短編
□糸「十四松」
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私は無我夢中になって、暴れる十四松をおさえていた。ひゅう、ひゅう、と歯の隙間からもれる獣のような吐息と、怒りで我を忘れたような二つの目玉。何度もバットを片手に前方の人物へ殴りにかかろうとする。
「十四松!十四松!」
泣いて叫んでも、全然耳を貸してくれない。十四松は一言も発さずに、怯えて動けない女へ威嚇していた。
バイト先でいじめにあっていた私を、偶然見かけてしまったその瞬間からである。
同僚の女がいつもより激しく私をぶったり、財布の中身も全部抜き取ったりしていたところを、十四松はじっと見開いた眼球で見つめていたのだ。
口元まで覆ったジャージと、野球バットを両手に二本。
《やきうしよ!》
聞こえてくるはずいつものような明るい声が、途端に途絶えてしまったあの瞬間。
十四松は眉間にひどくしわが寄った険しい顔を浮かべ、突然バットを振りかざして走ってきた。
運良く女に怪我をさせずに私がおさえたものの、あれから、いくら彼を止めても、ただただ怒りに震えていた。何度呼んでも反応せず、涙で濡れた目の前の女を睨み続けて肩を上下していた。
やっと怯んだ足が治ったのか、女は声も出さずに路地の奥へと駆けて行く。再び十四松の身体が前のめりになった。
「十四松!!!!」
ありったけの声で叫び、十四松の服を引っ張った。
ぴくり、と十四松の身体が跳ねた。数秒ほどが経ち、やっと瞳孔の開いた目をきょろりとさせる。
しがみついていた私を見て、手からバットを落とした。
「あ‥‥」
悲しそうな声を出し、十四松はその場で立ち尽くす。
私がそっとその屈んだ背中を撫で、二人でその場でしゃがみこむ。
「ごめんねっ、十四松‥‥ごめん‥‥」
赤く腫れた手のひらを握り、私はまたぽろぽろと涙を落とす。
十四松は言葉を発さず、呆然と泣き崩れる私を見つめていた。その瞳は段々と色を取り戻し始め、気がつくと、十四松はまだ震えている腕で私を抱きしめた。
弱々しく儚い抱擁で、段々と落ち着いていく呼吸。
腕を解くと、十四松はそっと打たれた私の頬に触れる。そのまま目元まで行き、優しく涙を拭き取っていった。
いつもと何も変わらない笑顔で、何もなかったかのように。
「やきう、しよ」
「‥‥うん」
薄暗い夕焼けの中、二つの影がゆらゆら地面で揺れる。
(ごめんね、みい。
またやっちゃった)
(次からは気をつけなきゃ)