廃棄場

性格の悪さと嫌な似非メンヘラ臭さが混ざり合った汚い感情を容赦無く全開にした独り言を投棄する事でそれでも生きていく為の余裕を心に用意する為の場所です。
非常識で気持ち悪い事しか書かないので常に閲覧注意となります。
その為、読んでもいいのは内容に不快感を覚えても見る事を選んだ自身の責任であると割り切る覚悟を持てる人だけであると事前警告させて頂きます。
 
◆どの様な理由や形であれ、俺が「対人的な場面で一番辛く感じる事」は『信頼を“裏切られる”事』なのだろう。……というのは、リアルの馬鹿野郎の件でもネットの糞野郎(と糞女+α)の件でもそれ以外の様々な件でも既に証明されている事だろうな……等と、度々思う。 

既に通常の独り言の方で長々とボヤき済みの事ではあるのだが……此処数日間の自分は既に一応の封印を済ませた筈の忌々しい記憶が個人的な悪夢という形で突如再浮上してしまった事により若干苛々している様だ……とは、度々感じる部分のある今日この頃よ。
まぁ、あの馬鹿野郎の事は流石の俺でも既に終わった事だと認識出来る程度に年単位で過去の事であるし、馬鹿野郎に対する俺は俺に対する糞野郎達とは違って拒絶の意思を早い内に徹底して明確に提示した(※永久絶縁の意思を伝える文章を送りつつ連絡アプリ上でのブロックも即刻済ませる、という手順を踏む事で再開の希望は一切無い事をこれでもかと鮮明に表した)ので、今更何かを考える必要は無い(妙に自責する必要は無いし、永久絶縁という結論を変える必要も全く無い)訳だがな?
ただ……その様に自分が極めて嫌だと感じる経験の蓄積と、その忌々しい記憶に対する回想は、時に『自身の持つ対人的な感覚の性質』を自ら分析する為の手段にはなるのではないだろうか……とは、思うんだよ。

……そうして暫くモヤモヤと考え続けた結果、俺はふと『ある結論』に行き付いた。
珍しく自分が被害側だったリアルの馬鹿野郎の件も、いつも通り自分が加害者側だったネットの糞野郎(と糞女+α)の件も、俺が最終的に『最も嫌がった事』に関しては「共通している内容」があり、それは……端的に言って『信頼を裏切られる事』だったのである……という、当たり前の様で異常な結論に、な?
そう、馬鹿野郎の件の俺には今改めて言語化するならば「何だかんだで『良い友人だと信じていた』のに、奴はその枠を急に逸脱しようとする事で『友人としての信頼を急に裏切ってきた』んだ!!」となるだろう感覚が存在しており、糞野郎の件の俺には「今回は俺から縋ったのではなく飽く迄も奴から進んで仲直りという再開を求めて来たから『俺はそれを(一応は)信じ(てみる事にし)た』のに、それでも奴はまた黙って逃げだした……これを『今度こそ奴が進んで裏切ってきた』のだと言わずにいられるものか!!」とでも言語化すべき感覚が存在しているのである。
故に、その感覚を考慮すれば「前提条件(※俺が被害者か加害者か、相手が俺に向けた感情は好意か嫌悪か)は違えども『俺が絶対に赦さないと決意した箇所の本質』は何方の件も『同じ』である」という事が判明し……俺が絶対に赦さない事とは正に『信頼を裏切られる事』だったのだ、という事も確定する訳だ。

とはいえ、それが分かった所で今更何がどうなる事は無い(俺に馬鹿野郎や糞野郎達を赦す気は無いし、逆もまた然りだろう)し、俺に新しい対人を始める気が起きる訳でもないのだ、という事は念の為に明記しておこうか?
まぁ、何だかんだで連続1年以上(もう1年半近いか?)を家族以外との交流を一切持たずに過ごしていると「コレはコレで『自由度が高くて快適』だ」と思えて来るものだし、何なら「今更他者と交流を持つのは『怖過ぎて嫌』だ」とすら感じる様になるものでな……何だか、もうこのままで良い気がするんだよ、このまま……ま、要は「嘗て恐れた『苦しい孤独』は既に『気楽な自由』へと存在を変化させている」という訳さ。
それに……俺は俺で大概な『本気度が高過ぎる気違い』だからな……しかも俺の場合は「関係性自体は誰が相手でも『友情』範囲のみ」「関係性の『枠は変えない』タイプ」「しかし『高レベルな対応』を求める事は多大にある」という性質である事が『逆に厄介』かもしれないんだぞ?
……と、いう話はそれこそ何年も前から何度も書いている事だったな……ハハッ。

2024/04/22(Mon) 05:12 

◆まぁ、俺は自身の現状に関して「自分のスペックを考えたら妥当な結果だろう」と思っているから、主観的な視点での問題は特に無いんだがな? あと、俺はもう「覚悟の無い救済モドキは『二度とお断り』だ」というスタンスなので、他者の助けは要りません。えぇ、要りませんとも 

最近、某肺炎流行前の時期(2019年の半ば頃の筈)で個人的に会った高校時代の恩師(それなりの年齢の女性)から言われた「冷夜さんは将来『人を助ける仕事をする』と思う」という言葉をふと思い出す時が何故か度々あるんだが、その度に「……敢えて言ってしまうなら人を助けるより『人に助けて欲しい』位の状態で、しかしそんな事は『願うだけ無駄』だと痛感したが故にそれを諦めて、最終的には隅の方に閉じ籠る事でしか自身の持つ他者に対する害悪性を抑制する事が出来ないという『現実をそのまま維持する事しか出来ない』という怠惰な無能を極めし俺にその様な大きな事(=人を助ける職に就く事)が出来るとでも?(※遠い目)」と思ってしまっている自分が居るんだよなぁ……という、極めてどうでもいい話をふと此処に書き捨ててみる件について。
まぁ、他の教員よりは個人的な交流が多かった人の言葉とは雖も、所詮は「上の世代による妙な買い被りか大袈裟なお世辞」だ、と考えればそれまでである事は分かっているし、仮にお世辞では無かった(※無駄な買い被りではある)としても「他者が描いた俺の良い未来の想像を外れさせてしまったからと言って、俺本人が妙な劣等感や罪悪感を覚える必要は無いだろう」という事は分かるんだけどな?
ただ、何と言うか……僅かにでも俺に期待を掛けた他者が馬鹿なのだ、等とは決して言い切れず、何故か「他者の期待に添う様な未来に至れなかった自分こそ真の愚者なのだ」と思ってしまう部分がある事は否定出来ないし、だからこそ「やっぱり『期待をされるのは苦手』だ」という自覚が強まる部分はあるんだよなぁ……とは、少々言いたくなる時があるんだよ。

……それと同時に、俺はどうにも『人を“一時的に”欺く事が上手い』らしい……という事も、時々零しておきたい所だな。
本当、誰が相手でも殆どそうだった……第一印象を含む『表面的な印象』だけなら、俺でも「他者に対してそれなりの好印象を与える」事は出来たんだよ。その部分には、既に十分な実績があるんだよ。
ただ、交流の回数が増加するにつれて表面的な印象が徐々に剥がれてきたり、或いは何らかの切っ掛けで一気に剥がれ落ちたり……そうして『本当の中身』が露わになったら、もう、お終いなんだ。
それまでの表面的な印象を、上手く与えた筈の好印象を、その全て台無しにする程の『醜い真実』がいつだって「他者に対して多大な悪印象を与える」事になって、それで……閉幕、終了、追放、断絶、さようなら。
……というのは、もしも此処に継続的な読み手が存在するならばもう知っている事だろうけどな?
とにかく、俺は常々そうしてギャップ萎えをされてきた身であるし……だからこそ此処では自ら進んで露悪的な態度を取って「第一印象で欺かない様にしている」訳だ。

って、何だか話が脇道にそれてしまった気がするな……まぁ、よくある事ではあるのだけども。
まぁ何にせよ、今の俺にとって過去に掛けられた期待的な言葉とは誰の発したものであろうと最早ある種の『呪い』でしかないのかもしれないな……とは、割と思ったんだよ。
糞野郎共等の明確に怨めしく強烈な憎悪の対象である奴等が残した無価値な糞言葉は勿論の事、ただ自然と疎遠になった程度の人達の可もなく不可もない程度の言葉ですら「今思い出すと少し苦しいな」と感じる事はある……的な感じで。
……つーか、前述の件はそれっぽい範囲の職(※教職)に就いている人から言われた辺りが余計に苦い話だよなぁ……「貴女の方がよほど『人助け(※未成年達の学力向上への寄与)の出来る人』じゃないですか」的な意味で。

2024/04/20(Sat) 01:47 

◆一度目の後の短い再接触の期間中、奴が一度目について「時間も経ったから〜」等と俺に対してのたまった際、俺は「……コイツは所詮『忘却が出来る側』か」と落胆したものだ。……という事を「今でも憶えている」辺りに自身の『異様な執念深さ』を感じた事は否定しないでおこう 

既に年単位で過去の事と化している『嫌な事』を思い出して内心憤る時間は、少しずつだが「減ってきている」方だと思う。
だが……だからと言って「それは嫌な事の当事者達を赦したからですか?」と問われれば、俺は寸分の迷いも無く『いいえ』と答える事だろう。
……等という事を思っては、至って悪い意味での自分らしさ――記憶と感情の風化が非常に遅い所為で「忘却による自然な赦しが極めて困難」である事――の存在を感じる、そんな今日この頃よ。
そう、自分がしている事が忘却による自然な赦しではなく、飽く迄も『封印による意図的な無関心・無関係の自己演出』でしかない事ぐらい、俺は誰に指摘されるまでもなく自分で理解している訳だ。

加えて……俺は以前ならば持っていた「他人に自分を赦して欲しい」という願望を、昨年の間に『亡くして(失くして)しまった』からな。
故に、俺は「自分は他人を赦すべきだ」という気持ちも『併せて失ってしまった』のである、という事は、今更言葉にする必要が無い程に『当然の事』の筈だろう、と俺は思うぞ。
というのも、俺には『自身が出来ない事を他者に強要するべきではない』という考えが存在する為、仮に「他人に自分を赦して欲しいのであれば自分が他人を赦す事も必要」だが、もし『そうではない』ならば……という結論に辿り着く事は何もおかしな事ではないからだ。
そう、俺はもう「他人に自分を赦して欲しいと思ってはいない」のだから『自分が他人を赦す必要も無い』訳だ。
……また、嘗ての他人(という糞野郎)が語った(と言うより騙った)『対等』という綺麗事を重んじれば重んじる程に「他人が俺を許さない以上は『俺が他人を許す必要も無い』のだ」……という話も在る筈だろう?
まさか、あれだけ『対等』を掲げて俺の事を上から目線だと責めた他人(達)が、今度は「自分(他人)達はお前(俺)を許さないがお前は自分達を赦さなければならない」等という特大の『不対等(不平等)』な上から目線を(今更)押し付けてくる事は無い筈だと――あってはならない事だと、お前(達)の言葉を「今でも憶えている」俺は言っておくぞ。 ……なぁ? 糞野郎(と取り巻き共)。

……とはいえ、被害者(他人達)と加害者(俺)という立場の違いは無視出来ない事である為、その点に関しては流石に「俺だけが全面的に悪かった『一度目』に関しては俺が謝り折れるだけで十分だった事を認めよう」とは今でも思っているんだぞ?
しかし、それが実質的な「……だが、その一度目の際に一度は棄てた筈の屑である俺へ後々『自ら進んで再接触』を試み、その割に『また黙って逃げ出した』という『二度目』に関しては『絶対に赦さない』ぞ」という宣告でもある事は……殺意にも近い憎悪が消えない限り、何度でも刻ませてもらおう。
極論、今の俺は自分が赦される事を求めていない故に他人を赦さない事にも躊躇いが無いからな……自分を赦して貰う事を他人に強要する気が無いからこそ、万が一他人が自分に赦して貰う事を強要する事があろうとも「お前自身が出来ない上に俺はお前に求めていない事を俺に強要してくるなよ」と拒否出来るだけの『罪悪感からの解放度』は確保されているんだよ。

等と、最初に予定していたよりも衝動的な事を長々と書いている辺り、やはり俺は他人(達)を赦した訳ではないのだと――赦せる様に成る程度の『忘却』を「遂げる事が出来ていない」のだとは、改めて感じる所だな。
……「全ての事が『名前を付けて保存』による『半永久的な保持』にしかならない」脳は本当に厄介だ……とは、俺自身が最も思っている所だぞ。

2024/04/17(Wed) 03:43 

◆幾ら愚図な無能で非常識な気違いで信頼度の低い『自分』というガラクタでも他に信じられる存在が無い以上は『信じるしかない』し、下手に他者を信じる事で「裏切られた、と感じて狂う危険性を増やす」よりは自分を信じて『自己責任にする方がマシ』……という話は在るだろう? 

傍から見たら違いが分からないレベルの事だろうとは思うのだが、それでも……
「他者への信頼感よりも自分への信頼感の方を“絶対的に高くする”事」と『他者への信頼感が暴落したので自分への信頼感の方が“相対的に高くなった”事』は、ハッキリ言って“全くの別物”なのだ。

……とは書き残したいし、自分は飽く迄も『後者』の方である、とも書き残したい気分の夜21時台。
まぁ何と言うか、何年か前までは多くの事柄の選択や決定に関して「他者(他人)頼りな部分の多かった」俺が今は『自分一人で全てを決めている理由』はそういう事なんだ、という話は一度吐いておきたかったんだよ。
そう、俺は別に自分に自信が付いた訳じゃないんだ……なんせ『自分自身への信頼感は今でも据え置き状態』のままなのだからな。
しかし、自身への信頼感の高低の程度が変わらない一方で、少し前までは強く高く存在していた他者への――『他人への信頼感が遥か低い位置まで落ちた』結果、飽く迄も据え置きのままである自身への信頼感が『相対的に高くなった』ので、俺は『他人より自身を信じる事になった』のだ、という実態はある訳だ。
飽く迄も極めて受動的に、自身への信頼感は――自分が思う自分の価値は低い位置に据え置いたまま、それよりも『他人の方が更に信頼出来ない』と思う様になっただけ……本当に、ただそれだけの事なんだ。
……だから、もしも此処に読み手が居るのなら決して「前者」であるという誤解はしないでくれよ?
前者の様に「自分への信頼感の絶対値を上げる事」も「他人への信頼感の絶対値を据え置く事」も、そうして「自分への信頼感の方を能動的に高くする事」も、俺は決して『していない』のだから。

……とはいえ、今となっては他人なんて――知人や友人と呼べる存在なんて俺には居ないから、そもそもの話として俺は『自分以外を信じる以外の選択肢は既に消滅してしまった、と言った方がより正確な段階』に居るのかもしれない、という話はある訳だがな。
大体、最近はこうして『良くも悪くも自分を信じるしかない日々』を淡々と送り続ける事にもかなり慣れて『適応した』感が否めないからな……そんな現状で傍観者的な者達から「他人(他者)を信じろ」と言われても、俺には『自分を信じるよりも更に無意味な事は今更必要無い』としか思えない気はするし、(飽く迄も現実的には絶対にあり得ない事だとは分かっているが、それでも)もしも裏切りの当事者共から「もう一度ボク(ワタシ)たちを信じて」等と言われた日には……もう『憎悪しか感じない』んじゃないだろうか? という事は想像に容易い所だからな……故に、幾ら頼りなく見えても『今となっては相対的にマシな部類である自分』だけを信じるという選択は、現状での最善手という意味では『とりあえず正しい』のかもしれない……とは、結構な本気で感じているんだよ。

それと、ついでに言うなら……もしも「今の『普通に真っ当な他者は逆に信頼出来ない俺』を徹底的に手懐けて『最上の信頼を勝ち取る』事が出来る『新規の他人』が現れる」という様な事があった場合、それはそれである意味面倒な事だと言うか、まぁ……『精神的に極めて不健全な事』に分類される状況と言える事になるのではないだろうか? とは、薄々思うからな……そういう意味でも、俺は自分だけを信じていた方がまだマシなんじゃないか? とは少々思う所だぞ。
……と言っても、それは先に述べた方のもしも(※裏切りの当事者共が自ら進んで俺への再接触を試みる事)よりも「更にあり得ない事」だから、流石に心配の必要は無い筈だがなww

[追記] (2024/04/04(Thu) 23:16)

2024/04/04(Thu) 23:16 

◆『未来の事』に関する話は「約束はしていない」と添える事で遂行失敗の可能性を明示する事にしている筈の俺がそれを省き「〜する」等の『断言』の形を使うのは、絶対に遂行する為の『覚悟』を『本気』で決めている時だけだ。……と、刻み付ける為に書く、3月29日の後日談。 

当初は夜が明けた後や明日以降でも良いかと思っていたが、やはり『この事実』を頭の中に抱えたままで夜を過ごして朝に眠るのは辛いだろうと予想出来たので、最低限の事は今夜の内に吐き捨てる様に書き棄てておく事にしようと思う。
と、いう訳で……俺は、数日前の文章で予告した通り『3月31日にの内にTwitterの既所持アカウントからのログアウトを完了した』のだ、という事実を此処に書き残しておく事にする。
……あぁ、もしも此処に読み手が存在する場合に備えて一応言っておくが、これは決して四月馬鹿(エイプリルフール)の嘘などではない唯の事実――完全な『本当の事』だぞ?
まぁ、この件を遂行した時点での日付は今日(4月1日)ではなく飽く迄も3月31日であったし、そもそもこの件は3月29日の段階で事前に『断言』の形を使って『予告』していた事でもあるから、幾らこの文章が4月1日に書かれたものであるとは言っても、たったそれだけの事でこの件を嘘だと勘違いする程に長文に対する読解力が低い者や「此処を読んでいる割には『俺への理解力が極めて低い』らしい良い意味で普通の人(……と、いう名の偽善者)」なんて流石に居ない事だろうとは思うが、な。

とはいえ……例えそういう者が此処に存在したとしても、俺にそれを問題だと言う気は無いんだぞ? ……という話は一応添えておこうか?
何せ、人間には向き不向きという名の個体差があり、それは時に並大抵の努力では埋められない程に大きな溝になる、という事を俺は残念な気持ちになる程に我が身を以て知っている訳だからな……だから、長文を読む事が苦手な者へ長文を読める様に「直せ」と要求する気も、俺の心情への理解が出来ない人間にそれを理解できる様に「変われ」と要求する気も、俺には無いんだよ。
……何故ならば、その「極めて無謀な内容且つ具体的な道筋は全く見えない曖昧な要求」は『俺が他者・他人から向けられて最も苦しんだ事』そのものなのだからな……だとすれば、それと同等の事を俺が他の誰かにする事は俗に言う『負の連鎖』であり、絶対に避けなければいけない事の筈だろう?
故に、俺は自身が此処へ書き残しているこの文章が他者には読み解けない長文であったり、例え文章としては読めても「思考としては『一切の理解が出来ず』に嫌悪感だけが湧く内容」であったりするのだとしても、そうとしか感じられない他者を責めるべきではないのだと――それは仕方ない事だとして諦め割り切るべき事であるのだと考える事にしているんだよ。
だから、もしも読み手が居るなら誰でも安心して良いんだぞ? ……理解できない事に安心して、感情のままに俺を蔑み嫌えば良いさ。

……等と、心情的な話を優先した結果、事の具体的な説明を殆ど書かない内に文字数が1000を超えてしまった様だな……とはいえ、それは此処ではよくある事だから、今更気にする程の事ではないか。
まぁとにかく、俺は昨日(3月31日)の23時台に2021年12月半ばまでは投稿にも使っていたTwitterアカウントからのログアウトを遂行した、という『事実』は、此処に改めて書いておく事にするぞ。
あぁ、それと……その際には「DM欄(※特に新着欄の方)を一度覗いておくか否か」を少々迷った部分もあったんだ、が……最終的には『覗かない』ままで終わる事を選んだからな、という結果も一応書き残しておこうか。
……まぁ、例え覗いた所で何かがある訳は無かった筈だろうし、今更何かがある事を想定する事程の愚行は他にそうそう無いだろう……とは、

[追記] (2024/04/01(Mon) 04:29)

2024/04/01(Mon) 04:29 

◆これは、本当は実行するまで黙っていようと思っていたものの、そう思い続ける事が地味に苦しいので一旦脳外に出す話。……もう戻れないし戻らない『刹那の夢の跡地』から自分を絶ち切る瞬間を定めた事の話。 

どうせ誰が見る訳でもないから、と敢えて油断しながら飽く迄も自分の精神の為に書き出す話だが……俺は、3月31日の内にTwitterの現アカウントからログアウトする予定だ。
……現アカウントとは言っても投稿は2021年12月19日を最後に途切れたままだから、もし此処に読み手が存在するならばまだログアウトしていなかった事の方に驚いた事だろうとは思うけどな。
とはいえ、いつか現アカウントからログアウトしたい事やその後で完全ROM用の別アカウントを用意したい事は以前から度々零していた事だから、所詮は「漸くなのね」というだけの話ではある筈だろう?
……まぁ、3月と言えば『卒業』の季節だからな……過去の色々の被害者達の事を思えば思う程「加害者は二度と戻れない――戻るべきではない」と感じ、自分自身の視点でも「今更戻って、それで何が救われるんだよ? 結局は不向きでしかなかったし、俺はもう二度と誰にも頼らないと――縋らないと決めたんだ」という戻らない為の意志の方が濃くなった『刹那の夢の跡地(自身には不向きだった活動をしていた頃のTwitterアカウント)』から自分を絶ち切るには、今月が最適の筈なんだ。
だから、俺は3月31日の内にそうする。
ROM用アカウントはその後、気が向いた時にゆっくりと作れば良いさ。

……という事を、本来はある種の事後報告の様な形で3月31日〜4月1日頃に書き棄てる予定でいたのだが、その事を「ずっと考え続けている事」が絶妙に辛くてな……とりあえず、今の時点でも書ける事は一旦書き出してしまう事にしたんだよ。
まぁ、先に書こうが後で書こうが「最終的にする事自体は変わらない」のだし、先に書けば今の時点での気分を少々楽にしつつ「決意を『更に』固める」事も出来るからな……そう、コレは所詮『俺自身の為の文章』なんだ。
……そもそも、此処『廃棄場』にある文章は全てそうだがな……全て『他者には無意味な文章』なんだよ……此処に在るものは――俺の心情は、全て。

ちなみに、コレは余談やある種の補足情報なんだが……俺は何故再利用予定の無いアカウントを「削除ではなくログアウトで済ませる」のか? という部分に関しては、大きく分けて2つの理由があってな?
まず1つは、俺に「一旦Web上に出した情報に関しては例え自身にとってある種の不利益になる内容だとしてもなるべく消さないでおくべきだ」という信条の様なものがあるからなんだ。
その辺りは俺がYouTubeでの配信アーカイブを削除していない事や、独り言の方で誤情報を発した際に誤情報を含む既存の記事を削除するより訂正を主題とした新規の記事を追加で書く様にしている事から割と分かる筈だろうな。
そして、もう1つの理由は……下手にアカウント自体を削除する事で『今まで何も気付かずに済んでいた人(達)』にまで面倒事を広めたくないし「削除行為を似非メンヘラの構ってちゃんムーブだと思われたくはない」という所にあるんだ。
……まぁ、俺は中〜高校生の間で既にその道を通った身だし、故に「それは真っ当な人々にとって『ただ面倒で鬱陶しいだけ』の愚行でしかない」事も理解済みだからな……だから敢えてログアウトに留める事で、俺は『表面上の平静を保ったまま終わりたい』んだよ。

尚「でも、それを此処で書いたら無意味なんじゃ?」……というご指摘には、此処が飽く迄も『個人サイト』である事を盾に反論させてもらおう。
此処は、他者(他人)の側に『能動的に見る意思』が無ければ全く見えない場所だからな……この文章を読んでいる者は既に「今まで何も気付かずに済んでいた『訳ではない』人」なんだよ。

2024/03/29(Fri) 17:14 

◆子供向けのフィクションほどお綺麗ではないとはいえ、それでも結局は人脈という名の繋がり至上主義を掲げる『現実』世界で孤立しながらも平穏に生きていく為は自己肯定感など要らないし、寧ろ自己否定感の方が必要だ。……という、俺にしか役立たない無駄話の唐突な書き残し。 

これは「所詮は今更絶対あり得ない事だ」と心底分かっているからこそ此処にしか零せない『極めてくだらない無駄話』なのだが……もしも2022年9月の様な事が今後の何処かでもう一度起こる事があったなら、その時に俺がまず言うべき一言は「お前、それは流石に実質的な『ストックホルム症候群』モドキでしかないぞ?」なんだろうな……と、俺は思う。
というか、それ位の『異常事態』でなければ2022年9月の様な事をもう一度起こされる訳なんて絶対に無いからな……マトモな神経を持っているなら、今度こそ一生捨て置く方が普通に正しいという事ぐらい、既に簡単に分かっていて当然の筈だからな。

……等という考え方に至るのは、俺の中に『自分が加害者である自覚』が常々あるからなんだろうな……とは、少々思う今日この頃よ。
まぁ何と言うか、此処まで来ると最早嘗ての他人達がどうのこうのという事は殆ど関係無いよな……何方かというと、コレは俺自身の話――俺は既に一生抜け出せない罪悪感の沼深くに沈んでおり、自身に対する肯定感はその中で溺死してしまった、というだけの話に過ぎない筈だろう。
とはいえ、そうだったら何が『問題』になるのか? という事に関しては特に思い浮かぶ内容が無いから別に良いのだと――問題は無いのだとは思う訳だがな。
……寧ろ、その位の否定感は常に持ち続けている方が良い筈だろう……なんせ、自分には『普通に良い意味として肯定出来る部分が一切無い』と認識している方が「そんな自分が良い意味で普通の人々と上手くやっていける訳は無い」と思い易く、そうなれば次の誰かを――新たな『被害者』候補を探したくならずに済む訳なのだから。

と、考えてしまう辺りがやはりどうにも一般的な肯定感の欠落なのではないだろうか? という話は在る訳だが……まぁ、俺はもう「それで構わない」さ。
……なんせ、今更普通の方向から肯定した所で「普通なのに『普通に群れる事が出来ない』自分」という矛盾する状況に無駄な苦しさを感じる羽目になるだけだろうとは想像できるのだから、それを思うと……このまま独り密かに過ごす気ならば「肯定よりも否定を続けた方が良い」に決まっている、とは俺自身が最も感じている所なんだよ。
まぁ、俺には元々『期待を掛けられる事は苦手(プレッシャーに弱い)』という部分もあるし、最近はこの生活にも色々と慣れてきた気もする(※寧ろ現状に慣れ過ぎてそれ以外には戻る事も進む事も出来ない気がするとも言う)し……俺には、コレが最善策だったんだ、きっと。

……だから、もしも此処に読み手が居る場合、それが何処の誰であったとしても、決して「俺に同情『しないで』くれ」よ?
それは所詮ストックホルム症候群の亜種の様な愚行でしかない訳だし、そもそも俺は既に『同情程度で救える位置には居ない』のだし……だから、互いに無益でしかない同情はしないでくれよ?
例え、俺には見えない個人の内心で秘めやかに行うだけだとしても、な。

尚、嫌悪・嘲笑・軽蔑・etc...というある種の攻撃的感情は「個人の内心で思うだけならご自由にどうぞ」状態なので、それ等は思いたければ思いたいだけ思って良いぞ?
とはいえ、そんな事をするよりはもっと別の有益な事に時間を使った方が賢いんじゃないか? という事は流石の俺でも思う所だから、その意味で「まぁ、程々にな?」と言っておく事にはするが。
……かくいう俺も、此処の時点で割と真剣に「こんな無駄話をするより『ロックマンエグゼ アドバンスドコレクション』でも遊ぶべきだったかもしれない……」と思い始めている所だ。

2024/03/29(Fri) 05:22 

◆極論、コレは他者に向けた主張ではなく『自分自身に向けた書き残し』であり、故に「他者の理解を無理に求める気は一切無い」とは先に言っておこう。今回の『主題』的にも、この前置きは必要な事の筈だからな。……それでも読むという者が居るなら、それは別に止めないが。 

以前から言っている事だが、俺の考えの中には「自分が出来ない事を他者には出来る様に強要するべきではない」というものがある。
……しかし、だからと言って俺は「自分が出来る事ならば他者にも出来る様に強要して良いと思っている訳『ではない』のだ」という事を、今夜は此処に書き残そうと思う。

なぁ、俺は「自分が出来る事は他者も出来て当然だと思う事や『自分が出来る事を他者にも出来る様に強要する事』は極めて愚かな事だ」とすら思っているんだぞ?

それ故、俺は自身の感情や思考が他者にとって納得や共感は疎か表面的な理解すらも『する事が出来ない』内容であり、所詮は嫌悪感と否定の感情を向けられるだけのガラクタだったとしても、それは仕方がない事なのだと――ある種の『個体差(個人差)』であり改変は不可能に等しく、それは改変しようと目論む事はこの世で最も烏滸がましく唾棄すべき事なのだと割り切るべきと判断しているんだよ。
まぁ、当然の事だろう? なんせ、他者に理解や納得という「出来ない事を強要し続ける事」は正に前述の通りの『極めて愚かな事』でしかないからな。
そもそも……普通という平均や常識という正しさから著しく外れた物事や価値観に関して『説明』をするという行為は常に「意味も価値も正当性も無い事」であり、一般的にはまず「求められない事」なんだよ。
なんせ、現実的には説明という『愚行』に付き合うよりも多数派という数の暴力……否、数の正義で押し潰す事で強制的に矯正する方がまだ簡単だからな。
……それでも、一般的には愚行である説明を遂行する意味のある『例外』的な者が存在するとすれば、それは自身の時間と精神力というリソースを膨大に消費してでも理解を深める気があるからこそ自ら進んで説明を求められる『奇特にも程がある聞き手』だけだろう、が、そんな者は滅多に出現するものではないし……それの出現を望む事は実質的な『極めて愚な事』の選択だとは、もう分かっているさ。

等と、考えの仕組みに関する説明よりも個人的な心情の吐露を優先して書いた結果、元々複雑怪奇で他者の理解が得難い内容が他者はまず拒否感しか湧かない程に混沌極まる内容という更に酷いものになってしまった気はするな?
という訳で、話を比較的説明的な方向に戻すとだな……この件にはまず「自分が出来る事と他者が出来る事が同じだとは思い込まない方が良い筈だ」という前提が存在していて、その先に「ならば、自分が出来る事なら他者も出来て当然と思い込み強要する事は良くない事の筈だ」という考え方が存在するんだよ。
なんせ、人間の出来る事には意外と大きな『個体差』が存在するからな……その差は健常者と身体障害者の様に違いが目に見えて明らかな者達の間だけでなく、近い歳と同じ性別を持つ健常者同士という『表面的には同条件の者達』の間でも十分に発生し得るんだぞ?
そう、例え表面的には同条件の人間達を集めた集団でもその中の人間達の出来る事が完全に一致する事は滅多に無いし、仮に行動の先で出せる結果(成果)を大体一致させる事は出来るとしても「結果に辿り着くまでの『過程』で必要になる労力等までもが全て同じだとは限らない」筈なんだ。

……とはいえ、人間はどうにもその辺りの事を忘れて『普通は皆同じ事が出来て当然(という圧)』に走る癖がある生物であり、かくいう俺もその前科が全く無いと言えば流石に嘘にはなるからな……しかし、だからこそ今の俺は「せめてこの先ではそれをしない自分に成れますように……」と祈る様な気持ちで此処にコレを書き残しているんだよ。

2024/03/25(Mon) 02:36 

◆この世に存在しないのは「献身に対する見返り」ではなく『見返りを求めない献身』の方であり、だからこそ俺は「求める事も与える事も自分にとっては所詮全てが『無意味』であり、故に今後は『関心を持つべきではない事』だ」と割り切る道を選んだのだろう。 

「どんな献身にも見返りなんて無い」……とは、嘗て何処かの漫画かアニメ(多分、まどマギ本編)で聞いた台詞だが、献身と見返りの関係はそれよりも『見返りを求めない献身など無い』と言った方が更に正確なのではないだろうか?
……とは、此処暫く思い続けている俺が居る、そんな今日この頃よ。

まぁ、以前にも少々書いた事がある筈の話だが……人間は所詮『快感と不快感の奴隷』の様なものであり、例え金銭的な報酬を期待しないで遂行する事であろうとも「快という『感覚的な報酬』は求めている」事実が自覚の有無に拘らず存在するものだ……と、俺は考えているんだよな。
故に、世の中で俗に「無償の愛」と呼ばれている様なお綺麗事でさえ俺は所詮「金銭の代わりに達成感や満足感といった『快の感覚』を徴収しているだけ」だと思っているし、無償の愛とは「幾ら続けても『快の感覚が得られない』と悟った瞬間に容易く枯渇するもの」だとも認識しているんだ。
……まぁ、極端且つ簡単に言ってしまえば「一般的な愛は『対価交換』で当然だ」という事だろうか?
つまり、一切の見返りを求めない献身(=無償の愛)など一般的には存在しないに等しいし……もしも存在するとすればそれはもう人間が実現できる範囲(ストルゲ・フィリア・エロス等)を実質的に大きく越えているのだと――神の領域(アガペー)の事なのだと、俺は考えているんだよ。
また、そう考えるからこそ「それ(見返りを求めない献身)は人間には到底難しく、故に普通には存在しないものだ、という確信が持てる」という話にも行き付く訳だな。

そして、故に俺はやめたんだ……表面的には何の見返りも求めていない様で、しかし実の所は金銭よりも難しいモノを要求している『代償必須の献身』に関し「それを求めたりあった方が良いと思ったりする事」を、な。
……なんせ、俺にはその献身が求める見返りを支払う能力が――相手に『快』の感覚を発生させる事の出来る力が無いのだから……報酬を支払う能力のない者には他者へ仕事を頼む資格が無い、なんて至極当然の事だろう?
また、それと同時に俺は「自分から他人へ『代償必須の献身』を向ける事」もやめる事にしたんだ。
……だって、馬鹿げているだろう? 他人のそれへ自分からの見返りを渡せずに困った経験のある人間が、他人に同じ事を押し付けて見返りを求める等……そんな「自分が出来ない事を他者に強要する行為」は只管に馬鹿馬鹿しい事――愚の骨頂、の筈だろう?
そう思ったが最後、俺は「献身される事ともする事とも『無縁』な今この瞬間が『一番楽』だ」という結論に気付いてしまったんだ。
……何処までも貪欲な自分に半端な献身の向け合いは――曖昧な『友情(フィリア)ごっこ』は後が辛いだけであり、それならいっそ何も無い方が気楽であり後腐れの心配も不要で済むのだと……体感的に、気付いてしまったんだよ。
極論、形の上では集団の中に居ながらも『心だけが分かり難い孤独に陥る』位なら、そもそも集団の中に居ない事で『全体的に分かり易い孤立に落ち着く』方がそれ等(孤独・孤立)を仕方ない事や自分には妥当な事だと「割り切る為の諦念が準備し易い」じゃないか、という話は在るだろうからな……ま、そういう事だ。

……とはいえ、これ等の考え方は基本的に『至らずに済むならそれに越した事は無い事』だろう、とは内心思う所だがな。
近年の俺の様に「過度な事象や感情は例えプラスでも要らない、ただ平坦なゼロで良い」と思う者なら楽になれて良い考え方かもしれないが、それ以外には、まぁ……普通は耐え難い事、だろうな。

[追記] (2024/03/23(Sat) 23:39)

2024/03/23(Sat) 23:39 

◆「自尊心や自己肯定感が人並みに有れば出来ない『捨て身・死なば諸共』な怨み方」をしている自覚は正直あるが、自身の人格を肯定する事が許可される程度の社会的真っ当さを持ちそびれた俺にそれは「だから何だ?」という話でしかないのだ。……という結論はあると言っておこう 

対人的な場面で自分の納得のいかないまま誰かに見捨てられる事となり、その誰かに対して憎悪や怨恨を感じるようになった際、一般的な感性を持つ突き放される側が思う恨み言は恐らく「酷い目に遭えば良いのに」程度の事だろうと思う。
……が、少々歪んだ感性を持つ気違いである俺の恨み言はそんな単純なモノではなく、何処か『捨て身』とも言える側面があるモノになる事も多々あるのだ……等と少々ボヤいておきたくなる、そんな深夜〜早朝よ。

まぁ要は、単に酷い目に遭えば良いという事ではなくて「いつか何処かでお前と俺の両方を知っており、尚且つお前が俺を見捨てた事も知っているお前のお友達共からお前が『人の事を言えない奴』だと言われてしまえば良いのに」等と思う事が俺には割とある、という事だ。
なんせ、最も怨めしい糞野郎も、それのツレであり次点で怨めしい糞女も、それ等の取り巻きの偽善者数名も、第三者から言われて『一番ダメージを負う内容』は其処――「貴方は貴方が不快に感じて嫌いに思って要らないと判断して捨てた『酷い人と同じ』だ」という内容だろう……と、俺は思うからな。
まぁ、誰だって自分が自分の嫌いな人間に似ていると言われたら気に障るだろうし、それが自分とは違う酷い人だと思って――蔑んで捨てた人間だとすれば、ダメージは尚更の筈だろう?
だから俺は、もしも奴等があの頃の選択を後悔する様な目に遭う事があるならば、それは単に酷い目に遭うよりも「第三者から俺と同族だと思われる事への嫌悪感」で――実質的な『同族嫌悪』で苦しめと思うし、その為なら「自分が第三者から『酷い人』だと認識され続ける事も厭う気は無い」んだよ。
……まぁ実際問題、俺が酷い気違い屑野郎なのは唯の事実だからな……俺自身は例え誰に改めて『酷い人』だと言われた所で「……今更気付いたのか?」以外の感想が無い訳だ。
だが、俺をそう思って捨てた常識人様方はそうではないだろうからな。
俺の事を悪い・酷い・おかしい等と判断して「見放す事は正当な選択だった」と認識出来る程度には持っているだろう「自分は普通の考えを出来ている」という『人並みの自尊心と自己肯定感』を潰されるのは、とても辛い事だろう?
特に奴等の場合、俺は単に似たくない酷い人なだけでなく『嫌悪の対象』でもある訳だからな……だとすれば、俺と「似ている」等と言われた日には発狂したくなる程の同族嫌悪に襲われる事だろう……と思うと、実際にそんな事が起こる事は無かったとしても想像だけで溜飲が若干下がるというものだ。
……基本的には起こらない事だとしても「起こる可能性が『完全なゼロとは言えない』かもしれない事ではある筈」だろうし……なぁ?
ま、僅かなハズレくじを引かずに済む様に精々『努力』を続ければ良いさ。……でなければ、俺に言った「冷夜が努力を怠ったから」という言葉の説得力が霞むぞ?

……等と書いていると若干思う余談なのだが……もしもこの考え方にある種の論理性(現実味?)があるならば、俺にはアレのアレなアレと比べられる分には実はそこまで凹まない説があるんじゃないか? という様な気は若干してくるな?
極論、この考え方の肝は自覚が無い類似の発生という部分よりも「自身の『嫌悪の対象』と比べて類似していると第三者から言われる」という部分にあるのだし、だとすれば……ある意味、当然の事か。
……但し、大きく凹む事は無くとも「割と困惑する部分はある筈」だろう……とは一応添えておくぞ?
ま、この辺の事は飽く迄も唯の余談であり、至極どうでもいい話だが。

2024/03/21(Thu) 05:50 

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