廃棄場


◆まぁ、コレを読んで俺を軽蔑する事や、或いは「そう思わなきゃ心を保てないなんて『いっそ可哀想な人』ね」等と思う事は別に自由だが……そう言う奴等ほど「実際には誰も救わない」のだと――『上げて落とすが大好きで大得意な偽善者』なのだと、俺はよく知っているからな? [追記]

後の事はある意味で簡単だったさ。
まぁ、良くも悪くもそれに気付いた時の俺は既に今と同様の『孤立』状態にあったからな……ある意味では極めて絶望的な現実の真理という『普通の事』を「抗っても仕方ない事」だとしてそのまま本気で受容する事を決意する事の『障壁になりかねない他人(……という名の偽善者共)』が俺の周囲には最早一人も存在していない以上、真理に対する受容と「受容の為の『確信』の獲得」と納得は極めて素早く済んだ訳だ。
……なんせ、周囲に誰が居る訳でもない状況ならば――例え俺を救う事は出来ずとも「それでも貴方(=俺)を好いているし心配している」という事を『本気で言える』程に『心底想っている』し『体現も出来る』という者が誰一人『存在しない』状況ならば……前述の真理を肯定する事は「それ等を完全否定する事」だ、という部分に対する『罪悪感』を俺が抱く必要は発生しなくて済むのだから。
まぁ、要は「俺がこの真理を――経験則を肯定する事への『反証に為れる者』など、俺の傍には『存在しない』じゃないか」という話だ。
故に、俺はこの経験則を比較的スムーズに肯定出来た上、それで「一周回った救いの境地に『自力で辿り着く事』も出来た」んだよ。

そうして経験則を肯定した結果、俺は「他者に助けを乞いたい、という『無駄な願望を消す事』にも成功した」訳だ。
……まぁ、当然の事だろう? なんせ、此処に至る事で俺は「他者に助けを乞う事」の自分にとっての『実態』は「余計な苦しい目に遭いに行く事」でしかなかったという『もう一つの経験則』にも気付く事が出来た訳だから、なぁ?
その果てに、それが――自分が誰かに「助けて!!」と望む行為が、他者にとっては『非常に迷惑』であり自分にとって『極めて無意味』である、という事を自らの経験を以て痛感するという形で『学習』しながら真理を受容した俺は徐々に「助けて!! ……等と言う気は今更起きないな……言った所で『他者が望む様に助かれる』訳ではない事が分かり切っている以上、他者にそれを聞かれる意味も無いし」というスタンスを自然と取れる様になり、最後は……「他者の助けという“一瞬の救いモドキ”に無駄な期待をするよりは、細々としているが“持続力のある自己救済”を維持する方が良いだろう」という方向に舵を切る事も出来たのである。
そして、その事こそ俺の感じた『一周回った救い』の正体という訳だ。
……そう、コレは「良い意味で普通と言われる様な真っ当な人々の世界に対して助けを求めている限り自分は絶対に救われない」という平均的な絶望を知ったからこそ辿り付ける『風変りな悟りの境地』……それこそ、自分を救えるのは自分だけである事を言葉の上ではなく『自らの精神的な体感として理解した』が故に辿り着ける、絶望感の底に潜む『暗い希望』……俺には、そんな「誰の助けも『期待しない』からこその『安心』感だけが残っていた」のだ。
誰とも触れない閉じた世界の中で、俺は他者に――他人に助けを求めていた時には得られなかった『穏やかな安定感』を漸く得る事が出来たんだ……『一周回った救い』として、な

……という事を、最初はもっと手短に書く気だったんだが……結局、長くなってしまったな? まぁ、いつもの事ではあるが。
とにかく……こうして「助けを求める事の無意味さを知った」俺は『助けを求めない生き方の良さも知った』んだよ。
尚、それを『此処に書き残す事の意味』に関しては……まぁ、それこそ「自己救済の一環」としか言えないな……「自分が吐きたかったから吐いた」だけの事さ、コレは。

2024/02/15(Thu) 02:56

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