BLACK

□change the world
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木曜の夕方6時調理準備室にて

オレの一週間は、この時間を中心に回っている




change the world




調理実習室横の準備室。学園には長いあいだ調理実習を専門にする講師はいなかったそうで、家庭科の先生が授業の一環として行っていたらしい。まあ、たいがいの学校はそうなんだろう。
今回理事長の方針(ただ単に自分がおいしい物を食べたいからだというのがみんなの意見のようだ)で生徒達に本格的な調理を学ばせたいということで‥オレに声がかかった、らしい。家庭科の先生もめったにこない調理実習室のその準備室なんて誰も使うはずもなく、ただの物置と化していたその場所を掃除して片付けて、オレが使わせてもらっている。
職員室にもデスクはあるけど、なにかとかさばる材料や道具の準備の為にはこの部屋の方が便利でもっぱらこちらにいる。‥それは言い訳でファイのように他人になかなか愛想よくできないってのが本音だけど。

そして今、どれにも当て嵌まらない理由でこの部屋にいる。



準備室には作業テーブル、簡単なキッチン、大きな冷蔵庫、事務机、ソファ、小ぶりのチェスト。真新しい業務用冷蔵庫はオレが着任してから置いてもらったものだ。理事長に掛け合ったら、いつでもおつまみを作れるように材料をそろえておいてちょうだいね、と一言を添えて安くはないものなのにあっさり聞き入れられた。他の物は置きっぱなしになっていた古いものだけど、もともと物はよかったらしく手入れするとなかなか味がでてちょうど好みの感じだった。

そのソファのすぐ横に置いたチェストに忍ばせたものをそっと確認すると胸がトクン、と鳴った。

時計は6時15分を過ぎようとしていた。

−−−もしかして、もう来てくれないかもしれない。
そう思うと頭の奥がシンと冷える。落ち着かなくてコーヒーでも入れようとキッチンに向かった時

ガラリ、と窓の開く音がした

その音に最初の罪悪感を感じる。はじめ出会ったころ、彼は窓から出入りする理事長やファイに教師がそんな事すんな、とよく言っていたっけ。だけど今、彼はこの部屋に窓から入ってくる。理由はひとつ。


誰にも、みられてはいけないから




震えそうになる手をごまかすようにわざと振り向きもせず、話しかける

「ちょうどコーヒー入れるところだったんだ。飲む?」
「−−ああ。」

小さなエスプレッソ用のケトルをコンロにかける。イタリアでコーヒーと言えばエスプレッソの事。普通のコーヒーはドリップコーヒーって呼ぶ。
「なあ、」
沸騰までじっとケトルを見つめていると彼が口を開いた。思わずそれに小さく肩が揺れる。いつだってオレは彼が言葉を発するたびに怖かった。1番畏れている言葉を聞く気がして。

「なあに」
「いや‥遅くなって悪かったな。」
「たったこれくらい、気にしないでよ。剣道部、もうすぐ大会なんでしょ」

本当はそのたった15分に不安でたまらなくなったくせに、平気そうに告げる

エスプレッソを二つのカップに注ぎ分け、彼にはお湯を少し注いでアメリカーノに。この飲み方はイタリアではしないけど、食後でもないのにエスプレッソをそのまま飲んでは胃が荒れてしまう。余計なお世話だって怒られるけど。自分の分にはミルクを注いでカフェラテにする

そこでやっとソファに座る彼の方を振り返り、チェストにアメリカーノをコトンと置いた。ゆらゆらと黒い液体が揺れる。にっこり笑って「どうぞ」と言ったけれど、コーヒーには見向きもせず、いつものように眉間に皺を寄せたまま紅い瞳がじっと見つめてくる。
また不安が押し寄せてきそうになった時。ふいっと顔を背けて

「‥今度から、遅くなっちまう時はメールしとく」

ぶっきらぼうに告げた彼に脚の力が抜けそうになる。
メールなんて、苦手なくせに。さっきのオレの背中で、全部、解ってたんだね。

ああ、だから。


‥君が、好きだよ







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