第1幕
□夢潰える時
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極東のとある島国には、竹から女の子が生まれる物語があるという。
その子は実は月の都の住人で、彼女は三ヶ月で美女へと成長し、やがて月へと帰ってしまう。
美しい光を放つ女性、という意味の名を与えられた彼女に匹敵するのではないかと思うほどの成長を、この少女も遂げていた。
「まるで数ヶ月で数年を過ごしたかのようよ」
ミッチェルが呆れと感嘆を込めて額に手を当てる。
「この間なんて冷蔵庫の中のデザートがなくなったとかで騒いでたのよ? 最初の時なんてプディングが何かもわからなかったくせに。貧乏人みたいに意地汚いし、誰があんな風に育てたのかしらね、牧師殿?」
「最後まで耐え忍ぶ者が救われるのですよ、お嬢様」
パタン、と手元の本を閉じてホーソーンは言い聞かせるように言った。
それを皮肉と受け取ってか、ミッチェルは不機嫌極まりない様子で眉を寄せて「死ねば良いのに」とそっぽを向く。
まあまあ、と苦笑したのはスタインベックだ。
「止まっていた成長が再開されたかのようですよね。冬を越えた葡萄の木のような」
「農業に例えないでくださる?」
半眼になるミッチェルに、スタインベックは「わかりやすい例えをしたつもりですよ」とあっけらかんと返す。
確かにわかりやすかった、とホーソーンは密かに思った。
彼女はまさに、冬を越えた木々を思わせるからだ。
故郷から逃げ出し諜報組織で過ごしていた間置いていかれていた彼女の内部が、ここに来てようやく年相応の伸び具合を見せている。
言葉数も増え、会話が続くようになった。
演劇の仕事は順調のようで、もうすぐ初舞台だそうだ。
異能訓練も進み、今ではホーソーンの訓練とは別にフィッツジェラルドの指導の下で実践的な異能の使い方を学んでいる。
身長も伸び始めた。
そのせいか実年齢よりも上に見られやすいのだと彼女は言っていた。
が、元より彼女の年齢は出会った当初の印象でフィッツジェラルドが勝手に決めた数字だ、実はもう少し上の年齢なのかもしれない。
「それにあの子、まだドレスを嫌がるのよ? 動きやすい方が良いとか言って、折角呼んだ仕立屋に男物を作らせるんだもの、いつまで子供のつもりなのかしら?」
「諜報組織での感覚が抜けていないのでしょう。けれど常識を理解する頭脳はあります、心配せずとも良いと思いますが」
「子守役がそんなだから自由奔放になるのよ」
「ではお嬢様が世話をされますか?」
「嫌よ。なんでアタシが」
不機嫌そうに唇を尖らせたミッチェルに、ホーソーンは黙ってため息をついた。
と、そこにノック音が聞こえてくる。
返事を待たずに開かれた扉から現れたのは、今しがた話題になっていた少女だった。
「遅れた」
「あらかじめ時間と場所は伝えてあったはずよ?」
「ごめんミッチェル。途中で蝶が羽化してたから」
「はあ?」
「大丈夫、ちゃんと飛び立っていったよ」
そんなことは誰も聞いていない、と言いたげな顔のミッチェルを無視し、クリスは平然と「綺麗だった」と続ける。
それは良かったね、と返したのはスタインベックだ。
田舎の牧場のような間延びした空気の中で、ミッチェルは一人頭を抱えている。
彼らの様子を眺めつつ、ホーソーンはこの少女の突然発揮されるマイペースさに感嘆していた。
フィッツジェラルドの名を省略して呼んだ時から思っていたが、クリスは元来よりかなり図太い性格であったらしい。
「揃ったな」
椅子に座って肘掛に片肘をついていたフィッツジェラルドがゆったりと言う。
その声に、誰もが顔を引き締めてその男へと目を向けた。
部屋の空気が張り詰める。
男の一言だけで、その場は和やかな談話室から厳格な会議室へと切り替わる。
「今回の任務について説明する。オルコット君、資料を」
「は、はい……!」
フィッツジェラルドの隣で緊張に身を固めていたオルコットが、ビクリと肩を跳ねさせる。
彼女は作戦参謀という地位にあり、フィッツジェラルドの隣にいることを許された異能者だ。
が、その権威は彼女自身から察することはできない。
おどおどといった風にオルコットは手にしていた紙束のうちの数枚をこちらに差し出してきた。
それを受け取ったスタインベックの手元を、全員が覗き込む。
小さな四角いものを写した画像が、そこにあった。
「……記録端末ですか?」
「チップ状ね。小さいし薄っぺらそうだけど、何か貴重な情報が入っていたりするのかしら?」
「『手記』と呼ばれるものだ。先日、〈本〉の所在を知るという男と接触した。それは奴の条件だ」
条件。
〈本〉の所在について話す条件、ということだろうか。
「待って」
ふいに声が上がる。
一斉にそちらに目が向く中、彼女は困ったように瞬きをしていた。
「……本って何? それに任務って……」
「初任務だな、クリス」
「聞いてない。わたしは」
「初任務だ」
クリスを遮り、フィッツジェラルドは目を細める。
その鋭い眼差しに少女は身を竦ませた。
けれど、その青い目には拒絶が現れている。
異能訓練を繰り返してきたとはいえ、彼女はまだ実戦を経験していなかった。
それどころか自分がギルドの戦力として計算されていることにも気付いていなかっただろう。
しかし、ここはただの子供をのうのうと育てるような場所ではない。
加えて、彼女の上司は手元にあるものを使わないという選択肢を最初から無視する男だ。
「君はギルドの一員だ。故に、ギルドの仕事を行ってもらう」
「けど、わたしは」
「安心しろ、君を外部に晒すようなことはしない」
その一言に、クリスは少しばかり安堵したようだった。
しかしホーソーンはフィッツジェラルドの意図を知っている。
彼女はいずれ、表舞台に立たされるだろう。
英国の機密を持つ彼女が手元にいると誇示することで、英国への牽制になるからだ。
それによる彼女の心の変化など、知ったことではない。
「俺達は〈本〉を探している。それは世界に一冊だけ存在する。詳細はわかっていないが、どんな炎にも異能にも耐えうると言われている」
「……何が書かれているの?」
「何も書かれていない」
「え?」
「白紙の文学書だ」
〈本〉。
それは、書き込んだことが真実となる伝説の本だ。
その詳細はおろか行方も知れず、こうしてギルドの総力を挙げて捜索を行っている。
「……書いたことが、真実に……?」
「夢のような話だが、事実だ」
突然の話にクリスは呆然とフィッツジェラルドを見つめていた。
が、やがてその表情は強い意志へと変わっていく。
「駄目だ」
「何?」
「駄目だよ、フィー。それは望んではいけないものだ」
誰もがクリスを見つめていた。
少女は何かを知るかのように、その訴えを口走る。
「そんなの……何でも叶うってことでしょう? 駄目だよ、誰の手にも渡ってはいけないものだ」
「なぜわかる」
「わかるよ」
冷徹な上司の問いに対し、少女の声は震えている。
「……強すぎる力は不幸しか呼ばない。使いこなしてみせても、結局それを求める人達が集まって奪い合いを始めてしまう」
何かを唱えるような言い方だった。
まるで、遠い昔、誰かに言われたお伽噺を復唱しているかのような。
けれど、違う。
それはお伽噺ではなく、まるで。
「それは君自身の話か?」
――まるで彼女自身の話のような。
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