短編

□おいでませ人魚姫
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こちらの続き


「空丸サーン。」
「……。」
「そ、空兄?」
「……。」
「息、してる?」
「……。」
「あ、あの。はじめまして……。」
「……。」

溶けるような宙太郎の笑顔に反して、空丸の顔は硬直していた。
視線の先は車椅子に座っている少女に釘付けになり、その少女は忙しなく辺りを見渡している。その小さな身体は微かに震えていて、宙太郎の手をぎゅっと握りしめていた。

「こーら、空丸。挨拶は?」
「ぁ、す、すみません!
俺、空丸っていいます。ナナシさん、ですよね。」
「は、はい。宙太郎くんにはいつもよくしていただいています。」
「空兄はオイラの兄ちゃんなんスよ。今日はナナシさんの為に美味しい料理、沢山作ってくれてるらしいっス!」
「私の……ありがとうございます、空丸さん。」

宙太郎の紹介を経て、ナナシはやっと警戒を解く。
よほど信頼されているのだな、と側で様子を見ていた年長者たちはフッと笑った。

「さ、ご飯にしようか。空丸、全部任せてごめんね。まだ出来てないのがあるなら、あとは俺がやるよ。」
「いえ!全て準備できていますから!白子さんは座っててください!」
「いや、でもまだ煮物とかできてな」
「白子は大人しく座っとけって!ほら、空丸もこう言ってるし!」
「……じゃあ、そうさせてもらおうかな。
ナナシさん、ちょっとごめんね。」
「え?……っ!?」
「あっ、ずるいっス!」

車椅子を玄関前まで持っていき、引き戸の横につけると白子は優しく、しかし有無を言わさぬ勢いで彼女を抱き上げた。
丈に合わない着物の裾からちらりと魚の尾が覗き、今更ながら空丸はギョッとする。

「オイラがナナシさんを運びたい!」
「宙太郎じゃ、まだ無理だよ。無茶なことして二人とも転んだら宙太郎だけじゃない。ナナシさんまで怪我をするかもしれないんだ。そんなの嫌だろ?」
「ぅ……あい。」
「ほら、入れ入れ!今日はご馳走だ!」


──────


「あの、なんかすみません。」

空丸はこうべを垂れた。
目の前には里芋を甘辛く煮たもの、具沢山の汁物に白米。そして焼き魚。
豪華な料理にそれぞれ目を輝かせるが、空丸はやってしまった感で一杯だった。

人魚に焼き魚ってどうなんだ。

共食いという言葉が脳裏をよぎった、その時。

「はぁーっ!これ、米ですか!?すごい、真っ白!こっちは畑、こっちは海から!すごいっ!あ、これは知ってます。漬物ですね!これは?」

ここにきて初めて、ナナシは歓声を上げた。これには宙太郎もびっくりする。

「あ、揚げ出し豆腐です。」
「豆腐!?これが?」
「空丸の揚げ出し豆腐は絶品だぞ。
じゃ、冷めないうちに、いただきます。」
「「「いただきます。」」」
「いただき……ます?」

辿々しい手つきで箸を持ち、お世辞にも上手とは言えない箸使いで揚げ出し豆腐を口に運ぶ。宙太郎たちはみんなしてナナシの表情を伺った。
上品な味のあんかけがかかった揚げ出し豆腐が咀嚼され、それが喉を通る。

「……おいしい。」

ナナシは瞳をキラキラと輝かせ、花がほころぶような笑顔を見せた。
そんな大袈裟な、と空丸は思う。しかし宙太郎との会話を聞き、彼は思わず顔を覆った。

「ナナシさんは何を食べて生活してたんスか?」
「私は別に、食べなくても生活できるんだよ。食事は……嗜好品?のようなもので。」
「しこうひん?」
「趣味、みたいなものだよ。それをしなくても生きていけるってこと。」
「じゃあ、今まで何も食べてこなかったってことっスか?」
「うん。だけど、こんな美味しいものをいただいてしまったら、これ抜きだと生きていけなくなりそう。」
「っ、ありがとうございます。どんどん食べてください!ほら宙太郎も。」

にぱぁ、と笑い合うナナシと宙太郎。
そして顔を赤く染めながら煮物を小皿によそう空丸。彼の母性本能はこれでもかと言わんばかりに揺さぶられていた。

無事、曇家に溶け込んだナナシを見て、天火はある提案を持ちかける。

「ナナシ、お前さえよければここで暮らさないか?」
「……ここで?」
「ふぎゅうっ!」
「た、たぬき様まで……しかし、私は水がない場所では動けもしないのです。」
「風呂場じゃだめっスか?」
「お風呂場!?」
「ご飯付きのお菓子付きです。」
「っ!ご飯、お菓子……。」
「移動したいときは気軽に呼んで。俺はだいたい家にいるから。」
「ぇ……あの……え?」

その日を境に曇家にもう一人、居候が増えたらしい。
実は彼女は大昔、呪いをかけられた村娘。オロチを倒して本当のハッピーエンドを迎えるまで、あと少し。

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