時渡りの天使
□一
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そろそろ、この男の相手をしてるのにホトホト疲れてきた頃。
馬の嘶きが聞こえてきた。
「淡水、騒々しい。屋敷の前で何を騒いでいるのだ」
「皇子…」
おうじ、そう言い放って男は外壁から飛び降りるやいなや、長い腕を伸ばし私の制服の襟を掴み上げてきたのである。
「いった!いきなり何するんですか!?」
「五月蠅い、黙れ。皇子の前で暴れまわるな小娘」
頭上高い場所に鎮座し、此方を見下ろす皇子と呼ばれる青年。
めちゃくちゃ美形…、なんて一瞬見惚れそうになるが後ろにいる男に頭を押さえつけられて地面に突っ伏したことで、それは砕け散ることになる。
「淡水、その女は一体」
「立ち入りが硬く禁じられている森から、この得体の知れぬものを引いて出てきたのだ」
怪しさ満点だろう?
もしや、どこからか使わされ皇子を暗殺するよう命を下された者やもしれぬ。
何を言ってるんだ。自分の頭を押さえつけられてるのをいいことに訳がわからないことを、散々抜かす男に怒りがこみ上げてきた。
「…私の話、聞いてました?私はただ道を尋ねただけなんですけど」
道に迷っただけなのに、なんなのこの理不尽な扱いは。
撮影や、お祭りにしては一般人に対してやり過ぎた行為ではないのか。
「なにか事情がありそうだ。淡水離してやったらどうだ」
「甘すぎるぞ、調子麻呂。舎人のくせに、前に皇子の夕餉に得体の知れぬ女が毒を盛り暗殺しようとしたのを忘れたか」
地面に転がる石ころが頬に食い込んで痛い。男の手から逃れようと顔を少し上げようとした時、馬から下りた皇子とパタリと目があった。
感情が一切見えないその目は、ゆっくりと自分に近づいてくるのがわかって体が勝手に硬くなる。
膝をついた彼は、値踏みするかのように私を観察し始めて、
「…私が天に願っていたのは、このような輩ではなかったはずだがな」
そうボソリと呟いた。
「淡水、その女を離せ。そして屋敷に入れろ」
「……いま、なんと仰いましたか?」
男のどこか驚愕の色に染まった声音と、緩んだ力に顔を上げる。
私を囲む長身の男2人が固まり、スタスタと歩いていく青年を惚けたように見つめていた。
「……何度も言わせるな」
不機嫌そうな表情が振り返り一言言うと、門の中へ消えてしまった。