流氷上の天体観測

□Camarero!
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「いらっしゃいませー。2名様ですね? こちらのお席へどうぞ」

 ハロー、レオナルドです。俺は今、ヘルサレムズ・ロットのカフェでバイトしてます。いわゆるウェイターってやつです。ここのカフェ、治安がいい場所にあって料理も飲み物のも上手いってことで、人気は上々。
 その人気に拍車をかけてるかもしれないのが、白いシャツに黒いネクタイにズボン、同じく黒のギャルソンエプロンの男。こんな恰好されたら無条件でカッコいいと思うんだ。
 いや、俺じゃないよ。俺はまぁ、知っての通り見た目こんなだし。
 じゃあ誰のことをっていうと……。

「お待たせいたしました。カフェオレとチキンサラダサンドです」

 表のテラス席で極上の営業用スマイルを浮かべて接客している長身イケメン三十路に、テーブルの女性客の目がハート。顔の傷も陰のある男をしっかり演出しちゃってんだから、やっぱり人間見た目が大事だよな。
 そう、どういうわけか一緒のカフェでバイトしてるんす、我らが秘密結社ライブラ副官ことスティーブン・A・スターフェイズ……ぼ、僕の恋人が!

「レオ、ぼうっとしてるなよ」

 うっかり見惚れてた俺にいつの間にか近づいてきたスティーブンさんが、トレイ片手にウィンクしてくる。それだけで自分に向けてだと勘違いした女性客が黄色い悲鳴を上げるんだから、これで常連がまた増えたかも。
 お客さんに見られないよう、さりげなく席から顔を逸らして溜息を吐く。
 どうしてこんなことになったかというと、まぁ原因の半分は俺にあるわけで。ちらりと見た店の奥に、見た目はほとんど人と変わらないけど、頭に髪の毛の代わりに触手が何本も生えている全身緑色の異界人がいる。外見年齢はザップさんと同じくらい、身長はスティーブンさんと変わらないくらいのわりかしイケメンの部類に入る彼は、どういうわけか俺を狙っているらしい。
 毎日毎日カフェにやってきては口説いてくる彼に俺はそのたびに恋人がいるからと断り続けてきたけれど、陽気で前向きな性格が災いして全然諦めてくれなかった。
 とはいえ別に強硬手段に出るわけではないし、このカフェは時給もいいし賄いが美味しい。何より時々だけれど、スティーブンさんが来てくれるのが嬉しかった。
 が、しかし。被害はないしとずっと隠していたのを、不意に零したのが運の尽き。
 その日のうちにいったいどんなコネを使ったのか、スティーブンさんはカフェに臨時社員として採用され、あれよあれよという間に俺と同じシフトでウェイターをやっている。
 しかも完璧な身のこなしに甘いマスクで女性客をあっという間に魅了して客足を伸ばし続けているのだからもう何も言えない。ていうか、ライブラの仕事どうしてるんだろう。ちょっと怖くて聞けない。
 というわけで、スティーブンさんは彼が諦めるように彼氏面を全面アピールしているわけ。俺としてはどっちもどっちな気がするんだけど、なんでこの人こんなに独占欲強いの?

「分かってますよ。あ、はーい!」

 と、お客さんに呼ばれたから、スティーブンさんから離れてテーブルへ向かう。いつも来てくれるおばあさんから注文を聞き取り、ちょっとだけおしゃべりをした。
 ユーモアのあるおばあさんで楽しく話していて気づかなかったけれど──この時、俺の見えないところでふたりの男が激しく火花を散らして睨みあい、それを見た女性客が歓喜に打ち震えていたとか。
 どうでもいいけど、平和な日常を返してください。


 そんな感じで1日が終わったら、僕とスティーブンさんは一緒にあがる。
 従業員用のロッカールームはスペースの都合で狭く、並んで立つと腕がいつも触れそうになった。いや、何度か自然と触れてるしスティーブンさんは積極的に触れてくるけど。

「まったく、あの男のしぶとさは並大抵じゃないな」

 軽く上げていた前髪を下ろし、うんざりした感じで溜息を零すスティーブンさんにとりあえず相槌の代わりに苦笑して見せると、不服そうに見下ろされる。

「お前のことだぞ?」
「それは分かってますけど、スティーブンさんが出てくることないですって」

 あ、眉間に皺が寄った。
 緩めたネクタイから手を離したスティーブンさんは俺の肩を掴み、半ば強引に自分の方へと向かせる。ヤバい、怒らせたかも。
 見下ろされるために出来た影に説教モードは勘弁してほしいと怯えたら、不意に唇を奪われた。
 触れるだけの優しいキスにほのかにコーヒーの香りを感じて、もっとして欲しいと彼の腰に手を当てる。だって怒られると思ったから、キスが逆に嬉しかった。

「お客様、おかわりですか?」

 甘く蕩けさせる声は、紅茶に入れる一滴のブランデー。分かってるくせにと背伸びをしてキスをし返せば、肩に置かれた手が後頭部に回る。
 仕事をして少し汗の湿った髪に長い指が絡まり、唇がもう一度塞がれた。今度は触れるだけではない深く噛みつかんばかりの勢いで、早く開けと何度も角度を変えながら吸い付かれる。

「ふ、あっ……あふっ」
「レオ、口を開いて」
「あ、ダメ、ひとが来るのに」

 頭を支えられ抵抗できない俺のギャルソンエプロンがするりと解かれて床に落ちた。
 こんなとこで何やってんだと怒鳴ってやりたいのに、背中を撫でる手は優しく塞がれた唇から零れる吐息の熱さに目眩がする。
 はぁ、と酸欠からうっすらと開いた口にスティーブンさんの肉厚な舌が滑り込んできた。俺とスティーブンさんの息と唾液が絡み合い、咥内を蹂躙する舌の動きに翻弄される。

「ん……はぁ、あ、あぁ……」

 角度を変えるために離れていく唇にもっとと強請るように舌を突き出してやれば、スティーブンさんはふわりと微笑んで舌を食み、そのまま再び口付けてくれる。
 本当にこの人はキスが上手いんだから。力が抜けていく身体を支えて幾度となく濃厚なキスを繰り返したスティーブンさんは、やがて惚けた俺から顔を離して抱きしめてくれた。

「ちょっとやりすぎたか? レオ、続きは帰ってからにしよう」
「ふぇ……ん、そうっすね」

 賛成。っていうか、俺たちこんなとこで何やってんだか。ていうかまだ着替えてないのに。
 あれ? 着替えて、ない……。つい夢中になって忘れていた現実を思い出し、俺の顔は瞬時に熱くなる。
 そうだ、ここロッカールームじゃん! 扉なんてめっぽう薄いし盗難防止に防犯カメラ付いてたよな!? スティーブンさんにがっちり抱きしめられたままきょろきょろと辺りを見回し、俺は顔色を赤から青へと変えた。
 だって天井にある防犯カメラ、滅茶苦茶こっち見てるんですけど!?

「すすす、スティーブン、さん」
「どうした? ここで続きをしたいっていうのは駄目だぞー」

 にっこにこのご機嫌なとこ見ると、気づいてたなこの人。ていうか確信犯?
 疑いの眼差しを向けるとさらにご機嫌に俺のつむじにキスを落としてくる。あ、これ正解だわ。
 けどウェイター姿のスティーブンさんは薄手のシャツに黒のベスト、黒のネクタイにギャルソンエプロンのお陰で引き締まった体つきがいつもより分かりやすいっていうか、すごくかっこよくて流されても仕方ないって思うんです。不可抗力、俺は絶対悪くない。

「しませんよ。……けど、ちょっとこの格好でしてほしいかな……なんて」

 カフェプレイっていうんだろうか。
 したり顔のスティーブンさんがくすりと笑った。

「お客様のご要望なら、喜んで」

 真っ赤になった俺の耳にスティーブンさんが囁く。
 そしてトロトロに蕩けた耳元で衝撃の事実を付け加えた。

「これであの客も君を諦めるさ」
「へ?」

 訳が分からずぽかんと口を開いて見上げた俺に、スティーブンさんは悪魔よりも悪魔らしい不敵な笑みを浮かべてちらりと防犯カメラを見る。

「防犯カメラの映像を傍受してたの、知らないだろ。ついでにロッカーには盗聴器が仕込んである。君の可愛い声を聞かせたのは癪だが、これでレオが誰のものか分かったはずだ」
「……も、もしかして、ここで働くってのは……」
「うん、調べてたらちょっと不審な点がみつかってね。防犯カメラを傍受しているのにも気づいたから、なら徹底的に調べてやろうと思って。今日はその仕上げ」

 ウインクすると意外と愛嬌のある顔に、開いた口が塞がらない。
 まさか僕のためだけに、忙しい時間を割いてここまでしてくれるなんて。

「もー、スティーブンさん好き!」
「はっはっはー、もっと言っていいぞ」
「好き、大好き、すっげー好き!」

 僕たちはもう1回キスして、急いで着替えてロッカールームを後にする。
 出る直前に防犯カメラに向かってべーっと舌を出してやれば、もうここに用はない。
 早くおいでとスティーブンさんが腰に手を回して抱き寄せてきた。
 人に見られたら恥ずかしいけれど、とっても素敵なウェイターのサービスに身を委ねてもいいかもしれないと思ってしまった僕は、もうこの人以外指名できそうもない。

「どうした、レオ?」
「ううん。なんでもないっす」

 本当に? と聞いてくるスティーブンさんに、俺はもう一度、何でもないと答えた。


 次に出勤した日には、もうあの異界人の姿はなかったから、スティーブンさんの作戦勝ちのようだ。
 ただ、風の噂でこんなことを聞いた。
 彼はなにかの事件に巻き込まれたらしく、どこかの組織の冷凍庫から氷漬けで発見されたとか。
 迷惑な人だったけど、知っている人のそういう話はやはり気持ちのいいもんじゃない。

「レオ―」
「はーい!」

 そしてスティーブンさんは、もう害はないからと店を辞めてしまったけれど、時々ヘルプで入ってくれる常連兼有能な臨時ウェイターとなって、今日も僕と一緒に働いてくれている。


end
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