04/14の日記

15:42
死刑執行かぁ
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社会、法、常識、そういったモノが「死刑」を成立させていてることは、言うまでもない。
〈皆が望んでいることである〉
それに対し、利害一致している大多数と、利害一致しなかった犯罪者との差は一体なんだろう。
〈我々をおびやかすものを殺すのは、平和の為の、道徳的な犠牲である〉
悪や善、王や病人。
そう言われているモノが、本当にそうであるかと疑うことは、日常の中ではそうそうないだろう。

また、悪人を殺す事が善と言うのは大間違いで、それはつまり、人殺しへの賛同をしているに過ぎない。
実際問題、悪人を殺すモノは殺人犯である。
殺人、それすなわち命の抹消だからだ。
しかし、そんな「殺しちゃえ」といった私情的発言がまかり通る一つとして、要因なのは賛同者の比率が考えられる。
被害者と加害者とでは、共感するものが大多数前者に流れるという事実がある。
トンパ曰く「多数決はすなわち、是非関係なく相手の意見を抹殺する制度」である。
スパイダーマンのグライダーも、多数決によりクビにされ、アバウトな道理で抹殺が行われている。

そういった成り立ちや仕組みを分解していくと、人間は衝動的、本能的で動いてることがよくわかる。
特に、被害でも加害でもない一般人のコメントは心もとない。
人間決闘を観賞する、スポンサーとなんら変わりはない。
もしも、人間を労わるならば、アニマル・ライツには何故無関心でいられるんだろう?
日本は矛盾に満ち溢れている。
平和な国とテレビで流すが、実際多くの人間は日本が衰退の一途を辿るしかないので海外に移り住んでいる。
大地震を予期していて尚、関東の人間をまた危険な目に合わせようとするのだろうか。
同じことを何度も繰り返すような国に信頼などもてようはずがない。
一般人は権力者の捨て駒にしか見られていない。
一般人にも為政者にも共通するのは
「自分をおびやかすものに対して過剰に反応を示す」。ところだ。
一方殺人犯のような本能的なモノは、ただ欲に従っているに過ぎない。
だからこそ一見すると、youtubeのコメントは魔女狩り映画に登場する市民となんら変わりない。
衝動的発言、怒り、無情さ、全てが“たまたま殺人鬼にならない理性があって、良かったね”と思う。悪を持たぬモノはいないというが、とっくに悪が露見している。
法律なんか消えたらそこら中殺人鬼で街は埋まるだろうな。

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