シュートを決めたら

□雨の体育館
1ページ/1ページ




「……おいノッポ。その髪型、なんとかならんのか」

雨の日特有の、湿っぽい空気が体育館を満たしている。汗で濡れたTシャツがぴたりと肌に張り付いて、すごくうっとおしい。

「確かにすごい邪魔そうだよね。切らないの?」
「切るのは、ちょっと……でも少し、邪魔かな」

水分を含んだモキチの長い髪が、首に、顔周りに、まとわりついている。見るからに邪魔そうだ。
俺はといえば、リーゼントをやめてからというもの髪型を気にする必要もなくなったし、動いても邪魔にならないし、水をかぶってもすぐ乾くしで、良いことばっかりだったりする。

「次からワシの髪留め貸したるワ。見ててうっとおしぃてかなわん。それかさっさと切れ」
「あ、うん。ありがとう」

切るっていう選択肢はないんだな。俺は心の中だけで思って、ドリンクを取りにその場を離れる。
チクショー、だめだ。
やっぱりバスケには、名無しさんの思い出が多すぎる。
そこらじゅうに散らばっていて、どんなことでも思い出すきっかけになってしまう。
偶然名無しさんを見かけてから一週間。気がついたら名無しさんのことを考えてしまう一週間だった。
普通に生活していても考えてしまっていたのに、バスケなんてしたらなおさらだ。名無しさんと積み上げた思い出が多すぎて、ちょっとしたことで思い出しちまう。
一週間も過ぎれば、むやみにイライラすることも減ってきて、なんならもう諦めの域だ。
あーなんだ俺、未練タラタラだな、とか。今更思い出して後悔したって、どうにもできねえんだな、とか。
イライラするよりも、どことなく虚しくてたまらなくなる。どうにもできない現実と、どうにもできない未練に虚しくなる。
だけど、想うことをやめられない。




「百春、髪の毛、邪魔そだね」

雨の日の湿気の満ちた体育館で、
あいつはそう言って、

「あたしのゴム貸してあげるね」

結んでいた髪をするりとほどいた。
散らばる黒髪。

「きて、結んであげるから」

伸ばされる細くて白い腕。
近づく距離。ふわりと甘い、石鹸のにおい。
なんでこいつも汗だくなのに、こんな良いにおいがするんだ。俺とは違う、柔らかいにおい。
それはほどかれた綺麗な黒髪から香っているようだった。

「できたよ。ははは、かわいーじゃん」

ぼーっとしていると、名無しさんはさっと離れていって、俺のおでこからひと束の髪の毛が立っていた。

「……きもくね?」
「そんなことないよ! 似合う……ぶふっ」
「笑ってんじゃねーか! いらねーよ、取る」
「えーー! まってまって、ほんとに似合うから!」
「……」
「ほんとだよ。良い感じ。その方が視界が開けていいでしょ」
「……今日だけな」

俺の言葉に名無しさんは心底嬉しそうに笑った。何がそんなに嬉しいんだか。俺はなんだか照れ臭くてしょうがなくて、むちゃくちゃにボールを放った。

「ちょ、おい! そんなでたらめシュート、入るわけないじゃん!」
「うるせぇ! てめぇのせいだろ!」
「なんであたし?!」
「なんでもいンだよ! 早くボール出せ!」
「おー、下手くそのくせに生意気だな〜、覚悟しやがれ」
「一言余計だ!!クソ!」




あの時の清潔なにおいが、今でも思い出せるようだ。あの声も、腕が伸びてきた時の緊張も、髪を結ばれている無言の時間も、すべてが思い出の彼方にあって、それでも鮮明に思い出せる。
あいつはどっちかというとバカっぽくて、声もでかいし、おしとやかとは言えなかった。
だけどそれが妙に心地よくて、一緒にいるのは純粋に楽しかった。あいつは話がうまかったし、聞き役も上手で、一緒にいて退屈することなんてなかった。笑顔はパッと開くみたいで、つられて笑顔になるくらい明るかった。
異性よりは同性にモテるタイプの、いい奴。
でも時おり見せる落ち着いた目とか、近づいた時にかおるにおいとか、俺と比べたら当然だけどはるかに細くて白くて柔らかそうな肌とか、黒くて綺麗な目とか、ちょっとしたことで俺はあいつを意識した。もちろんそういうところに目がいったのは俺だけなんかじゃなかった。だけどあいつの、無駄に明るくて馴れ馴れしい性格が、そういう空気を作らせない。良くも悪くも、男の気配のないやつだった。

ドリンクを置いてコートに戻る。
忘れられない。
捨てられない。
どんなに忘れたくても、捨てたくても、名無しさんは俺の中から出て行ってくれたりはしない。
これも何かの運命だ。あの時ばったり見かけてしまったのは、偶然なんかじゃない、運命だったんだ。
反省しろ、ということなんだろ。
バスケから逃げたこと、名無しさんから逃げたこと、全てを反省しろってことだ。しょうがない、受け入れるしかない。
捨てられないなら、持っているしかない。
持ち続けるしかない。たとえ思い出すたび傷つくとしても。
それが俺の罰だ。
次の章へ
前の章へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ