夢物語

□月とグラスと、隣にわたし (中也)
1ページ/2ページ



またへこんでるかなぁって。
そんな気がしてわたしは探していた。
辿り着いたガラス張りの部屋。
対等な高さに黄金色の大きな月が見えていた。
滑りそうなほど磨かれた、スカートの裾まで映し出す大理石みたいな床。
履き慣れないヒールが床と摩擦して耳触りの良くない音を奏でる。
足を投げ出して座っている背中が、昔とおんなじくらい小さく見えた。
悲しみ、自己嫌悪。それを背負って尚直向きな姿。
不快な音に反応した頭が器用にひっくり返って顔を見せる。
帽子がぽすっと落ちた。

逆さまになってわたしを認めたその顔立ちは、もう何年も見ていなかった写真みたいに、幼くって丸っこい子供時代。





「ねぇかえんないの?」

土の上、膝と手をついてわたしは中也の顔を覗きこんでいた。
暗がりに浮かぶ白い肌が、抱え込んだ膝と頼りなく風に揺れるシャツの合間に半分埋もれてる。
わたしはずいっと、上半分だけ出た顔に近づいて、おでこをくっつけるみたいにして観察した。
うーん、近すぎて見えない。
中也はすごく嫌そうに目を伏せてしまった。
そのうち足先で土を蹴って、器用に体ごとそっぽを向いて。
拗ねてますって、ぎゅっと自分を抱き締めた腕に書いてあるくらい分かりやすい様子に、わたしは首を傾げて隣に座った。

「おなかすいたよ、ちゅーやもかえろう?」

おさむはビョウインでおいしそうなごはんたべてたよ?って。
舌っ足らずな10歳ほどのわたしが、同じ年頃の、けれども女子の自分より数段子供っぽい男の子を説得してる。

「げんきそうだったよ?」

お見舞いに行ったら、僕は何ともないのだけれどところでメロンは?って。そんなの小学生に買えるわけないじゃんね?
くるくるに巻かれた包帯を固定してる留め金が、蛍光灯の灯りを反射してたのを覚えてる。

「ねぇ、ちゅーや、」
「さわんなっ!」

石みたいに動かないその体をちょんと摘まもうとして、肩を押される。
可愛いげのない、けれどもまだ声も幼いまんまの叫び。
土についた手のひらが痛いや。
中也を見ると、何故か悲愴な表情を浮かべてこっちを見てる。

「なにすねてるの?」
「すねてねーしっ、もうこっちくんなよっ、」

がーん。
幼いわたしは地味に傷ついたようだった。
その頃中也のことは他意無く好きだったし、治のことも好きだったし、だから喧嘩は嫌だったけど、男の子同士なら仕方ないことなのかなって。
わたしが止めれば大抵はおさまったし、そうやって大人になればいつかは仲良くなるよねって思ってた。のに。
拗ねたいのは、本当はわたしのほうだ。

「ちゅーやのばぁか。もういいよ、ひとりでのむから。」

手提げに入れてたジュースを出して、わたしは一人で飲み始めた。
新商品の、ブドウジュース。
涼しくなってきた季節、鈴の音みたいな声を出す虫がどっかで鳴いてて。
目の前には川が流れてて、大きな月が水面にぺっちゃんこになって映ってたんだ。
黄金色がゆらゆら、川の流れに揺さぶられて。
それが中也の涙みたいに思えて、やっぱりわたしはもう一本のジュースを黙って隣に差し出した。

「ちゅーやはすごいよ?おもいものとか、なんでもてつだってくれるじゃん。」

その「ちからもち」の使い方を、ちょっと間違っただけなんだって。
そこまで分かってるけど、きっとまた思い出しちゃうから言わなかった。

元来の才能と、突然見出だされた異能力と。
それを異形と見なされ預けられた子供の気持ちを加味できるほどわたしも大人じゃない。
中也はヤンチャで治は優しい。バックグラウンドなんて関係なくて、二人はちゃんと普通の人間で。
だから、いつもの喧嘩がエスカレートして中也が思い切り治を殴ってしまったとしか映らなかった。
治は賢すぎるほど賢いから、怒らせ方も上手だけど避けるのも上手。
ぽたぽた落ちる血を見て治が笑ってた理由は、今も曖昧だ。
何を、したかったのか。

わたしはただ元気を出してほしくて、しばらく意味の無いことを喋りかけていたのを覚えてる。

「そうだ、おねーさんからいいものもらったよ?」
「?」

紅葉のお姉さんのことだった。
耳がぴくりと動く。
ジュースと一緒に入れてしまったせいで冷たくなった黒革の手袋を、わたしは自慢げに差し出してみせた。

「これはめてれば、なぐったりしないってさ!」

どういう理論か分かりかねるけど、子供にはそれでいいのだろう。
わたしと手袋を交互に見て、不安そうに指を通した中也の顔を、わたしは今も忘れていない。

似合ってるよって言ったことも。





「またそんなとこで黄昏ちゃって。」

逆さま向いた顔は、可愛いげなんか欠片もない鋭い目つきだった。
なんだお前かと残念がられる。
何それ。
わたしは睨み返した。
あーあ、あんなに可愛かったのに。
お互いに思っているのかな。

「つーか黄昏って、そりゃ日暮れのことだろうが。」

鼻で笑ってるのが分かった。
傍には落っこちた帽子とワインボトル。
一緒に行儀悪く地べたに座って、わたしはその生意気な鼻先にボトルの底を向けた。

「帽子に注いであげてもいいんだよ?」

人質より余程深刻なのだろう、顔が歪む。
嘘だよと、分かりきってる終止符に中也はそっぽを向いた。

「ねぇ帰らないの?」

よっこいせと体をひきずって距離を詰める。
本当に可愛くなくなってしまったなと、伸びた髪を摘まむと殺気が刺さった。

「触んな。」

ああ怖い怖い。
わたしも真似してそっぽを向いた。
大きな月は、ぺしゃんこになることなくただ浮いている。
中也はわたしに分けてくれることもなくワインを飲んでいる。
グラスが間に置かれた。
わたしはもう、あげられる物も無く手持ち無沙汰でだんだんと何をしに来たか忘れるほどで。

「寂しくなるねぇ。」

月に向かい、言葉に反してわたしは笑っていた。
返事はなく、ただこっちを見ていることは分かった。
不意打ちでパッと横を向く。
悪役みたいな目が一瞬大きく開いて、子供時代が残像になって消えていった。
手袋をあげた時とおんなじの。

「そうかよ。」

果たして中也はどちらの意味で受け取っただろう。

わたしはまた、なんの意味もないことをしばらく話し続けていた。


月とグラスと、隣にわたし。


治が居なくて寂しくなるね。


中也も居なくて、寂しくなるね。


*
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ