*人魚姫の涙の意味は……*
□八章《人魚姫の様な勇気》
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……こういう優しいところ、ずるいよ……ダメってわかってるのにどんどん好きになっちゃうじゃないですか……。
『すみません、明日も早いので今日はそろそろ帰ります!料理ご馳走様でした』
切なくて泣いてしまいそうになってしまった私はそれを悟られないために素早く文字を打って身支度を始めた。
「あ、待って俺送っていくから!」
『大丈夫です、ここ家からそんなに遠くないので』
「ダメだって送っていく」
こんな気持ちで百さんと二人になりたくなかった。
なったら、自分でも想像できないことを口走ってしまいそうになるのが分かっていたから……。
「ユキ!ご馳走様!!俺柚葉ちゃん送ってく、てか追いかける!!」
玄関を出ようとするときに中からそう聞こえて私はそのまま部屋を飛び出した。
捕まらないようにエレベーターまで走り、中に駆け込み安堵した、が、一度閉じたはずのエレベーターはもう一度開いてしまい、その向こうには息一つ乱さない百さんがいた。
百さん、怒ってるかな……そう思ってちらりと横顔を見たがその表情はなんだか難しくて読めない。
「とにかく送っていくから」
少しだけいつもより低い声で言われ、私はもう頷くことしかできなかった。
駐車場について、車に乗せられて千さんのマンションを出ても私たちは無言で、あの百さんも一言も話さない。
やっぱり無理やりでも自分で帰ればよかった。
そうすればこんな気まずい気持ちのままお別れなんてしなくてもよかったから。
私の家にはあっという間についてしまい、私はスマホに『今日はありがとうございました。送っていただきすみません』と打ち込んで彼に見せた。
彼が何か言う前に私はすかさず続きを入力した。
『今までありがとうございました。あのRe:valeの百さんとこんなに身近に話せて本当に楽しかったです。これからは離れたところで応援させていただきます』
それを見せた時の百さんは、すごく泣きそうで、すごく悲しそうで、少しだけ怒っているようにも見えた。
「……なんだよそれ……俺のこと嫌いになったの?」
そんなわけない、そうじゃない。
そもそも私なんて一般市民が話せる存在じゃあないし、こうやって送ってもらったりしていい存在でもない。
ましてや好きになるなんて……。
「……柚葉ちゃん、俺は柚葉ちゃんとさよならなんて嫌だよ。せっかくこうやって出会えたのにこれでバイバイなんて」
『百さんは国民的トップアイドルです、私はただのパティシェで、言葉も話せないから百さんと楽しくおしゃべりもできません』
「俺は!柚葉ちゃんといる時間がすごくハッピーで……」
『ごめんなさい、これ以上は……ごめんなさい』
そう言って頭を下げれば、彼はぐっと黙った。
やばい、泣きそう……本当はさよならなんてしたくない、こうして、恋人になんてなれなくてもたまに二人で会えるならそれだけで私はきっと幸せだ。
「……柚葉ちゃん、俺さ……」
『じゃあ、さよなら。おやすみなさい』
「柚葉!!」
ドアを開けて出ようとした瞬間、百さんに後ろから急に抱きしめられて私は固まった。
百さんの力は強くてとても振りほどけそうにない。だけどそれより背中に感じる百さんの温もりがリアルで、私の心臓が破裂しそうなくらい音を立てて動く。
離してください、そう言いたいのにこれではスマホも触れない。
「……俺、俺さ、本当はずっと……」
駄目だ、これ以上この言葉を聞いてはいけない。
頭の中でうるさいほどの警報がなる、なんとかしてここから離れろと必死に私の内側が語り掛けてくる。
百さんの声は切なくて今にも泣きそうで……。
このままでいたい、このまま居れば何か変わるかもしれない。
だけどそれでも私は決めたんんだ。
百さんと、ちゃんとお別れするって……。
「……は……なしてください」
「え?」
自分でもびっくりした。
声を出したのは何年ぶりだろう。
自分でもびっくりしたが何よりびっくりしていたのは百さんで、私はすかさず腕から逃げて車を飛び出した。
部屋に逃げるようにかけこんだ瞬間、一気に堪えてきた涙が溢れてきた。
何で百さんがあんなことをしたのかは分からない、だけどこれでもう本当に会えない……。
百さんが好きだ、どうしょうもなく大好きだ。
何故あの時声が出たのかは分からない、だけどこれでよかったんだ。
私の気持ちを伝えたって迷惑なだけなんだから……。
陸くんは私を人魚姫みたいと言ってくれたけれど、やっぱり私は人魚姫なんかじゃない。
だって人魚姫のように自分の大切な声を失くしてまで会いに行く、そんな勇気、私には全くないのだから……。
「……」
どれだけ泣いてもその日、私の嗚咽が部屋に響き渡ることはなかった…….