流氷上の天体観測

□Little Halloween
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 ヘルサレムズ・ロットでハロウィンなんて、日常の延長そのものだ。
 魑魅魍魎の跋扈するこの街にお化けが現れたって誰も見向きしやしない。それどころか夜の街を子供たちだけで歩かせて、無事に帰れる保証だってない。
 だからハロウィンなんていらない。
 ということを切々と説いたというのに、リビングでふくれっ面をみせている小さなシーツお化けは全然納得してくれなかった。

「な、レオ……君のことを考えてなんだ。もし万が一君の身に何かあって見ろ、僕は生きていることすら辛くなってしまうだろう」
「むー。おかし……」

 まだ3歳になったばかりのレオナルドがハロウィンを楽しみにしていたのはよく分かっている。今被っているシーツだって、保護者を任されているスティーブンがいない間にクレヨンで顔を書き、見事なお化けに変えてしまった。
 ふっくらとした頬を膨らませた糸目シーツお化けはそれはもう大変可愛らしいし、こんな子にトリックオアトリートと言われたら、迷わずお菓子を差し出して悪戯もしてもらうだろう。
 だが、それはスティーブンの見える範囲ならの話だ。
 レオナルド曰く、いつの間にか仲良くなったご近所の子供やヴェデッドの子供たちと一緒に、ハロウィンの街に繰り出したいと言われた時のあの衝撃は今でも言葉にできない。
 可愛い子供の成長を喜ぶべきかそれとも自分から離れていくことを嘆けばいいのか。即行K・Kに電話で相談したら、速やかに切られた。

「お菓子なら、僕がクッキーでもキャンディーでもなんだってやるから。悪戯だってしていいぞ。ほら」

 両腕を大きく広げて迎え入れる態勢を整えても、唇を尖らせたレオナルドの機嫌は直らない。小さな籠の取っ手を強く握りしている手に痕が残ったりしないかと心配しながら、スティーブンは彼の前に膝をついた。

「レオ、僕の可愛いレオナルド。君がお化けにさらわれてしまったら、残された僕はどうしたらいい?」

 眉尻を下げ、静かに微笑みながらゆっくりと話す。
 彼も分かっているのだろう。ぎゅっと堪えるように眉間に皺を寄せた顔がなんともいじらしい。

「でも、すてぃーぶんさん、おやくそくやぶっちゃだめっていった……」
「それを言われるとなぁ。いや、君たち親に何も言わずに自分たちで約束したんだろう? さっきヴェデッドに聞いたら驚いてたぞ」

 突かれたくないところを突かれたのだろう。レオナルドの顔がみるみる歪み、大粒の涙が目尻に浮かんでくる。驚く間もなく透明な照明の光を受けてキラキラと輝く涙がぽろぽろと零していく小さなお化けを、スティーブンは何も言わずに抱きしめた。

「れお、おばけだもん! おばけやるもん!」

 泣きじゃくりながらそういうのは、もはやレオナルドの意地なのだ。分かっていると強く抱きしめてやれば、泣き虫お化けはさらに泣き出してしまった。
 こうなると白旗を上げるのはスティーブンの方だ。
 レオナルドを抱き上げて立ち上がり、シーツの中から彼の頭を出してやる。ふわふわの髪を撫でてキスをしてやれば、泣き虫お化けはたちまちレオナルドに戻った。

「むー、おばけ……」
「分かった分かった、お化けをやろう。そのかわり、明日。ああ、街を歩くのはなしだよ」
「どうして?」
「だって、まだハロウィンじゃないし」

 糸目がびっくりして開かれた。
 零れ落ちそうなほど大きな青い瞳にスティーブンはくつくつと笑い、額に口付ける。

「ハロウィンは10月の最終日だから、もっと先だな」
「えええー!?」

 子供たちの間で話が盛り上がったはいいものの、いつハロウィンなのかは気にしていなかったのだろう。可愛い子供たちの無邪気なやりとりを想像したら、口許が緩んで仕方がなかった。
 今すぐに声高にこれが自分たちの守っている世界なんだと、主張してやりたい。クラウスが世界を守る守護者ならば、この子は世界に優しい光を満たす天使だ。

「愛してる、レオ。だから明日の笑顔を僕にちょうだい」
「うん! すてぃーぶんさんにれおのにこにこあげる!」

 お化けの格好をした天使は、1日早くとびきりの笑顔を見せてくれた。



「ハッピーハロウィーン!」

 翌日、急きょ開かれたスティーブン主催の秘密結社ライブラ緊急ハロウィンパーティーに、シーツお化けのレオナルドはキラキラと瞳を輝かせた。
 昨夜のうちにクラウスに話をしておいたとはいえ、ラインヘルツ家執事は飾り付けも料理も、もちろんお菓子もパーフェクトに準備をしてくれたのだ。メンバーたちも急な話に関わらず、仮装に気合が入っている。
 ポリス姿のザップは本当にそれは仮装なんだろうな? と疑ったが、色々ごまかされたので深く考えるのはやめた。

「それにしても、どうしてあなたは適当なの?」

 魔女姿のK・Kに指摘され、スティーブンは何とも言えない曖昧な笑みを浮かべる。
 なにせ普段のジャケットを脱いで、白衣を羽織っただけの簡易さ。これでは教師なのか医師なのか科学者なのか、そもそも仮装といっていいのかさっぱり分からない。

「いや、時間がなくてさ」
「あぁ……」

 何を察したのか、K・Kは意味深な笑みを浮かべてクラウスからお菓子をもらっているレオナルドに目を向けた。
 籠の中をお菓子でいっぱいにしたレオナルドのシーツお化けは、昨日の顔を描いただけのシーツからかなりグレードアップしている。顔はそのままに丈を短くし、マントのようにして前はかぼちゃのボタンで留めていた。
 さてこれは誰が加工したのかとにやにやと笑われては、包帯と絆創膏だらけの指をみせて降参をアピールするしかない。

「シーツ、凍らせなかった?」
「さすがにそれはしないよ」
「すてぃーぶんさーん、おかしいっぱーい!」

 ほら、と籠を上げてみせてくる満面の笑顔のお化けのためなら、これくらいなんのことはないのだ。

「ははっ、この後はギルベルトさんが作ってくれたパンプキンパイがあるから、食べるならほどほどにしろよ」
「はーい! あ、ぶりげいどさん、とりっくおあとりーとー!」

 次々とやってくる構成員にお菓子をもらいに行くレオナルドに苦笑したら、K・Kは肩を竦めて去っていく。ならば自分はレオナルドのところへ、と行くと小さなお化けは勢いよく走ってきた。

「レオ、おいで」
「すてぃーぶんさーん、とりっくおあとりーとぉー」
「今お菓子持っていないから、悪戯していいよ」
「えー、おかしー」
「え?」

 ハロウィンって、お菓子がもらえることが大前提なのだろうか。
 ないの? 本当にないの? と左右に首を傾げるお化けの期待に応えてやりたいところだが、本当に持っていない。
 すると瞬く間に拗ねたシーツお化けがまた泣き出した。

「うわぁぁぁぁぁん、おかしー!」
「あ、レオ、な、泣くな!」
「む!? レオナルド君、私のカップケーキをあげよう!」
「レオ君、ビスケットはいりませんか!?」
「げ、陰毛また泣きやがった。おい、犬女、とっととギルベルトさんにパイもらってこい!」
「命令するな、エセポリス。レオ、おっきなキャンディーはどう?」
「んもー、レオっち可愛すぎ。はいはい、マシュマロあるわよー」

 ミイラ男や魔法使いに生足が眩しいナースとポリス、それにカボチャを持った魔女と白衣を羽織っただけのスティーブンに囲まれた小さなお化けは、どんな化け物より強いかもしれない。
 ライブラリーダーを始めとする中心メンバーに囲まれた幼児に、周囲を囲む構成員たちはしみじみとそう思うのだった。



end

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