流氷上の天体観測

□traje!
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「ノブレス・オブリージュ。旦那みてぇな貴族とかお偉いさんってのは、下々の生活を援助する勤めがあんだとよ」

 ソファでふんぞり返る囚人服姿が似合いすぎる男の言葉に、傍に立っていた魔法使いに扮したツェッドは言葉を失う。
 それは隣に立っている、悪魔というか小悪魔姿のレオナルドも同じだ。
 聞かれたから説明しただけなのに、唖然としている後輩2人にザップは心外だと眉間に皺を寄せる。

「なんだオメェら。俺ちゃんの超丁寧な説明が分かんねぇってのか?」
「いえ……あなたがノブレス・オブリージュなどという難しい言葉を知っていたことに驚きまして」
「ですよねぇ」
「オイコラ、俺をなんだと思ってやがんだ、グハッ」
「屑でしょ」

 ザップの後頭部を蹴り飛ばして前のめりにさせながらその頭の上に乗ったチェインは、骨の描かれたカラフルなワンピース姿。いつものスーツ姿が見慣れているレオナルドたちには、とても新鮮で、とても嬉しい。
 やはり女性の仮装はいい。どっかの囚人とは全く比べ物にならないくらい心を癒してくれる。

「けど、孤児院のハロウィンに僕ら全員が行っちゃっていいんですか? ここ一応秘密結社っすよね?」
「普通の会社ってことになってんだし、旦那が行くってんだからいいんじゃねぇの?」
「問題ないよ」

 ふらりと執務室に入ってきたスティーブンに、レオナルドは思わず息を呑む。黒いマントを翻した典型的な吸血鬼に、思わずくわっと両目を開いてしまうおまけ付きで。

「……少年?」

 義眼丸見えで見つめられると怖いらしいスティーブンが冷や汗を浮かべながら一歩下がったが、誰も救いの手を差し伸べなかった。
 というより、普段何をやってもやらかしても観葉植物さえ壊さなければ、たいして気にしないのがライブラなので仕方がない。
 薄情ということなかれ。自由気ままなのが秘密結社の良いところなのだ。

「諱名、視えませんね」
「見えるか! 君は僕をなんだと思ってるんだ!?」
「胡散臭い吸血鬼!」

 怖いと思っている上司に対し、この即答。
 スティーブンが膝から崩れ落ちるのを見て、若者組はついフォローを入れ損ねた。だってこんなの滅多に見られないし。

「あ、えと、言い過ぎました! えええっと、あの、スティーブンさんは胡散臭いんじゃなくて、格好が似合いすぎなんでついつい諱名が視えちゃったりしちゃったりしないかなーなんて、あははははー」
「……胡散臭いってなんだ、胡散臭いって。徹夜明けだってのに、クラウスが楽しそうだから頑張ったのに。それなのに胡散臭いってさぁ。しかも諱名があるかもだって? 酷い、酷すぎる」

 床に指でのの字を書いていじけているスティーブンに、見なかったことにするのかチェインが希釈して消えた。ザップとツェッドもこそこそと執務室から逃げていくが、真正面でいじけられたレオナルドだけが逃げ遅れてこの面倒臭い三十路の相手をしなくてはならなくなった。
 本当に面倒臭い。けれど普段はこんなに面倒臭くないはずだから、徹夜で頭のネジが外れたのだろうか。三十路になったら徹夜なんてしない方がいいのに。

「あのぉ、スティーブンさん。どうしたんです?」

 屈んで問いかけると、スティーブンが勢いよく顔を上げる。いじけているにしては反応が良すぎて、レオナルドはバランスを崩し、尻餅をついてしまった。
 このままでは逃げられない。口に出したらまたいじけられそうな考えをぐっと飲み込み、恐々とスティーブンと目を合わせた。なのにそっぽを向かれる。

「別に」
「別にって言うなら、ちゃんと話してくださいよ。あー、諱名なんて言っちゃってごめんなさい」

 自分たちの宿敵と同じ扱いをされたからショックだったのだろう。そう思って素直に謝ったのに、スティーブンはそっぽを向いたまま。いったい何がそんなに彼を傷つけてしまったのか、レオナルドには皆目見当がつかない。

「えと、う、胡散臭くもないですよ。とと、とってもカッコいいです! そう、カッコいいですよ! いよ、男前!」
「……なんか嘘くさいぞ」
「んなこと言われても……」

 どうやら格好を貶されたのがお気に召さなかったらしいというのは分かったが、だったらどうすればいいのかなんて分かるわけがない。そもそも食神様を崇めていても食レポなんて上手く出来ないのに、恋愛経験値が少ない奴が伊達男のファッションセンスを褒めることなんて不可能だ。

「スティーブンさんは普段からかっこいいですから、僕なんかが褒めちゃったりするのって、なんか今更って言うか恥ずかしいっていうか」
「え、そうなの?」

 ようやく目を合わせたスティーブンの思いがけない食いつきように、レオナルドの方が戸惑う。
 けれどようやく餌に食いついた。急いで何度も頷くと胡散臭い吸血鬼はすくっと立ち上がり、腰と顎に手をかけて満足そうな顔で周囲に花を飛ばしだす。
 この変わり身はいったい何なんだ。
 訳が分からなくて唖然としていると、スティーブンは機嫌良さそうに微笑みながらレオナルドに手を差し伸べてくる。
 なのとなくこの手をとってはいけない気がするけれど、笑顔全開のスティーブンに逆らうのはもっと怖い。
 渋々と、けれどそれを悟られないように引き攣った笑みを浮かべながら手を取った瞬間、勢いよく上に引っ張られて強引に立ち上がらされた。

「うぇぇ!?」
「よし、手を取ったからには小悪魔くん、君はこれから僕の使い魔だ。絶対に離れないように」
「へ、え? あの、それ必要な設定ですか?」
「折角のハロウィンなんだから、ちょっとぐらいいいだろう? 俺の可愛い使い魔」

 あ、これ終わった。
 何が終わったかはあまり考えたくないけれど、腰を抱かれ首筋を甘く噛ま──れる前に、小悪魔は無情にも双眸を開き神々のデバガメ覗きカメラ義眼を発動した。

「うぐっ!?」

 目を回されたスティーブンが離れた隙に、レオナルドはコソコソとソファの背後に隠れて吸血鬼の様子を見る。と、執務室の扉の隙間からザップたちが様子をうかがっているのに気づいた。
 見てるなら助けろと、いつの間にか来ていたK・Kとチェインを除く全員まとめて目を回してやろうかとも思ったが、いざという時は多分助けてくれることを期待して今は何もしないでおく。
 そして目を手で覆った吸血鬼はというと、またしゃがみ込んでのの字を書いていじけていた。
 要するに、振り出しに戻ったわけだ。

「あんの……スティーブンさん?」
「いいもんいいもん。どうせ俺なんて、胡散臭いだけだよ。気合入れたのにさ、なんだよ胡散臭いって。せっかく仮装してるんだから、羽目を外して調子に乗って何が悪いんだ」

 ウザい。
 ちらりと助けを求めて覗いているザップたちを見ると、スティーブンを指差してなにか言ってる。口パクなので当然何を言っているか分からないが、レオナルドは長年の経験からだいたい察した。
 もうすぐクラウスが来るから、その前にこの状況を何とかしろというんだろう。
 ソファの陰で溜息を吐き、仕方なくスティーブンの前に出て屈みこむ。

「僕はスティーブンさんの使い魔なんでしょ。だったらご主人様はカッコよくしていてくださいよ。ね、ご主人様」
「う、うん……」

 泣いてたらしい吸血鬼は、袖でごしごしと顔を拭って起き上がった。
 鼻をすするのは格好良くないけれど、可愛いと思ってしまう。そう、可愛い。
 どうして顔とスタイルはいいのに中身のせいで胡散臭い三十路を可愛いと思ってしまったのだろう。自分の感情に不思議だと小首を傾げたレオナルドだけれど、執務室に入ってきた狼男の姿を見た途端、そんな気持ちはあっけなく霧散した。

「準備は出来たかね?」

 赤毛の中からひょっこり見える狼の耳に、嬉しそうに花を飛ばしているせいか動かないはずなのにパタパタと横に振っているように見える尻尾。
 秘密結社ライブラリーダーの可愛さに、ライブラメンバー全員の心が射抜かれた。
 可愛いに可愛いは、正義。


 そして施設でのハロウィンパーティーは、狼男クラウスを始めとするライブラメンバーによって盛大に盛り上がり、子供たちに忘れられない恐怖とお菓子を配ることが出来た。
 なお、使い魔となったレオナルドがご主人様である吸血鬼にお持ち帰りされたのは言うまでもない。


「うぉ、すっごいセレブな家。……僕、頑張って立派な家政夫になります!」
「え、いや、何で家政夫?」
「だって使い魔ってご主人様の身の回りの世話をするんでしょ? 今夜だけっすけど!」
「……う、うん。期待して……るよ?」

 違うけれど、違うと言えない吸血鬼は、ハロウィン限定使い魔の小悪魔が準備をしてくれたベッドを涙で濡らしてこの特別な日を終えるのだった。



end

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