流氷上の天体観測
□suerte!
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「レオナルド、君が好きなんだ」
「ご、ごめんなさい! 僕、スティーブンさんのことをそういうふうに見てませんでした!」
これが、僕の運の尽きだった。
古く狭くうるさい部屋の固いベッドに、俯せになった俺の深く長い溜息が吸い込まれていく。
このクソッタレな街ではなんでも起こるって分かっちゃいるけどさ、こんな日が来るなんて、夢にも思うかっての。
もう一回溜息を吐き、空きっ腹なのを思い出してのろのろと身体を起こす。カーテンのない窓から差し込む街の灯りと、通りに面しているために夜でも聞こえる騒音がせめてもの慰めなのかもしれない。
いや、こんなのに慰められたって腹は膨れねぇけど。
けど確かに空腹なのに、この胸のモヤモヤと引っかかるものが食道を圧迫していて、飯を食いたい気にならないから困ったもんだよ。
飯を作る気力がなく、仰向けになって再びベッドに倒れ込む。ソニックがどうしたと枕元に来てくれたけど、こいつにさえ話していいかどうか正直悩んだ。
いくら頭のいい猿だからって、男に告白されたなんてドン引きされるに決まってんだ。
「……されたんだよなぁ」
告白。そう、愛の告白。デートして手を握っちゃったりキスしちゃったりしたいなって女の子からなら、嬉し恥ずかし甘酸っぱい青春の告白……想像力貧困でサーセン。
とにかく、実際に俺が経験したのは、秘密結社の事務所! 職場! 場所からして既に問題があるだろ! しかも可愛い女の子じゃなくて、日々日頃から遅刻しただけでも怖い冷凍上司のスティーブンさん。
ふたりきりの執務室、改まった感じで俺の前に立ったスティーブンさんはいつもの余裕のある感じじゃなくて、どこか苦しそうっていうか切なそうな感じだった。飄々とした笑みも作戦中の厳しさもない、微かな笑みを浮かべながら何かを言おうと口を開いては閉じて視線を周囲に彷徨わせてはまた開いて閉じる不思議な仕草に、俺は首を傾げそうになりながらも待つしかなかった。
やがて決心したのか、真っ直ぐにこちらを見て──
「おわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
思い出しただけで顔が熱くなり、また俯せになって枕に顔を埋める。
だってしょうがねぇじゃん! あん時のスティーブンさん、滅茶苦茶カッコよかったんだも……え?
「……あれ? 俺、カッコいいって思った?」
ちょっと待てよ、おーい。
なんで俺はスティーブンさんがカッコいいって顔熱くして騒いでんだ? だってスティーブンさん、男だぞ? いくら見た目が月とスッポン並みに違うからって、男にときめいちゃうってどうよ。
そうだよ、俺が好きなのは女の子のはずだ。巨乳は好きだけど、断じて男の胸板が好きなわけじゃない。
なのにスティーブンさんに告白された時、驚きはしたけど嫌だとか気持ち悪いとかドン引きもなく、この人疲れてるんじゃない? と疑いもしなかった。
本当にそういう目で見たことなんてなかったからついそのまんま口に出しちゃったけど、スティーブンさんは寂しそうに「そうか」と呟いて執務室を出ていったしまったのを思い出す。少し丸まった広い背中にかける言葉もなく見送っちゃったけど……今思えば、あれ完璧にフったよな。
あのスティーブンさんを、俺みたいなのが、振った。
「つまり、スティーブンさんを失恋させ……え、ええええ……マジか俺……」
今更ながら、自分のしたことの大きさに衝撃を受ける。
何度もいうけれど、スティーブンさんが持っていると思われる華麗な戦歴に俺が、傷を。
なんかもう色々居たたまれなくて、頭を抱えて呻くしかない。
「ヤバい、ヤバいよソニック。俺、とんでもないことをしでかしたかも!」
事情を知らないソニックが小首を傾げる。
こっちの焦りを不思議そうに見ているソニックに、告白された時の自分が重なった。こんな顔で見られたら、そりゃ脈なしって思うわな。
いやいやいや、待てよ待てよ待てよ。脈なくっていいじゃねぇか! 俺は男でスティーブンさんも男で、もし万が一付き合っちゃったりなんかしちゃったら、アレとかアレとかどうすんのよ!?
うわー、ないないない。ベッドでスティーブンさんに押し倒されるとかないない! そう、断じてない!
男の沽券っていうものが一応俺には……ある、よなぁ。
身体を横向けにして、ちょっと思い直した。ザップさんの股間見てもどうも思わなかったけど、もしだよ、もしスティーブンさんが服脱いでだよ、ベッドで俺に迫って……顔が熱い。
「これだからイケメンは……」
ちょっと息子が興奮しかけたのは、全部スティーブンさんがイケメンだからいけないってことにしておこう。うん、そうしよう。
ちらり、とベッドの脇に置いてあるスマホを見た。特に意味はないけれど、真っ暗な画面で静かに眠っているのを見て少し安堵する。
……なんていうか、俺とスティーブンさんって距離があると思ってた。
初めて会った時は病室で、非戦闘員の裏社会初心者に突入を勧めるどうしようもない頭のネジが吹っ飛んだ人ってのが第一印象。
けれどあの人なりに気に入った証拠なんだと、後からザップさんが教えてくれた。
とりあえずごく普通に会話はするし、作戦は厳しいけれど構成員の命を無駄にするようなことはない。それはクラウスさんの信念に基づいているからだけど、俺が生きてライブラに貢献できるのはスティーブンさんのお陰だ。
プライベートはほとんど知らない。夜の街で家政婦さん親子と会話をしているところへ遭遇したことはあるけれど、あの時の気の抜けた感じはちょっと意外だったのを思い出す。
家政婦さん親子が去り、ザップさんが去った後にふたりきりで残された時、ふと見た横顔が妙に寂しそうだった。理由を聞くのは上司と部下の間っていうのもあるけど、なんとなく憚られていたら、スティーブンさんがぽつりと言葉を零したんだ。
「静かだな」って。
何を思っての言葉かは分からなかったけど、聞き返すことも出来なかった。
自宅に招いてくれて、傷の手当と食事。それに一晩泊めてもらい、申し訳なさと自宅まで月とスッポンな場違いさに恐縮して緊張しっぱなし。けど、スティーブンさんの寂しそうな横顔が穏やかになったのを見て、安堵したのを覚えている。
普段は厳しくて怖くて何考えてるのか分からないのに、ふとした瞬間に素が零れる人。大きな口を開けて笑い、慌てる時は顔面崩壊して鼻水まで出しちゃう。そして怒る時はとことん怒り、人を厳しくも真摯に叱ることが出来る。
あぁ、寂しさを表に出すけど、泣いてるとこは見たことないな。
「色んな顔、みたいかも」
不意に口に出した言葉がことりと胸の中に転げ落ちて、開いてはいけない扉の鍵となって鍵穴に刺さってしまった。開くはずのない扉から出てきた厄介なそれはいらないというのに、一度出てしまったら元に戻す術なんて分からないし、分かるはずもない。
これはヤバい、絶対にヤバい。
ミシェーラの目だって治す方法が分かっていないのに、いやそれ以上に今日振った相手を好きだって気づくなんて、そんなのありかよー!
「ソニック、どうしよう。俺はこの先どうしたらいいんだ!?」
だからなにがどうしようなんだと、小さな手が鼻先をぐりぐりと押してくる。
もう言っちゃう? ソニックに俺はスティーブンさんが好きなんだ。なのに今日その彼からの告白にごめんなさいって断っちゃったんだ。って……アホすぎるわ。
あーもー、今すぐ時間を巻き戻してスティーブンさんにもう一回告白してもらいたい。今ならもれなくソニックをお付けしてレオナルド・ウォッチを差し上げますって言えるのに。
もちろんミシェーラのことは絶対なにがあっても譲れないけど、それを許してくれるんなら本気で嬉しい。
「どーしよーどうすりゃいいんだー……おわっ!?」
唐突に震えだしたスマホに飛び起きれば、ものすっごくタイミングのいいスティーブンさんからのメール。はい、メールです。なんつーかこういう時のメールって電話と違って物凄く距離を感じるけど、電話だったら俺の頭ん中が異界になるんで助かったかも。
恐々と開いてみれば、簡潔に『今日のことは忘れてくれ。おやすみ』とだけ。人の罪悪感をぐりぐりと抉り出すメールだなぁ。いや、振ったの俺なんですけど、ちょっとこれはなくない?
次に事務所に行くのは明後日だけど、うわー、なんて返せってんだよ。分かりました? 了解です? 俺もスティーブンさんが好きです? いやいや、メールでこんなん返しても嘘くさいし嫌だよな。
なんか胸の中がモヤモヤするし面倒臭くなってきたから、返事は返さずにスマホを枕の上に放り投げる。
「よし、飯にしよう。ヤケ食いするぞ、ソニック!」
ベッドから降りた俺に、ソニックはヤケ食いをする理由が分からず、また小首を傾げてた。