流氷上の天体観測

□Pedir prestado!
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 穏やかな昼下がりのダイナーは、時間が少しずれたこともあって人がまばらだ。
 カウンターに顎を乗せて溜息を吐いても、それで食事がまずくなると文句を言うような客もいない。
もっとも、それはカウンターの向こうにいる店員からすれば、全くもって店にふさわしくない光景なのだが。

「こーら、レオ。昼間っから何やってんだ? しゃっきとしろよ」

 看板娘ビビアンの叱責に、のろのろとレオナルドが顔を上げる。そしてすぐに溜息がまた零れた。

「どーしたんだ? なんか悩み事でもあんのか? それともまたまともに飯食ってないのか?」
「飯は食ってますよ。けどちょっと悩みっていうか困ったことがあって」
「困ったこと?」

 空になったカップにお代わり無料のコーヒーが注がれ、芳ばしい香りがふたりの間に満ちる。それで少し落ち着きを取り戻したレオナルドは、そっとカップを両手で包み込んだ。

「最近、誰かに後をつけられているみたいなんです」
「ストーカー?」
「姿は全然見えないんですけど、じーってこっち見てきてるのは分かるんですよね。こんな街なんで本当にただのストーカーかどうかも分からないし、なんか神経すり減らすばっかで全然気が休まんねぇんです」
「警察は? 誰かに相談した? ほら、レオの会社の人ってみんな強いだろ。助けてもらえないの?」

 一気にまくし立てるビビアンが本気で心配してくれているのはその声音と表情で分かる。
 誰かに話を聞いてい貰えるだけで気持ちが和らぐと、レオナルドも表情を緩めた。

「話はしましたよ。心配してくれましたけど、護衛とかはみんな忙しいんで辞退しました」
「バッカだなぁ。そういう時に頼まないでどうする。何かあってからじゃ遅いんだぞ。あ」

 ふと何を思いだしたのか、ビビアンはスマホを取り出して目の前で操作する。そして目当てのものをみつけて、レオナルドに画面を見せた。
 そこには『おじさんレンタル』というタイトルだけで怪しく思える謎のサイト。

「なんすか、これ?」
「この前、常連さんから教えてもらったんだよ。ほら、うちでよくデカフェ頼む線の細い眼鏡の兄さん」
「ああ、あの人」

 レオナルドは話したことはないが、時々やってくる常連だ。いつもデカフェを頼むのでデカフェの人、なんていうあだ名がついている以外はさほど目立たない、ひょろりと背が高く影の薄い青年でビビアン曰く悪い人ではない。

「最近知り合いがここに登録したから宣伝してるんだって。おじさんをレンタルして頼みごとを引き受けてもらうらしいよ」
「大丈夫なんです?」

 はっきり言って胡散臭い。顔を顰めたレオナルドに、そう思うよな、とビビアンは苦笑する。

「社会的に地位が高くてし信用の高い人ばっかってのが売り文句らしいよ。ボランティアみたいなもんだから、1時間10ゼーロ。送り迎えならちょうどいいだろう?」
「はぁ……」

 そうはいっても人を借りるというのは気が進まないと生返事を返すと、思いのほかビビアンが食いついて離さない。

「こら、んな顔して店に来るくらいなら、手段は選ぶなよ。いいじゃん、とりあえずお試しってことでさ。腕っぷし良さそうなとこと一緒に歩いてれば、そのストーカーも諦めるかもしれないだろ」

 ただのストーカーならそれでいいが、もしレオナルドが秘密結社ライブラの構成員と知ってとしてのことだったら、そのおじさんも巻き込んでしまうことになる。やはり使えないと言おうと口を開いたが、ビビアンの方が一手早かった。

「急ぎだとこのクイックおじさんってのだな。どんな人が来るか分かんないけど、大丈夫だろ。はい、登録完了」
「え」

 レオナルドのスマホが着信を告げる。見れば見慣れないアドレスのメールが来ており、開けば案の定『おじさんレンタル』からの返信。ビビアンといいこのサイトといい、早すぎてついていけないと唖然としてしまうが、メールには『どんなご依頼を?』というシンプルな一文のみ。

「ほら、お試しだしあたしが金出してやるから、さっさと依頼しなよ」

 断ろうにもビビアンの押しの強さに敵うわけがない。助けてほしいとビビアンの後ろで調理する彼女の父親であるオーナーに目で訴えるが、糸目仲間はあっさりそっぽを向いた。
 父は娘の性格をよく分かっている。

「え……あ……『ストーカーで困っています。家まで送ってください』こんな感じですか?」
「上等。送れよ。待ち合わせはここ使えばいいから」

 待ち合わせ場所も追加して送ると、20分ほどで到着すると折り返しのメール。
 本当にいいんだろうかと悩むレオナルドに、ビビアンは感想を聞かせてほしいと軽い調子だ。
 コーヒーのお代わりをしながら待っているのも居たたまれなくなり、レオナルドは店の外でまだ見ぬおじさんを待つ。交差点の角の店は往来が激しく、幾人もの人類異界人のおじさんが通り過ぎていった。
 見ず知らずの人に自分の身の安全を委ねるというのは酷く不安だ。ザップやクラウスならまだしも、こんなことがもしスティーブンに知られたらこっぴどく怒られるに決まっている。今からでもキャンセルできないだろうかとスマホをポケットから出した時、不意に影が落ちた。

「やあ、君が依頼人?」

 無意識に顔を上げ──レオナルドは固まった。
 食えない笑みを浮かべる長身の男を、絶対に見間違えたりしない。

「すす、スティーブンさん!?」
「おじさんレンタルご利用ありがとうございます。クイックおじさん、スティーブン・A・スターフェイズです」

 いったいなにがあったらこうなる。
 大きく口を開けたまま硬直するレオナルドの背後、店の中のビビアンも唖然としてふたりをみていた。


「……で、なんでスティーブンさんがおじさんレンタルなんてのに登録してるんですか?」

 ダイアンズダイナーから自宅への帰り道は、こうしてさらに居心地の悪いものになった。
 なのに隣を歩くスティーブンはさりげなく車道側を歩き、避けずに近づく通行人がいればさりげなくレオナルドを庇う。

「ん? まぁ、ボランティアって奴かな。裏社会で生きているとね、時折いいことをしたくなるんだよ」
「いつも世界を守ってるのに、ですか?」
「そうさ。世界を守っても、ありがとうなんて言われないだろう? クラウスみたいに揺るぎない信念の塊みたいなやつはいいが、僕はこれでも臆病な弱虫だ。常に足元が揺れているんだよ」

 そんなふうにはみえない。スティーブンはいつもクラウスの右腕として彼を支え、率先して有事に赴く姿は気高く誇らしい。だからレオナルドたちは彼らの命令に従い、命を預け任務に赴くことができるのだ。

「僕には、そう見えませんけど」
「見せないようにしているだけさ。だからK・Kにはよく怒られる。彼女は弱い僕を見抜いているからね」
「そっすか……」
「たまにはありがとうって言われたいなんて、幻滅した?」

 首を横に振ると、スティーブンがありがとうと呟いた気がした。
 喧騒の中で微かに聞こえた程度の声だったので確かめたくて顔を上げると、スティーブンがふわりと微笑む。今までに見たことのない穏やかな笑顔に、なんだか見てはいけないものを見た気がして慌てて顔を逸らした。

「少年?」
「あ、えと、げ、幻滅なんてしませんから! むしろなんていうか、スティーブンさんもそういうところがあるって分かってなんかほっとしちゃっていうか……失礼っすね。すみません!」
「いや、少年とは距離がある気がしたから、こうして少しでも僕のことを知ってもらえたら嬉しいよ」

 誰かと話をしながら、しかもさほど親しくはないと思っていたスティーブンと自然と打ち解けて歩いた帰り道はあっという間だった。
 もう少し話をしたいなんて何を考えているんだろうと、気付かれない程度に自嘲気味に笑って、アパートメントの出入り口で立ち止まる。

「今日はありがとうございました。まさかスティーブンさんが来るなんて思わなかったから、マジでびっくりしましたけど……来てくれたのがスティーブンさんで良かったです」
「だが、これでストーカーがなくなるとは安易に思わない方がいい」

 楽しいおしゃべりで忘れていたが、そもそもこれは自分をつけ狙うストーカー対策だったのを思い出して、レオナルドは渋面で俯く。
 今日は視線を感じなかったが、次がいつ来るか分からない。
 そのたびに誰かを雇うなんて到底レオナルドの経済状況では無理だし、だからと言ってスティーブンを始めとするライブラメンバーに甘えるわけにもいかず、解決策は見いだせなままだ。
 何も返せないレオナルドを慮ったのだろう。スティーブンがそっと肩に手を乗せてきた。

「明日から僕が送り迎えをする」
「無理ですよ。僕には毎日スティーブンさんにお願いする余裕なんてこれっぽっちもないですって」
「これは僕個人がやりたいと思ってのことだ。だから君は心配しなくてもいい」
「でも……」

 口答えをするなと、くしゃくしゃと乱雑に頭を撫でられる。

「君がこのおじさんをレンタルしたのも何かの縁だ。なら、悪い結果に終わらないようにさせてくれないかな。それで毎日君にありがとうと言ってもらえたら、僕も救われる」

 見上げた端正な顔はウィンクも様になって、同じ男として少し悔しいくらいかっこいい。そして負い目なく受け入れられる理由を与えてくれた優しい大人に、レオナルドもようやく表情を緩めることができた。

「それじゃあ、お願いします!」
「OK。レオナルド・ウォッチ専用おじさん、スティーブン・A・スターフェイズを今後ともよろしく」

 なんて茶化して言うものだから、レオナルドはつい吹き出してしまう。スティーブンもつられて笑い、とてもいい気分で別れることができた。
 これでもう怖いことはない。きっとスティーブンのように素敵な大人と一緒なら、ストーカーも諦めてくれるだろう。
 そうなったらスティーブンの送り迎えがなくなるのは残念だな。なんて考える自分に苦笑しながら、レオナルドは鼻歌混じりで自室のある階へと階段を駆け上がっていった。


 レオナルドと別れ、スティーブンはひとり街を歩く。
 今はとても気分がいい。なにせ意中の少年と距離を縮めるきっかけを掴んだのだから。
 何気なくスマホを取り出し、画像フォルダを開いてほくそ笑む。そこには、明らかに隠し撮りと思われるレオナルドの画像があった。
 ダイナーで食事をする様子、バイトでピザを運ぶためにバイクにまたがる様子。
 道を歩く途中に、不安そうに振り向いた瞬間を捉えたものもある。

「俺の可愛いレオナルド」

 スティーブンはくすりと暗い笑みを浮かべ、甘ったるい呟きを残して街の雑踏の中へと消えていった。


end

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