夢物語A

□春を呼ぶ雪(ポオ)
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カランカランと乾いた音が鳴った。
武装探偵社が借りているビルの1階、喫茶うずまきの扉にくっついた小さな古い鐘である。

「いらっしゃいませ!……あら?」

テーブルを拭きながらそう言ったのは顔見知りの給仕の女性で、言葉尻と共に顔を上げると、小首を傾げてからこちらへ向かってきた。

「乱歩さんなら上だと思いますが……。」

我輩が来た=乱歩君に用事であると定着しているらしく、メニュー表を小脇に抱え、盆の上に器用に重ねられた食器をコトリともいわせずに運んで彼女はそう言った。
汚れた食器を見るに、先程までは客が居たらしい。
今はがらんとしているが。

「きっ、今日は、ここで待つようにと……。」

言われたので……。
彼女の目を見る勇気も無く視線をそらすと、カウンター席が視界に入った。

「あ、あの席で待つのである………。」
「えっ?でも、今なら広いお席も空いていますよ?窓際のほうが明るいですし。」
「へっ!?」

窓際!?
そんなところに我輩を置かないでほしい。
動物園の檻の中に入れられ通行人の晒し者になっているような気分になるに違いない。
それに………。

「ららら乱歩君からそこにしろと指定があったので……!」

我輩は席に指を向けながら彼女の隣を通り過ぎ、一番奥のカウンター席に腰かけた。
彼女はきっと不思議に思っただろうが、しばらくしてカウンター越しに我輩の前に現れた。

「何になさいますか?」

引いてきた食器がシンクの中で水に浸してあるのが斜め向かいに見えた。
メニュー表を差し出した手から石鹸のような香りがする。
今は彼女ひとりで接客から調理までしているのかもしれない。
普段腰まである長い髪をひとつに結っているのが、今日はぎゅっと団子のように丸めてあるのもその証拠だ。

(しかし乱歩君、嘘つきなのである……)

”僕の推理では明日のうずまきは大繁盛で大忙しだから、1人でテーブル席を陣取るなんてダメ!”などと。
午後のティータイムだと言うのに我輩1人ではないか。

「で、ではこれを……。」

日本の文字は暗号かと思うほど難しいが、メニュー表には写真が載っていて助かる。
紙面の一番上に大きく打ち出されている、ちょこれーと、せっと?なる物を指した。
季節限定であろうか。
マグカップに入ったチョコレイトケーキの表面に、雪のような白い粉で花模様が描かれた手の込んだ品だ。

「かしこまりました。あの……少しお時間いただきますけどいいですか?20分くらい。」
「はぁ、勿論構わないのである。」

乱歩君がいつ来るか、我輩をもってしても分からないからだ。
すぐやって来たとしても乱歩君は大きなパフェを頼むだろうし、それを食べた後一番底に残っているシリアルを我輩に押し付けるだろうし、問題無いのである。

(問題はそんな事よりも……。)

乱歩君、図ったのであろうか。
彼に他人への興味が無い事は分かっているが、このシチュエーション、どうにも良く出来過ぎている。
以前からこの給仕の女性に惹かれている事もお見通しなのであろうし。
否しかし、だからと言ってこんな、いきなり密室に閉じ込めるなど……

「あの。」
「はひっ!?」

調理に取りかかっていたはずの彼女が急に声を掛けてきた。
素っ頓狂な返事に驚いたのか、ピクンと肩が揺れる。

「お、お飲み物、先にお出ししましょうか……?」
「えっ、あっ、い、いいのである、一緒に飲みたいので!」

気を張り詰め、固まっていたのが気になったからだろうか。
彼女は心配そうに見ていたが、また調理に戻り、ボウルの中で何かを一生懸命に混ぜ始めた。
人見知りにはこの対面式のキッチンはつらいのであるが……。

カシャカシャと音がするたび揺れる和装の袖であったり、頭の上で器用に丸められた団子であったり、ふわふわしている真っ白なエプロンであったり。

「綺麗なのである……。」
「え……?」

(のんっ!?)

こここ声に出ていた!?
そんな馬鹿な。
頭が飛ぶ勢いで首を横に振り、我輩は俯いた。
隣に置いてあるレトロな蓄音機で頭を殴打してほしい気分である。

(我輩の馬鹿馬鹿、こんなの、丸分かりではないか……。)

単純で軽率な恋心。
ただの一目惚れだった。
真昼の月のようにうっすらした肌に。
穏やかな口調を飾る桃色の唇に。
陽が当たった時のほんのり茶色く見える綺麗な髪に。
名も知らず、うずまきの撫子と心の中でだけ呼んでいる。
でもこれで良いのだ。このままで良いのだ。
こういうのは大抵、叶わないのだから。

(乱歩君も、こんな手の込んだ事しなくて良いのに。)

好敵手から直々に気遣いを受けるとは、我輩、もしや友人に昇格?なんて。
ほんわり漂ってきたチョコレイトの香りが、少し苦く思えた。

「お待たせいたしました。」
「!」

俯き加減に待っていると、目の前にゆらゆらと白い糸が漂った。
コーヒーから立ち上る湯気の向こうに彼女の顔。
思わず背筋を伸ばして盆を受け取った。

「チョコレイトセットです。熱いので気を付けてください。」
「あ、ありがとう……。」

白いマグカップに黒猫のシルエット。
その尻尾の続きみたいに中にケーキが詰まっている。
温かいチョコレイトなんて、初めてだ。

「あのっ、」

スプーンに手をかけたところで彼女がそれを引き留めた。

「あの……それ、本当は店長が朝仕込みして、焼き上がったものを保存してて。注文が入ったら蒸し器で温めてるんです。」
「?」
「だから、あの。もしかしたら、美味しくないかもって。」

昼下がりの光は白く、彼女の頬は夕方を先取りしたように朱色だった。

「いつも来てくださっているので、御礼のつもりだったんです、けど……。」
「!」

嫌ですよね、と消え入りそうな声がちゃんと聞こえたのは、きっとふたりきりだから。
胸の鼓動が速度を上げ、何か言えと急かしてくる。
彼女の手作りだと分かって、メニュー表の写真とは違う、丸みを帯びたハート型のデザインであると気づいて。

まさか、なんて。

期待、なんて。

(しないけれど。)

「い、嫌なわけないのである。とても、美味しそうである……。」

貴女が作ってくれたのだから不味いわけない。
そう言えたなら確かめようもあったのだが。

「少し早いバレンタイン、ということで。」
「……ありがとうなのである。」

スプーンを差し込むと、我輩の舞い上がった気持ちを表わすように、彼女の心のカタチをした雪がふわりと舞った。
冷えるこの国に、もうすぐ春がやって来る。


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