夢物語A

□あなたの創る世界(ドストエフスキー)
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「だーれだっ。」

背後からふわっと回した手を、緩慢な動作で触られた。
覇気を感じない指先がわたしの手袋に当たって、傷口が引っ掛かり小さな音を立てる。

「貴女ですね。」

視界を塞がれたままで彼はそう答えた。
時間を置いたのは果たして、本当に考えていたからなのか、この遊びが伝わらなかったからなのかそれとも。

「何それー、アナタじゃ分からないわよ。」
「?」

わたしは少し膨れて不満を垂れた。
だって、ちゃんと名前で呼んでっていつも言っているのに。

「此処には貴女しか来ないので。」
「むぅ……。まぁ、そうだけどさ。」

なんて唇をとがらせながら。
“此処にはわたししか入れない。”
理路整然と答える中に、自分勝手な甘みを見出しては嬉しくなって。
にやけた口元を抑えもせず、わたしは彼の座っている回転椅子をくるりと回した。

「んふふっ、元気にしてた?」
「ええ、今その目でご覧になっている通り。」
「あんまりみたいだね。」
「そうでしょうか。」

数日ぶりの再会に、鼻先をくっつける勢いで詰め寄りそう聞く。
回した椅子の軽さに、どこかこの世の人じゃないみたいな青白い顔が浮かぶ。
疑問符をくっつけてカクンと頭が傾いた。

「だってほら、また噛んでるし。」

指。
わたしは手袋越しに彼の手を取った。
黒い革の手袋あげたじゃんか。何でつけてくれないの?
問い詰めれば、「つい忘れてしまう」という素直な回答が返ってきた。

「まったくもう、ドスくんは自分の指がごはんなわけ?」

仕方ないなあと付け加え、わたしはぷちぷち文句を言いながら、パソコン画面の発するブルーライトしかない暗い部屋を歩いた。
可愛いらしい救急箱がこれほど似合わない空間も無いだろう。
手、出して?
そう言うと従順すぎるくらいあっさりと差し出してきた。
海みたいに静かで、凍りそうなくらい冷たい、猟奇的な手を。

「こんなにして。痛いんだからね?」
「既にとても痛いです。」
「文句言わないのー。」

ピンセットで摘まんだ丸い脱脂綿。
エタノールが沁みて、ひくりと指がひきつった。
この人にも痛みがあるんだな。
生きてるってことなんだよね。
食いちぎったみたいな傷口の上でぽふぽふと脱脂綿を弾ませる。
もういいですかと言われるまで、暫く同じ事を続けていた。

「絆創膏は自分で貼ってね。手袋の繊維がくっついちゃうから。」
「ばんそうこ、とは?」

首を傾げた彼は、ぺらっと差し出したそれを見て漸く理解したようだった。



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