夢物語

□*sign* (七夕企画へのスピンオフ)
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 社員らの忙しさを遠く聞く、私独りの社長室。
 昼間近、ざる蕎麦でも、と思ったのは、窓の外があまりに眩しく屋外の暑熱が思いやられたからだ。案の定、廊下に出れば空気が密度を増したかのような蒸し暑さで、わずかに眉をしかめる。
「よいっしょ…と」
 小さな掛け声に目をやれば、女子社員の一人が段ボール函を抱えていた。春野が私の秘書役にほぼ専従するようになってからは、後輩らによく目を配り、不便のないよう何くれとなく世話を焼いてくれている頼もしい事務方の要だ。
 表書きを見るに、抱えているのは先達て依頼人への報告が済んだ案件の資料らしい。
「替わろう」
「…え、あ、社長っ。いえ、資料室に運ぶだけなので」
 にこやかに返されたので、すぐ脇の部屋の扉を開けてやる。そこに並ぶ棚にはすでに隙が作られていて段取りのよさが見てとれた。
(思いの外、力仕事もあるものだな)
 調査員のみならず、各方面への渉外など事務員もまた社を出ての仕事は多い。雑用はいる者が各々こなすのが当然ではあったが…。
「いい加減ハンコ下さいよ!」
 事務室に華奢な背中が消えたのを見届ければ、今度は調査員室から聞き覚えのある怒声がした。
「だから必要性が解らんと言っとるだろうが」
 応じたのはうんざりした国木田の声。……この春に入社したばかりとは思えないほどの度胸のよさは、調査員にも匹敵するだろう。相変わらず鉄砲玉のような娘だ。
 歳若い娘にしても小柄な事務員を思い起こして、そっと部屋に入る。気づいた社員に口の前で指を立てて黙らせ、大型犬に挑む仔犬のような様相を窺った。
 件の娘は渋面の国木田にわずかに言い淀む風情を見せたが、しかし次にはムッと口を引き結び、頬を膨らませた。
「じ…じゃあ、想像してみて下さいよ! 先輩が、このセミタイトのスカートで重い段ボールを床から持ち上げる場面を!」
 先輩……国木田相手に言うからには、先ほどの事務員だろう。我ながら疎い自覚はあるが、二人が昵懇なのは知っている。
 ビシッと指を差された国木田の顔に、数瞬の後に朱が掃かれた。その様に、娘がいっそう言い募る。
「高い脚立に乗って、切れた蛍光灯を−−−」
「わあああああああ!」
 解った、それ以上言うな貴様!! と遮った国木田の心情は察するに余りあるというものだ。
(なるほど…)
 確かに。制服姿で脚立に乗り、笹の天辺に短冊を飾ろうとしていた娘の様子は、思えば危険という以外にもいささか…いや大いに心許なく、今さらにして狼狽えた。
 スッと歩み寄り、デスクの上を見れば案の定制服の改善を上申する提案書。
「社長っ…」
「うむ、許可する」
 ハッとした国木田に頷いて、提案書の承認欄に署名する。
 そんな私を隣から見上げる娘は、即決が意外だったものか呆けたような顔であったが……どうしたわけか、ほんのりと染まっていた。
「…どうも」
 ぺこりと頭を下げ、サッと提案書を手にするなりまたあの素早さで調査員室を出て行ってしまう。
 また置き去りにされてしまったが…ずいぶんと後になってから、この時のことを娘がたいそう喜んでいたと聞かされて、柄にもなく私の頬は幾許か弛んだものだった。


END


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