが良く人懐っこい彼女だが、こちらへ向けられる眼差しには何処かスキンシップとは違う別の意味合いを感じる。
例えば、好奇。
理由の分からない好奇心を彼女から向けられて、居住まいが悪くなった陽菜は思い切って友人に問いかけてみた。
「…えっと…何かな?」
「ん?あ…うん。あのね、陽菜…あたしの兄貴からアンタにちょっとした"言伝ての言伝て"を預かってるのよ」
言伝ての言伝てとは…またややこしい。
詰まり、佐夜子の兄もまた誰かから自分への言伝てを預かっているという事なのだろうか?
「その人、兄貴の友達でね、陽菜とあたしが同じ学部で仲が良いのをどっからか聞き付けて頼んできたらしいんだけどさ…ほら二週間前…だっけ?アンタ、学生証何処かに落として無くしたって言ってたよね?」
確かに、自分は二週間前に学生証を紛失していた。達の悪い男に嵌められ、謂れのない罪を掛けられそうになったあの日の事だ。
気が動転していた所為で、それに気付くのが遅くなり何時、どの辺りで落としたのか、全く分からなくなっていた。
心辺りを隈無く探すも結局、見付からず、仕方なく再発行してもらおうかと、丁度、手続きをしようとしていたところである。
「それがどうかしたの?」
「それがね、どうもアンタの学生証、その兄貴の友達が持ってるらしいんだよね」
「え、そうなの?」
「そう。で、直に渡したいから、研究室までアンタに取りに来て欲しいんだってさ」
うちの大学院の院生だから、その人。と、佐夜子は件のその人物からの言伝てを伝え終えると、再び興味深げに、こちらの顔を見遣る。