廃棄場


◆この世に存在しないのは「献身に対する見返り」ではなく『見返りを求めない献身』の方であり、だからこそ俺は「求める事も与える事も自分にとっては所詮全てが『無意味』であり、故に今後は『関心を持つべきではない事』だ」と割り切る道を選んだのだろう。 [追記]

ちなみに余談だが、俺はフィリア(友情)の領域だけでなくストルゲ(家族愛)の領域でも『見返りを求めない献身など無い』し「愛は等価交換だ」という考え方は通用するものだと思っているし……実際、俺と両親の関係も突き詰めて考えれば実質的にそういうものだ、と思っているぞ。
まぁ、つまりは……俺は両親の「自分の子供にはとりあえず生きていて欲しい」という要求に応えてとりあえず生きているし、両親は俺の「それなら生活環境は与えてくれ」という要求に応えて俺がニートでも見捨てずにいてくれる……というのは実質的な『献身と見返りの与え合い』だろう? と思う訳だ。

……だからこそ、もしも両親の考えが「例え我が子でも真っ当な一人前の大人に成れない出来損ないなら要らない、何処かで野垂れ死んでもいい、あんな奴はもう知った事じゃない」という方向に変わってしまったら……という話はあるんだが、な。
とはいえ、その時は俺も「死にたくなったら誰の事も気にせず自由に死んで良いんだ」と考えを変えて本当に死ねばいいだけだろうから、それこそ適当な駅のホームにでも飛び込めば良いだけの事だろうとは思うぞ。
なんせ、そういう場合であれば後の賠償問題で両親が苦しむ事を考える必要も無い、と言うか……そうした方が「最も身近な立場且つ『製造元』でありながらも『自分を見捨ててきた者への復讐』になる」から寧ろ良い筈だし、何なら「無敵の人の暴走(無差別殺傷事件)とは別の形での『生き難い社会全体への復讐』を果たしつつ死に逃げという『勝ち逃げ』も果たす事」にすらなる筈だから、なぁ?

とはいえ……現状では両親の方針がその様に変化する兆候は見られないので、だとすれば俺もあまりに下手過ぎる事はしない様に気を付けながら無難に生きておこう……という事にしているんだ、とは念の為に言っておくぞ?
それと、そうして無難に生きる事だけでそれなりに満足してくれているらしい両親(+祖母)にはなんだかんだで感謝しているな、という事も……極論、俺に残った『人脈』は本当にそれだけであり、尚且つそれだけが『最後の砦』でもある訳なのだから、幾ら我が子とは言えこんな出来損ないの大人に衣食住を与え続けてくれている『家族』には今でも流石に感謝しているさ。
……今でも、よりも「今こそ」の方が正しいか、コレは。

2024/03/23(Sat) 23:39

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