短編
□あの人
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海軍本部のあるマリンフォード……のとある大衆酒場が私の勤め先だ。
よく海兵さん達がお勤め終わりに一杯、引っ掛けて行く。
夕方から営業を始めるので、昼は買い出しや仕込みで忙しない。
「店前の掃除してきます」
おう、とカウンターを拭いていた店長(私はおじさんと呼んでる)が不愛想に返事をした。
不愛想であるけど、面倒見は良い。彼は照れ屋さんなのだ。
箒片手に店を出、さっそく掃除を始める。
私以外のアルバイトの子は、もう少しで来るだろう。
もう落ち葉やら砂埃やらを一か所に集め、掃除も終わろうと言う時に、パタパタとマリンフォードの住人がどこかに向かっているのに気が付いた。
「何だろう」
おじさんに断りを入れ、少し、休憩と称して抜け出した。
人だかりができている。
自分がそこに加わったあとからも、後ろに人混みが出来て行く。
ざわめきのなかで、
「海軍が遠征から帰ったらしいぞ」
と聞こえた。
「海賊討伐らしい」
「賞金首か」
「億だと」
とも聞こえた。
あぁ、だからか。確かに海賊討伐がされると、どんな海賊が、海軍の誰によって、と民衆の興味を引く。
「今回は赤犬の隊らしいな」
「うへぇ、そりゃまた…」
「海賊とは言え、同情しちまうよ」
赤犬さん…!
あの人が…
思わぬ単語に胸が高鳴る。
彼が、いるのだろうか。
高まる期待を胸に、人混みの中、前へ進んだ。
「すみません、すみません」
ぎゅうぎゅう、押し潰されてしまうそうだ。
漸く、狭いことには変わりないが、先程よりは余裕があり。その上見晴らしも良くなったところへ辿り着いた。
人と人との間からだが、厳しい顔の、どこか疲れている様な海兵が列を成して船から降りて来ていた。
「わぁ」
あの人は。
どこなのだろう。
通り名でしか知らないあの人は。
積み荷を降ろしていた海兵が動きを止め、敬礼をする。
「…………あ」
いた…!
周りの海兵も充分、というか私よりもかなり背が高いが、あの人は特に背丈が大きい。
赤いスーツを着て、胸を張っているのが、堂々としている。
帽子は目深に被っているから、目元は見えない。
高い鼻と、固く結んだ口が海軍の大将たる威厳を醸し出している。
「……」
好き。
遠巻きでしか、あなたを見られないけど。
話したことも、名前すらも知らないけど。
声だって、聞いたことない。
「……」
彼はそのまま、通り過ぎてしまった。背丈も大きければ、歩幅も大きい。
…私だったら走らないと追いつかないな
「…………」
ただの酒場のアルバイトと、海軍の大将。
遠すぎる。
あなたを見るのは、月に一度。あるかないか。
「戻らないと」
人混みから放り出されるようにして、脱出し、店へ戻る。
グラスを拭いてる最中も、心臓はまだドキドキしていて。
ふわふわする。
名前は何と言うの。
声は?
話し方は?
どんな顔をしているの。
どんな髪型をしているの。
「…………」
結婚は、しているの?
いつかいつかあなたに会って、話をしたい。
名前も顔も分からない
【あの人】。