長編


□第四話
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もういくつ掘っただろうか。

喜八郎がふとそう思った時、一番最初に掘った穴の辺りから聞き覚えのある悲鳴が聞こえてきた。
そして、いつも通り留三郎を呼ぶ声と、しばらくしてからこちらに向かってくるいつもの足音が聞こえた。


「綾部!お前なぁ!」
「おやまぁ、食満先輩じゃないですかぁ」
「…ん?なんかあったのか」
「…なにがですかぁ?」

留三郎はため息をひとつついてから喜八郎の穴の中に降りた。

「お前の穴、いくつ埋めてきたと思ってんだ」
「…さぁ…」
「なんかあったんだろ?」

穴の中に座り、留三郎は喜八郎をじっと見つめた。
喜八郎は顔についた泥をぬぐい、留三郎の横に座った。

「…別になにもありません」

留三郎は黙って次の言葉を待った。
穴の外から一年生の笑い声が聞こえてくる。

「ただ」

「…掘ればわかるかと思っただけです」

喜八郎はそう言って踏み鋤にもたれた。

「それで?わかったのか?」
「わかりませんでした」
「そうか」
「はい」
「わかるまで掘るか?」
「…そろそろ他の保健委員が落ち始めるかもしれないのでやめておきます」

喜八郎はそう言って立ち上がり踏み鋤に足をかけ穴から抜け出した。
そして留三郎に手を伸ばした。

「どうぞ」
「おう」

留三郎は喜八郎の手を借りて地上に出ると、喜八郎はすぐに穴を埋め始めた。

「珍しいこともあるもんだ。お前がちゃんと埋めるとはな」

留三郎が笑うと喜八郎は穴を埋めながら「話を聴いてくれたので」と小さく呟いた。
留三郎はふはっと笑った。

「じゃあ俺はあっちのを埋めてくる。早くしねえとまた伊作が落ちるからな」

そう言って少し離れた穴を埋めに向かう留三郎の背中を見送って、喜八郎は穴を埋めた。

「喜八郎くん」

穴を3つ埋め終わったとき、香が喜八郎の名を呼んだ。

「香さん」
「今日は埋める日なの?」
「いえ。ちょっと見境なく掘り過ぎたので」

服についた泥を払い落とし、次の穴を埋めに向かった。
香はその後について歩き、喜八郎に話しかけた。

「喜八郎くん、お昼今日食べに来なかったけどお腹空いてない?」
「大丈夫です」
「そ?おにぎり作ったからこれ」
「大丈夫です!」


香が差し出したおにぎりの包みが振り返った喜八郎の腕に当たり、地面に落ちていってしまった。

「…あ…」

困惑して固まる喜八郎に、香はにっこり笑った。

「ごめんね!私ったら落としちゃって。砂ついちゃったかな」

包みを拾って砂を払っているその顔は優しい笑顔なのに、喜八郎は罪悪感でいっぱいになった。

「ごめんなさい」
「ん?」
「それ、食べます」
「え?でも、少し砂が」
「食べる」


喜八郎は香から包みを取り、座っておにぎりを食べ始めた。

「喜八郎くん、はじっこに砂が」

香が止めるのも聞かずに喜八郎は食べ続けた。
時々じゃりっと音が聞こえるが、喜八郎は気にも止めずにおにぎりを食べ終えた。

「喜八郎くん」
「香さん、ありがとうございました。美味しかったです。ごちそうさまでした」

喜八郎は香にそう言って、では、と穴を埋めに向かおうとした。

「喜八郎くん、夕飯はちゃんと食べにきてね」

香の言葉に喜八郎は振り向いて、スタスタと香に近づいた。
そして、じっと顔を見つめてから香の身体をぎゅっと抱き寄せた。

「き、喜八郎くん!?ど、どうしたの?」

香は驚いて訊ねるが喜八郎は返事もせずにじっと抱きしめていた。
その様子に香は困惑しつつも、なんとなく背中をポンポンと優しく叩いた。

「…なんですかそれ」
「え?いや…なんとなく…」

喜八郎は香から離れ、自分を見つめる香の顔が困ったような表情でいることにため息をついた。


なるほど。
僕はまだ男として見られてないってことか。


「わかりました」
「ん?」
「これからもっと精進します」
「うん…???」
「諦めませんから」
「喜八郎くん、ちょっと話が見えない」
「見えなくていいんです」


そう言って、香の頬に唇を押し付けた。

「えっ!?」

「それじゃあまた〜」

呆然とする香を置いて喜八郎は踏み鋤片手に歩いて行ってしまった。
その表情は迷いが晴れたようなスッキリとした顔だった。

「ええ〜〜…???」

残された香は頬に残る熱に困惑するばかりだった。


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