夢物語

□坂ノ上駄菓子屋事件 (乱歩少年)
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「ねえ―え――。」
「・・・・。」
「ねえ――え―――。」
「・・・・。」
「聞いてるう―?」

板で出来た壁、天井、草っぽい香り。
木造の建物に、真っ赤になった太陽が色塗りをしてる夕刻。
僕は寝っ転がって、天井の模様を見つめてた。
そろそろ夕食かなぁ、と思い始めてた頃。
外壁だけじゃ飽き足らず、夕日は部屋の中までいよいよ真っ赤に染め始める。

「ねえねえお腹空いたよぅ〜、」

開いた窓からゆるい風。お隣さんかどこかから、ふんわりご飯のにおい。
草の香りにだんだんご飯のにおいが混じって勝って。
どうにもお腹が空いてね。
ふ―く―ざ―わ―さ―ん、って。
肺活量めいっぱいで呼んであげたのに、ちっとも振り向かないのは銀髪のおじさん。
トントン、自分で自分の肩を叩いてる。
今は夕日で真っ赤なそのおじさんは、和室の畳の上、僕がジタバタしても、イグサをポリポリして引っこ抜いても、髪の毛一本逆立たなかった。

「ね―え―、行こ―うよ―。いいじゃ―ん。」

コロコロコロコロ、て。
背中を向けて何やら書き物をしている和服姿めがけ、僕は丸太のように転がって衝突した。
ドン、と音がして筆がブレて、紙の上に歪な絵が出来る。
右手に持った筆が石みたいに固まった。
怒ってるんじゃない、きっと考えてる。
僕は内心わくわくした。

「・・・乱歩。」
「うん!」
「これを見よ。」
「?か〜、けい、ぼ。」
「家計簿。日頃の出費を管理しているものだ。」
「ふーん。」
「ここを見よ。」

脚の短い机の上。立って並んでるのは数学、国語、変な本、それからかけいぼ。
そこから一冊抜き取って、トン、と固い紙を示す指。
家計簿と題されたそれが寝っ転がってる僕に合わせて回転する。
開いた頁は、僕が福沢さん家に居候し始めて数カ月経った頃のとある月のものだった。
達筆すぎてよく読めないけど、勉学の教科書代って書かれてる気がするよ。
あ、僕のね。

「教科書ってつまんないのに高いんだね。」
「そこではない。ここだ。」
「僕あんまり漢字読めないよ。」
「駄菓子代。ひと月とは思えぬ高額ぶりだ。」
「そうなの?」
「そうだ。つまり駄菓子屋には行けぬ。諦めよ。」

・・・むう。
僕は丸太になったまま固まった。
福沢さんはさっきと変わらない姿勢で背を向ける。
絵を描いてしまった紙を切り刻んで塵箱へ。
無駄のない動きに、僕の希望が通せそうな隙間は見つからない。

お腹が空いたから駄菓子屋へ行こう、と言い始めて数十分。
これまであれやこれやと思い付く限りの方法で駄々をこね続けたせいか、最近の福沢さんは滅多なことでは動じない。
這いつくばって自分のがま口のところまで行く。
お小遣いの額は決まっていた。
・・・うーん。
ぱちり、開いて閉じて。
ぷぅ、と膨らんでみてもその金額は変わらない。
お仕事の帰りなら寄ってくれることもある、坂の上の駄菓子屋さん。今日のような休日にわざわざ出向かせるにはそれ相応の理由が必要なようだ。
コロコロと福沢さんの足元まで戻る。
ぴこっ、と、妙案を思いついたのはその一瞬あとだった。

「ねえねえ、さっき書いてたのって、前に依頼があってお仕事してあげたお偉いさんへの手紙でしょ?」
「そうだが。」
「ご機嫌いかが?って内容の手紙でしょ?」
「・・・そうだが。」
「その人、僕より年下の子供がいるんだよ。知ってるでしょ?」
「・・・・・・そうだが。」
「どうせ手紙送るなら、その子供にお菓子をつけてあげるといいよ。お中元ってやつ?大人の人がいつも送ってくるやつ。きっと喜ぶよ。なんて気遣いの出来る人だろうって。そんでもって、福沢さんにまたお仕事頼む可能性が高くなると思うんだよね。」
「・・・・。」
「最高の案だと思わない?」

30秒くらい、時計の針の音だけ聞こえてた。
ゆっくり、じろり、僕を見下ろす目。
にんまり笑ってみた。
きっとこの後彼は立つだろう、重い腰を上げて。
僕には分かるよ。
きっと立つ、きっと立つ、きっと、

「・・・・少し散歩に行くか。」

ほらね。
さすがは希代の名探偵江戸川乱歩。
僕と福沢さんは良き相棒であり、今やその噂は遠く地方まで届こうとしている。
けれどもその実、依頼はほとんど僕へのもので。
最近アテにされない自分のことをもやもやと考えているのはお見通し。
そんな福沢さんの羽織りの裾を引っ張って立ち上がると、なんだか情けない顔をしながら僕の頭を撫でてくれた。



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