第2幕

□光が指し示す方へ
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そして当日。


「……はあ」


劇場から出た敦の頰を夜風が撫でる。
熱が集まっているのだろう、その冷たさが心地良い。
ず、と鼻水をすすり、敦は目元に残っていた涙を手で拭った。


「……本気で泣いてしまった……」

「いやあ何度見ても面白いねえ!」


うきうきと敦の隣で乱歩がはしゃぐ。
昨日のじゃんけんで真っ先に勝ち抜けていた彼の能力は、あの後の探偵業務の手伝いの中でしっかりと見ている。

もはやじゃんけんでさえ敵う気がしない。

というか彼が劇などというものにこれほど興味を持つとは思わなかったから、あのじゃんけんに参加したのが意外だった。
昨日の事件現場に向かう途中で訊ねてみたが、「あれは特別」と曖昧な言葉しか返って来なかったのを思い出す。

そういえば、と敦は現場からの帰りに太宰から言われた言葉も思い出した。


――誘われたのだね、行ってくると良い。彼女の演技は素晴らしい! それが演技であることを忘れてしまうよ。きっと敦君も驚くに違いない。それは滅多に経験できるものではないからね、己が誰であるかさえわからなくなるなど、そうそうあるものではない。


だから、と彼は笑っていた。


――彼女には気を付けたまえよ。


あの言葉は、どういう意味なのだろう。


「とりあえず、なんか凄かった……ずずっ」

「鼻を拭け、小僧」


垂れる鼻水をすすり続ける敦にティッシュを差し出したのは国木田だ。
残った三人による激戦の末、紙一重で勝っていた。
あんなに熱の入ったじゃんけんは初めて見た、と敦は思う。
入社試験での太宰とのじゃんけんでさえ、あれほど熱は入っていなかった。


「ありがとうございます……ちーんっ」


周りにいる観客達も皆、鼻を赤くしていたり目元を覆ったままだったりしていた。
しかしその表情は誰もが晴れやかで、最後に役者が舞台に総並びになった時の大きな拍手の音は嘘ではなかったのだと知る。


「ずず、凄く良かったです……主演の男の人はかっこいいし、女の人は綺麗だし……どう見てもお似合いで……どうしてあの二人が幸せになれなかったんでしょう……ずずっ、死んだことにならなきゃ叶わなかった恋なんて……ずっ、切ないですね……」

「ああ、だが最後二人はやっと一緒になれた……死後の世界で、二人は結ばれているはずだ」

「ずずっ、だとしても何だか寂しくて……ううっ、最初の場面でロミオさんがただの面食いなんじゃないかって思った自分が恥ずかしい……」

「存分に泣け、小僧……!」

「はいっ……!」

「何二人して鼻水垂らしてんの」


乱歩の指摘を受け、鼻水を拭きながら三人は帰宅の道を歩いていた。
劇場は探偵社からあまり離れていない。
バスという手もあるが、酷い顔になっているので歩いて帰ろうということになった。

ちなみに、いつも誰かしらが酷い顔になっているので、行きはまちまちだが帰りは必ず徒歩になるのだという。


「うう、鼻水が止まらない……」

「次からは自分の分の紙を持って来い」

「はい、国木田さんたくさん紙持ってきたんですね……」

「こっ、これは貴様の分を持ってきただけだ!」

「国木田はうちの中で一番消費量多いからね」


そうこうしているうちに、三人は川辺の道を歩いていた。
見覚えのある風景に、敦は立ち止まり周囲を見渡す。


「どうした」

「いや、ここ、確か昨日来た気がして……」

気のせいではない。
この川の煌めきも、向こう側に見える建物の様子も、柵も、見覚えがある。


「昨日? ああ、仕事を放り出して飛び出していった時か」

「あ、あれは放り出したわけじゃなくて……なんというか、その……!」

「敦さんのこと、あまり虐めないで下さいよ、国木田さん」


ふと。

川を眺めながら言い合う三人の元に、楽しげな声がかけられる。


「……え?」


聞き覚えがある。まだ昨日の出来事だ。忘れるわけがない。

振り返った敦の視線の先には、亜麻色の髪を片手で押さえながら微笑むあの子が歩み寄ってきていた。


「ナオミさんが大怪我をしたというから、春野さんも来ないだろうなとは思っていたけど……またじゃんけんですか?」

「やあクリス、今日も面白かったよー」


乱歩がひらひらと手を振る。


「良かったです、乱歩さんにそう言ってもらえるとほっとしますね」

「ふふん、なんたって名探偵である僕自らが認めるんだもんね! 存分に誇ると良いよ!」

「……来ていたのか」


ふんぞり返る乱歩の横で国木田は顔を隠すように眼鏡に触れる。


「ふふ、国木田さんの反応は素直で助かります」

「何のことだ」

「舞台から観客の顔って案外見えるんですよ?」

「なっ……!」

「あ、あのっ」


和気あいあいとしている中に敦は声を上げる。
ようやく彼女の目が敦を捉えた。
夜でもよく見える不思議な色合いの瞳に、自分の間抜けた顔が映る。


「あの、その、昨日はありがとうございましたっ」


勢いよく頭を下げた敦に、彼女は何も言わない。
自分が先に言わなければ、と敦は目を彷徨わせながら言葉を選んだ。


「あ、あの、おかげで僕、その、やらなきゃいけないことがわかったというか、えっと、行き先がわかったというか、なんというか、その」

「戻れましたか?」


言い切る前に問われる。
短くてわかりづらいその問いが何を意味するのか、敦には理解できた。


「はい。……もう少し、頑張ろうと思います」

「それは良かった」

「それで、あの、なんでここに……それにお知り合いなんですか?」


きょろきょろと乱歩と国木田に視線を向ける。
すると二人はきょとんと敦を見返した。

なぜ気付かないのか、と問われている気がして、敦もきょとんとする。


「……えっと?」

「小僧、こちらがクリスだ。ミス・クリス・マーロウ。話しただろう」


出かける前に聞いた。
チケットをナオミさんに融通した人だ。

そこまで考えて敦はふと考え込む。

谷崎とナオミの話によれば、チケットを融通した人は劇団に所属している知り合いで、劇団の中でも一番の稼ぎ頭だという。

加えて、出かける前にクリスという人について教えてもらった。
その人は探偵社とある事件で関わったのをきっかけに仲が良くなったのだとか。

そしてさっき。
自分はリアという人が「ロミオとジュリエット」の主演女優であること、その人がかなり人気なのだということを知った。

つまりこの子は。


「……えええええええ!」


敦の絶叫が川辺に響く。
耳を塞ぐ乱歩と国木田とは正反対に、亜麻色の髪の少女は「どうもー」と楽しげな笑顔で敦に手を振っていた。



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