流氷上の天体観測

□beodo!
1ページ/1ページ



 その姿を見た時、何があったのか把握は出来た。
 今夜は恒例のクラウス主催ライブラ事務所での飲み会なのだが──ほんの少し俺が目を離した隙に、レオナルドが部屋の片隅で酔い潰れている。こいつは酒に弱いから飲ませるなとさんざん言っておいたのに、ザップの奴が調子に乗ったかな。
 勝手に犯人だと決めつけてみたザップだが、レオをほったらかしにして離れた場所でゲラゲラと笑ってやがる。
 お、チェインに踏まれたか。それなら興醒めしてはいけないし、俺から注意するのはやめておこう。
 それより今はレオが心配だ。急性アルコール中毒になってはシャレにならんと、俺はミネラルウォーターのペットボトルをひとつ手にして彼の傍にしゃがみ込んだ。

「おーい、少年。こんなところで寝ると風邪をひくぞ」

 床に座り込み、壁にもたれ項垂れているレオは首まで真っ赤になってピクリとも動かない。寝ているというわけではなさそうだが、さてこれは本気で危ないと考えるべきだろうか。

「少年、レオ、レオナルド。なぁ、起きているんだろ?」

 反応がないが、これは狸寝入り? いい度胸じゃないか。
 ちょうどここは賑わいから外れ、俺たちに気を止める者もいない。ならばとどっしりと胡坐をかいて座り、長期戦の構えをとる。

「寝てるんなら、何を話してもいいよな。これから俺の本音を話す。心して聞けよ」

 こんなことをするなんて、俺も相当酔っているのかもしれないな。
 だがチャンスを逃す気はない。

「なぁ、少年。俺はな、クラウスが君をライブラに入れたと聞いた時、正直可哀想だと思ったよ。眼がいいだけのただの少年が、この街の裏社会で生きていけるはずがない。いつかその命をあっさり落とす方が確率が高いってね」

 本当のことだ。
 ヘルサレムズ・ロットには旧紐育市民や外から来た人類が多くいるのは確かなことかもしれないが、たとえ3年間を上手く生き延びたとして、そのうちどれだけの人類が今後数年を生き延びることができるか。
 それも表社会で平凡に異界と妥協しながらだ。
 裏社会では生存率はさらに極端に下がるだろう。そこで彼が生きていられる可能性など……いや、今は考えまい。

「けれど君はその眼だけではなく、高い順応力と揺るぎない信念で今日まで生き延びたことは驚嘆に値する。茶化していると思うか? 本当のことさ。君はもう、立派に秘密結社ライブラの一員だ」

 なんだか話しているこっちが恥ずかしくなってきて、レオのために持ってきたミネラルウォーターを軽く口に含んで気持ちを誤魔化した。
 どうにも今夜は気分がいい。それに相変わらずレオナルドが静かに聞いていてくれるから、つい饒舌になっちまうな。

「クラウスやザップたちと親しくなるのも早かったよな。あのクラウスの強面と面と向かって話せる奴がいるとはって、初めて見た時は本当に驚いた。なのに俺には全然懐いてくれないよなぁ。これでもさ、傷ついてるんだぜ? 俺も君と親しくなりたい。馬鹿な話をして笑って、たまにはランチに出かけてさ。なぁ、レオ。まだ寝たふりするのか? いい加減に起きろよ」

 そうは言ってみるが、ここで顔を上げられたらこっちがどんな顔をしていいのか分からなくなりそうだ。やっぱりこんなことを素直に言うべきじゃなかった。込み上げてくる気恥ずかしさが酔いを醒ますどころか身体の奥の熱くする。目頭まで熱くなってくるのを前髪を掻き上げるふりをして隠せば、今更後悔しても遅いと溜息を吐く俺をレオが笑った気がした。

「少年、本気で起きろよ。なぁ、レオ。人が弱音を吐いたんだぜ? 一言くらい言葉を返してくれてもいいじゃないか」

 ああ、くそ。そんなつもりはないのに、涙が込み上げてくる。
 こんなみっともない姿をさらすつもりなんてなかったのに。そうさ、分かっているさ、俺はレオナルドを仲間や部下として見ているだけでは物足りなくなっているんだ。
 もっと彼と親しくなりたい。クラウスと話している時のように気の緩んだ笑顔を見せてほしい。ギルベルトさんにするように進んで手伝いはないかと聞いてほしい。ザップやツェッドみたいに一緒にランチに行きたいし、チェインやK・Kと美味い店を教えあったりしたいんだ。
 お前、パトリックとニーカのところにも良く入り浸って無駄話しているんだろう? みんな、羨ましいよ。

「なぁ、レオ、レーオ。寂しい男を慰めてくれよ、な?」

 なのに彼は起きやしない。
 いったいどんな気持ちで聞いているんだろう。赤くなっている耳たぶを抓んでやれば起きるだろうか。
 起きろと言っているのに、起きてほしくない自分もいるのはこの時間を心地よいと思っているからだ。
 だんまりな少年に好き勝手な本音を話す。もう少しこのままでいよう。起きられないようなら、担いでどこかに寝かせなければ。
 ああ、急性アルコール中毒の心配を忘れていたが、大丈夫だろうか。

「……好きだよ、レオ」

 口の中で小さく呟いた言葉は、部屋中に広がる雑音の中に消えていった。




「番頭、何やってんだ?」
「何やってんすかねぇ」

 執務室の片隅、クラウスの観葉植物の前に座り込んでぶつぶつ1人話しているスティーブンを、かなり離れた場所からザップとレオナルドは見ていた。

「おい、番頭が持ってんの、スピリタスの瓶じゃねぇか」
「うへぇ……マジっすか。スティーブンさん、珍しく酔っぱらっちゃってるんっすねぇ」
「んなレベルじゃねぇだろ」

 スピリタス──ポーランド産のウォッカで、大麦やライ麦、ジャガイモなどを主原料として70回以上蒸留を繰り返すことにより誕生した純度のとんでもなく高い一応飲用アルコールである。なお、アルコール濃度96%、火気厳禁。

「なんかお前の名前言ってるみてぇだし、行ってこいよ」
「いやっすよ! 絡み酒なんかされたら絶対イヤ!」
「いや……あれ飲んで絡み酒っつーのも異常なんだがな。なんでぶっ倒れねぇんだろ。まぁいいか」

 嫌だ嫌だと首を横に振り続けるレオナルドに興味を失くし、ザップは酒を取りに離れていく。
 そしてレオナルドはなんとなくスティーブンが気になって、その場を離れることなく徐々に丸まっていく後ろ姿を眺めるが、やがてK・Kに呼ばれて仕方なくその場を離れた。


 翌朝、観葉植物を抱きしめたスティーブンは病院のベッドで目を覚ましたという。
 病名は急性アルコール中毒と二日酔い。そして、恋煩い。


end

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ